急行【さんべ(三瓶)】


グリーンの塗装が特徴的だった末期の「さんべ」。
(写真:米子駅/撮影:デューク)

●基本データ

登場年:1961(昭和36)年
運転区間:小倉(熊本・小郡等)〜鳥取(米子)など
元使用車種:キハ58系、10系、12系、20系など

●列車の解説

 昭和36年の白紙ダイヤ改正で登場した急行列車で運転開始当初は大阪から浜田に至る夜行列車であった。
 昭和43年のダイヤ改正で山陰西部(米子発着、翌年から鳥取発着も登場)から九州方面への列車となった。東の「白兎」に対して、山陰本線の西半分を走破した。運転区間を見ればわかるとおり、色々な性格を持つ多目的列車であった。
 「さんべ」の最大の特徴は、長門市駅で美祢線経由と山陰線経由に分割し、それが下関で再び併結するというかなりアクロバット的な運転であった。しかし、これは現場ではダイヤの厳守など苦労も多かったと聞く。

 最盛期は夜行列車も存在し、隆盛を極めたが、国鉄末期に1往復だけとなり、最終的には両末端区間を普通列車として走行することになったが、山陰本線の西部の数少ない優等列車として活躍した。

 JR化後は58系屈指の長距離急行として、普通列車部分も含めれば実に450キロにわたる走行距離を誇った。急行区間だけでも300キロを越える運転距離であり、特急でも通常は200キロという時代を考えれば驚異的な数字であった。また、運転区間中、両末端区間が普通列車となるJR化後まで運転された列車としては変り種の列車でもあった。

 結局、平成9年に需要のある米子〜益田間は快速「石見ライナー」に格下げされ増発。益田〜小倉間は廃止された。現在ではキハ187系が120キロで飛ばす区間であったが、「さんべ」が運転されていた頃はまだのんびりしていたという印象で、隔世の感がある。

 なお、大阪発着の頃は列車名は漢字だったが、昭和43年の運転系統の変更のときからひらがなに変わった。

●ギャラリー


2008(平成20)年11月に運転された急行「だんだんさんべ」。ヘッドマークは、かつての快速「しまねライナー」で用いられたデザイン。
(写真:山陰本線 揖屋駅/撮影:裏辺金好)

急行「だんだんさんべ」のサボは、ストレートに「さんべ」だった。
(写真:山陰本線 揖屋駅/撮影:裏辺金好)

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