急行【能登路】


国鉄時代のキハ58系急行「能登路10号」。当時からヘッドマークが掲出されていた。※1983年3月撮影
(写真:北陸本線 津幡駅/撮影:ひょん君)

●基本データ

登場年:1966(昭和41)年
運転区間:金沢〜七尾・和倉温泉・輪島・宇出津・珠洲・蛸島
使用車種:キハ55系・キハ58系・415系

●列車の解説

 「能登路(のとじ)」という愛称の列車が登場したのは昭和35年のことで、準急列車として登場した。その後昭和41年に急行列車へと格上げとなったが、運転系統等はほとんど変わらないままであった。

 この列車は能登半島の国鉄線をくまなく走る基幹列車であり、大阪方面から直通する「奥能登」や「ゆのくに」といった急行列車との併結運転も実施されていた。車両は準急時代よりキハ55系とキハ58系が使用されており、昭和55年頃まで両形式とも使用されていたが、さすがにこれ以降はキハ58系のみが使用されていた。
 最盛期には10往復が運転されていた「能登路」であったが、昭和55年以降減便が実施され、昭和61年の国鉄最後のダイヤ改正の段階では7往復となっており、この状態でJR化を迎えた。

 JR化後津幡〜和倉温泉間の電化工事が急ピッチで進み、同区間が電化開業した。また、それを前後して和倉温泉以遠は(2回に分けて)第三セクター化されるなど、環境は大きく変わっていった。特に、電化開業により、大阪等から特急列車の直通が本格的に始まり、平成3年には3往復にまで減便となってしまった。また、この改正で電化区間のみを走る1往復は415系による運転となった。

 しかし、のと鉄道への直通客の減少などにまったく歯止めがかからなくなり、特に穴水〜輪島間の移管で、のと鉄道の経営が極度に悪化。この赤字に耐え切れず、穴水〜輪島間が路線ごと廃止となる。そして、平成13年、「能登路」は1往復のみが珠洲まで直通する状態となるが、それも1年しか持たず、平成14年に廃止となった。

●ギャラリー


運転末期のキハ58系急行「能登路」。塗装は白色と黄色による金沢地域のオリジナル塗装だった。
(写真:七尾線 七尾駅/撮影:武蔵野通信局 ※禁転載)

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