登場年:1972年
(国内)使用航空会社:日本航空・ギャラクシーエアラインズ
(国内)就航路線:羽田〜青森・羽田〜那覇等多数
欧州のエアバス社がはじめて開発した旅客機がA300である。1969年から開発が始まり、1972年に初飛行したが、それまで旅客機の販売実績がなかったため、当初の業績は散々で、莫大な赤字を出す結果となった。それでも、フランス政府などの支援によって地道に販売を続け、エアバス社の初期の代表的な旅客機となっていった。
機体は2本の通路を通すワイドボディー機で、当初の定員は300名であった。この定員からA300という型名がつけられたという。ワイドボディー機でありながらエンジンを2基としたため、燃費等は他の機体に比べて格段に良く、後の双発機全盛時代を先取りすることになった。
A300は長期間にわたって製造されたため、当初はパイロットも3名乗務であったが、その後短胴型のA310で実現させたグラスコックピット化等をフィードバックしたA300−600からはA310同様2名乗務となっている。ただし、フライ・バイ・ワイヤ操縦システムなどは採用されず、A310とともにエアバス機としては操縦桿を持つ。
エアバス社はA300の後継機としてA350の導入を予定しており、A300の受注はすでに終了しており、生産も2007年にフェデックスへの納入をもって終了した。