急行【白兎】
平成16年にリバイバル運転された急行「白兎」
(写真:倉吉駅/撮影:デューク)
●基本データ
登場年:1956(昭和31)年運転区間:京都〜松江・出雲市 → 京都〜米子
使用車種:キハ58系
●列車の解説
急行「白兎」のルーツは1956(昭和31)年に登場した客車準急「白兎」で、昭和36年の白紙ダイヤ改正においてキハ58系の急行列車に格上げされた。この際、大阪から福知山線経由の列車も併結する運用を行っていた。1968(昭和43)年10月1日改正で、再び京都発のみとなり(※一時、大阪発の急行「いなば(いでゆ)」を併結)、山陰側の発着のみが松江・出雲市・米子とうろつくことになるが、1972(昭和47)年10月2日改正で倉吉〜米子間は快速、米子〜出雲市間は普通列車となった。
その後も急行、快速、普通としての運転区間は微修正が入った末、1982(昭和57)年7月1日改正から、京都〜米子間の列車に短縮。1985(昭和60)年3月14日改正では急行区間が鳥取までとなり、米子までは普通列車となってしまった。
それでも、京都から城崎以西まで足を伸ばす唯一の急行として奮闘したが、1986(昭和61)年11月1日のダイヤ改正で「あさしお」に格上げされて消滅した。奇しくも「白兎」と同時に登場した特急「まつかぜ」もこの日に廃止となり、山陰本線のひとつの時代が終わった。
そして、2004(平成16)年に「白兎」の後を受けて鳥取県内に残って速達輸送に従事してきたキハ58系が引退することとなり、「白兎」の復活運転が実現した。3ヶ月半前には「まつかぜ」も山陰路を走った。走る路線こそ違ってはいたが、この2列車はやはりひとつの時代の象徴だったのだ。
●ギャラリー
堂々たる編成美で山陰本線を行く。※1982年8月撮影 ※1982年撮影
(写真:山陰本線 柴山〜香住/撮影:ひょん君)
●リバイバル運転時
京都へ向けて発車を待つ「白兎」。2004(平成16)年3月28日の米子駅は午前中からファンの姿があちこちで見えており、昼頃までに一気に膨れ上がった。「白兎」が発車する1番のりばは大変な混雑となっていた。
(写真:米子駅/撮影:デューク)
平成16年3月27日、倉吉に到着した「白兎」。この日は雄姿を写真に収めるために京都などの混雑する駅を避けて倉吉で待つことにした。キハ58系のエグゾーストが聞こえてきて到着した。余計なヘッドマーク等は付けていないので現役時代により近い姿であったのが良かった・・・
(写真:倉吉駅/撮影:デューク)
米子駅に停車する「白兎」。
(写真:米子駅/撮影:デューク)
行先表示サボのアップ。このサボはこの列車の運転のために製作されたもので、車内販売と同じものと思われる。引退前の数年間は鳥取地区のキハ58系は行先サボを使用していなかったので、この計らいはありがたいものだ。
(写真:米子駅/撮影:デューク)