急行【みまさか】
J.N.R / J.R. Express "Mimasaka"姫路駅3番線に停車する但馬1号・みまさか1号。1979年4月3日の姿。
(写真:山陽本線 姫路駅/撮影:ひょん君)
●基本データ
登場年:1960(昭和35)年運転区間:大阪〜中国勝山・新見など
使用車種:キハ58系
●列車の解説
1960(昭和35)年10月1日、準急「みまさか」として大阪〜中国勝山(下り)、月田〜大阪(上りで運転を開始したもので、同時に登場した準急「みささ」(大阪〜上井)と大阪〜津山間で併結運転を行った。また、下りみまさかの津山〜中国勝山間は上りの準急「ひるぜん」と併結運転を行うという、手の込んだ列車であった。1962(昭和37)年3月1日には大阪〜新見間の運転区間で1往復が増発され、これは準急「但馬」と大阪〜姫路間で併結運転を行った。また、従来の準急「みまさか」は上下共に月田駅発着に改められた。
1966(昭和41)年3月5日に種別を急行に改め、さらに1968(昭和43)年10月1日からは急行「やまのゆ」が廃止されて「みまさか」に統合され、「みまさか」は3往復体制となる。これにより、急行「おき」と併結運転を行う「みまさか」が登場したほか、急行「みささ」が「かいけ」と統合され、急行「伯耆」と名称を変更している(*1975年3月10日改正で、名称を伯備線の急行に転用し、既存の列車は「みささ」に変更)。
こうして3往復にまで成長した「みまさか」であったが、1975(昭和50)年の中国自動車道の一部開通を境に利用客の低迷が始まり、1982(昭和57)年11月15日からは急行としての運転区間を大阪〜津山に統一。さらに1985(昭和60)年3月14日からは「みささ」と共に1往復化され、大阪〜中国勝山(*津山〜中国勝山間は普通列車)となった。
しかし、この体制も長く続かず1989(平成元)年3月11日改正で「みささ」と共に廃止された。