日本の旅 第85回
塩飽本島・笠島の古い街並み〜香川県丸亀市(2)〜
     A trip of Japan No.85 Hon-jima
○丸亀市の概要
 香川県北西部の商工業都市。瀬戸内海に面しており、かつて水軍で名をはせた塩飽諸島の本島(ほんじま)や広島なども市域に含んでいる。丸亀の名は安土桃山時代に生駒氏が亀山に築城し、丸亀と名付けたのが始まり。また、古来より金刀比羅宮(金毘羅さん)の参道口として賑わっている。面積は64.59km2。人口は約11万人(2005年3月の合併より)。

1.塩飽勤番所
 今回は、丸亀市街の北に位置する塩飽(しわく)諸島の1つ、「本島」(ほんじま)という場所を行きます。瀬戸大橋を間近に見られる非常に景色の良い場所で、戦国時代には塩飽水軍が活躍。畿内(近畿)に近かったこともあり織田信長はいち早く、この水軍を味方に付け、さらに豊臣秀吉徳川家康も塩飽水軍を保護し、数々の戦役で活用していきます。これに関連して本島を中心とする塩飽諸島は、江戸時代を通じて、水軍の末裔達が江戸幕府により自治を許されてきた極めて珍しい場所です。また、幕末になると再び水軍の操船技術が必要となり、咸臨丸が太平洋を横断してアメリカへ往復した際、水夫50人のうち35人が旧塩飽水軍出身者でした。
 その現況は、当時の建物が島の北側にある笠島地区に数多く残っており、タイムスリップしたかのような景観を形成しています。また、間近に瀬戸大橋を一望することが出来、大変景色の美しい場所です。
 ちなみに塩飽(しわく) という名前の由来は「潮が湧く」から来ているそうです(他にも1説あり)。

塩飽勤番所長屋門
 1841(天保12)年築。
 塩飽勤番所は、江戸時代に塩飽諸島全島を掌握した政庁で、4人の年寄たちが交代で執務していました。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の朱印状や古文書が保存されています。

塩飽勤番所長屋門
 別角度から。
 塩飽勤番所は明治維新後、本島村役場として使用されてきましたが、本島村は丸亀市と合併し、さらに支所も近くに新築。その後、この歴史ある建物を昔の姿に復元し、観光の拠点となっています。

塩飽勤番所
 1797(寛政9)年築。
 実に堂々とした構えで、内部は塩飽水軍と本島の歴史に関する資料を展示しています。

織田信長朱印状
 資料の1つ。こんな古いものまで公開されているんです!

瀬戸大橋
 本島観光には港で申請して借りるレンタサイクルが非常に便利(廃品利用のようなので、乗り心地は全く保障しませんし、島内交通機関はバスが殆ど無いため、半強制的に借りることになります)。ともあれ、なかなかサイクリングは楽しく、笠島地区に行く途中で、こんな景色を見ることが可能です。

瀬戸大橋
 ちょっとアップで。美しいですねえ。

2.笠島の古い街並み
 本島の北側に位置する笠島地区。ここはなまこ壁や格子窓が特徴的な、江戸時代、明治時代の古い街並みがそのまま残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けています。現在、過疎化によって空き家が大変増加している一方で、その魅力をさらに高めようと古い民家の改修工事も進んでいるようです。今後は、過疎化が幸か不幸か、一般公開していく家も増えていくかも知れません。
 なお街並みは、水軍の根拠地である名残から東小路、マッチョ通り(町通りが転訛したもの)を中心としつつも、奥まで見渡せないような少し曲がった道路構成になっているのが特徴です。

街並み
 自転車で本島東部をぐる〜っと周り、まずはこの場所にたどり着きます。

真木家住宅(街並み保存センター)
 メインストリートであるマッチョ通りと、東小路が交差する場所に位置する真木家住宅は、街並み保存センターとして活用。パンフレット配布や、担当の人が町の概要について説明してくれます。なお、真木家は廻船問屋でした。

マッチョ通り(左は真木家住宅)
 笠島城跡方向に見ます。

マッチョ通り
 左写真の右側の建物です。ご覧のように、外観の改修が進んでいます。

東小路の街並み
 上写真から右方向。

東小路の街並み・藤井家住宅(古文書館)
 街並み保存センターで申請すれば、内部を見せてくれます。

東小路の街並み
 上写真から先に進み、反転して街並みセンター方向を望んだ写真です。左の建物の格子が素晴らしい!

マッチョ通りの街並み・小栗家住宅
 街並み保存センター西側。こちらも元々は廻船問屋。

マッチョ通りの街並み
 右上写真の向かい側の建物。

笠島の漁港
 奥には瀬戸大橋も見えます。

古い住宅
 右上写真の向かい側にある建物。

尾上神社
 拝殿は1916(大正5)年の建築。

3.笠島城跡
 笠島の街並みを見下ろすことのできる場所にある笠島城跡は、中世に高階保遠の居城の1つとして造られたもので、戦国時代(天正年間)には讃岐天霧城主香川氏の甥、福田又次郎が支配。しかし、土佐の戦国大名、長曽我部元親の侵攻により落城し、これ以後、本島には単独の領主や城主がいないまま今に至っています。
 *天霧城・・・香川県善通寺市、仲多度郡多度津町にまたがる場所あります。

笠島城(東山城)跡
 奥には石棺が露出。どうも古墳の跡でもあるようで、地元では「頭(こうべ)さん」と呼んでいるそうです。

笠島城(東山城)跡
 空堀の跡。

4.木烏神社
 こちらは本島港の近くにある神社。泊地区の産土神で、一説によると日本武尊が瀬戸内を巡幸していた際、濃霧で迷ってしまい、一匹の烏に導かれてここにたどり着き、それを記念して建てられたとか。

木烏神社石鳥居 【丸亀市指定文化財】
 1627(寛永4)年築。塩飽の年寄の1人、宮本半右衛門正信が寄進したもので、薩摩の石大工、紀加平衛による建築です。薩摩といえば、当時、日本の中でも鎖国状態でしたから、ここに依頼するというのは凄いことではないかと私は思います。

木烏神社千歳座 【丸亀市指定文化財】
 1862(文久2)年築。当時、幕府によって(娯楽の1つである)芝居小屋は禁止されていたため、神社の納屋・道具入れの名目で建設されました。
 芝居が上演される際には、右側の戸が外され舞台となり、観客は広場に座って見ることになります。

木烏神社制札場 【丸亀市指定文化財】
 江戸後期の建築。塩飽勤番所からのおふれを掲示した場所で、島内の各地にありましたが、現存するのはここだけ。

古民家
 直ぐ近くにある古民家非常にに立派だったので、思わず撮影。本島は、笠島地区以外でも古く立派な古民家を数多く見かけることが出来ます。

5.本島へのアクセス
 終わりに本島への交通手段を御紹介します。
 基本的には、JR丸亀駅北側にある(小さな)丸亀港より、フェリーか客船で本島港へ向かいます。1〜2時間に1本程度なので、要注意。また、少数ですが岡山県玉野市の児島港(JR瀬戸大橋線 児島駅そば)から本島港に向かう客船もあります。所要時間は20分前後です。時刻表は、こちら から。
 きちんと予定通り乗船できれば、交通の便は意外と悪くいないですが、港に到着した瞬間に船がでてしまうと厄介ですね。