エアバスA300
     Airbus A300


A300の最新バージョンA300−600R。
(写真:羽田空港/撮影:デューク)

●基本データ・就航区間
登場年:1972年
(国内)使用航空会社:日本航空・ギャラクシーエアラインズ
(国内)就航路線:羽田〜青森・羽田〜那覇等多数

●機体の解説
 欧州のエアバス社がはじめて開発した旅客機がA300である。1969年から開発が始まり、1972年に初飛行したが、それまで旅客機の販売実績がなかったため、当初の業績は散々で、莫大な赤字を出す結果となった。それでも、フランス政府などの支援によって地道に販売を続け、エアバス社の初期の代表的な旅客機となっていった。
 機体は2本の通路を通すワイドボディー機で、当初の定員は300名であった。この定員からA300という型名がつけられたという。ワイドボディー機でありながらエンジンを2基としたため、燃費等は他の機体に比べて格段に良く、後の双発機全盛時代を先取りすることになった。
 A300は長期間にわたって製造されたため、当初はパイロットも3名乗務であったが、その後短胴型のA310で実現させたグラスコックピット化等をフィードバックしたA300−600からはA310同様2名乗務となっている。ただし、フライ・バイ・ワイヤ操縦システムなどは採用されず、A310とともにエアバス機としては操縦桿を持つ。
 エアバス社はA300の後継機としてA350の導入を予定しており、A300の受注はすでに終了しており、生産も2007年にフェデックスへの納入をもって終了した。

●ギャラリー


 日本航空のA300−600R。元々は日本エアシステムが保有していた機材。現在は亜幹線の主力機として活躍しており、クラスJも設定されている。
 A300−600Rは−600の航続距離延長型。

 日本航空は機種を絞り込む観点からA300を2010年度中に全機退役させることにしている。
(写真:羽田空港/撮影:デューク)


 大韓航空のA300。
 大韓航空は日本線などでA300を使用しており、成田空港などでは日常的に見ることが出来る。
(写真:成田空港/撮影:デューク)

 旧日本エアシステムのA300。
 日本の航空会社として初めてエアバス機を導入したのがJAS(当時は東亜国内航空)だったが、導入の際にのちに同社のシンボルともなるレインボーカラーの使用許可も取っていたのだった。

(写真:出雲空港/撮影:ムスタファ)

 JJ統合後塗装はそのままながら機体後部に「JAL」の文字が見えているレインボーカラーのA300。
(写真:羽田空港/撮影:ムスタファ)

 3人乗務機のA300B4。
 早期撤収が予定されていたため、JJ塗装にならず、レインボー塗装を維持したまま最後まで運航されていた。
(写真:羽田空港/撮影:裏辺金好)


 佐川急便の関連会社として運航を開始したギャラクシーエアラインズのA300。
 全日空との提携に走る日本郵政公社等に対し、自ら航空会社を立ち上げてコストを下げるのが狙いのようだ。

 その後ギャラクシーエアラインズは運航を停止した。
(写真:羽田空港/撮影:デューク)


 エア香港のA300−600F。
 DHLの貨物輸送を担当しているため、DHLの文字も見える。
(写真:成田空港/撮影:デューク)


 中国南方航空のA300−600R 。
 −600Rは後部のそり上がりがきつくなっているのが特徴。
(写真:広州白雲空港/撮影:デューク)


 中国東方航空のA300−600R。
 関西空港にやってきたときの一こま。
(写真:関西空港/撮影:デューク)


 こちらはタイ国際航空のA300−600Rの旧塗装。
 (写真:福岡空港/撮影:デューク)


 タイ国際航空のA300−600R。
 機材のリプレースが進み、タイ国際航空の日本への乗り入れ機としては珍しい存在になりつつある。
(写真:福岡空港/撮影:デューク)