急行【宗谷】
宗谷方面への看板列車として活躍した「宗谷」。
(写真:苗穂〜白石/撮影:haru様 禁転載)
●基本データ
登場年:昭和36年(1961年)運転区間:(函館)札幌〜稚内
使用車種:キハ58系・キハ40系・キハ183系
●列車の解説
「宗谷」という愛称の列車が登場したのは昭和35年のことで、準急列車として登場した。稚内方面への看板列車となることを期待され、「宗谷」の愛称を与えられたのであった。翌年のサンロクトウの白紙ダイヤ改正で併結の列車ともども急行へと格上げとなり、キハ58系シリーズでの運転となったが、「宗谷」はどちらかというとおまけのような存在で、併結相手の「オホーツク」等が一等車(グリーン車)連結の中二等車(普通車)のみの2両編成という状態であった。その後編成は増強されるが、一等車の連結が開始されるのは単独運転となり函館本線経由となった昭和39年以降であった。
その後は堂々たる急行列車として宗谷本線や優等列車の少ない函館本線の山線の貴重な優等列車として活躍した。また、北海道の急行列車としても屈指の長距離急行として名を馳せた。
昭和56年に函館〜札幌間が特急「北海」に格上げとなって以降は青函連絡の使命もなくなり、札幌ベースでの活躍となった。
昭和60年に夜行急行列車と運用を統一する意味で気動車から客車に変更となり、座席使用での寝台車の利用も始まった。その後、一部の座席はグリーン車としても利用されていた。この状態でJR時代を迎えるが、さすがに客車での運転には多少無理があったのか、キハ40系をリニューアルしたキハ400およびキハ480が登場した昭和63年に置き換えとなった。それから1年も経たないうちに天北線が廃止となり、同線を経由していた急行「天北」も廃止となった。その立替で「宗谷」は初めて2往復化された。
ただ、この措置は宗谷本線沿線の人にはあまり受け入れられなかったのか、平成4年になり、立替分の列車は「サロベツ」に名を改め、再び1往復運転となった。この状態で運転は続き、平成9年頃からはキハ183系も編成に組み込まれるようになったが、急行王国だった宗谷本線にも遅ればせながら特急化の波が押し寄せ、平成12年に「スーパー宗谷」に格上げとなり、その歴史に幕を閉じた。