設立年:1953年(民間会社としては1951年)
IATAコード:JL
ICAOコード:JAL
太平洋戦争の後、日本の民間航空は一切なくなってしまったが、戦後数年たち、日本の空に再び民間航空路を復活させようという動きが活発になった。当時航空保安庁長官であった松尾静磨らの尽力により、1951年(昭和26年)戦後初の民間航空会社として日本航空が誕生した。
しかし、国内線に加えて、どこまで本気だったのかは不明ながら、申請していた東京〜サンフランシスコの国際線開設が、日米航空交渉でたちまち決定してしまったことが、国も動かす結果となり、1953年に国主導で日本航空株式会社法が制定され、新しい日本航空が誕生した。
これによって、日本航空は国際線と国内線幹線を運航することになったが、国際線では、パンアメリカン航空のボーイング707の登場にはじまるジェット化の洗礼を受けて深刻な打撃を受け、一方で国内線も全日空の台頭によって幹線区間での競合が激しくなるなど、1950年代後半から1960年代前半までは苦しい状態が続いた。
その後、DC−8をフラッグシップとして、国際線を積極的に開設し、ボーイング747の導入などを進め、世界的なメガキャリアとしての地位を確立していった。
しかし、その一方で1970年代から、相次いで墜落事故を起こし、1982年には操縦していた機長が故意に飛行機を墜落させる事態にまで発展、そして、1985年に、日航ジャンボ機墜落事故を起こすことになった。
1987年に民営化が断行され、新生日本航空が誕生、バブル崩壊などの時期には苦しい経営が続き、2001年の同時多発テロの影響で、日本エアシステムと統合するも、その後にトラブルが多発し、莫大な赤字を抱えることになったが、血の滲むような経営再生を行った結果、収益率等にまだ問題を抱えるものの、経営は大きく改善している。
特に、最近ではANAをしのぐプレミア戦略を進めており、収益改善に大きく寄与している。