特急【あさま】
直江津駅で発車を待つ「あさま」。
(写真:信越本線 直江津駅/撮影:デューク)
●基本データ
登場年:1966(昭和41)年運転区間:上野〜長野・直江津 (一時、東京発着あり)
使用車種:181系・189系・489系
●列車の解説
信越本線の初の特急列車は「白鳥」であったが、昭和40年に「はくたか」となった。電化区間は長野まで延びており、長野への特急電車が運転されることになったが、これが「あさま」である。使用車両は181系であった。「あさま」は急勾配の碓氷峠を通るため、編成が8両に制限され、輸送力確保のため、食堂車の連結は断念し、当時としては異例の特急列車となった。その後、「あさま」は順調に運転本数を伸ばしたが、急行型では碓氷峠で協調運転可能な169系が登場し、特急型も489系が登場し「白山」に使用され、どちらも12両編成に増強された。こうなると、協調機能を持たない181系の「あさま」の輸送力不足が問題となり、ようやく昭和50年に189系が登場し「あさま」も12両化されることになった。
国鉄末期に、フリークエンシーサービスの一環として、編成の減車が実施され、基本的に9両編成での運転となるが、運転本数は大幅に増加した。東北・上越系統の特急列車が新幹線の開業で撤退していく中、上野駅発着の特急列車として「ひたち」系統とともに伝統を引き継いでいくこととなった。
JR化後も信越方面へのエースとして最盛期には20往復に達するなど人気を博したが、1994(平成6)年頃からじわりと利用者が落ち始め、廃止時は19往復に戻っていた。
しかし、人気の高い線区とはいえ、碓氷峠の存在はスピードアップのネックとなり続け、フル規格の新幹線が開業した1997(平成9年に廃止され、名前を新幹線に譲った。 これと同時に「白山」も廃止され、はたまた碓氷峠区間も廃止された。
●181系時代の姿
1970年代の181系特急「あさま」。狭軌最高速度をマークした163km/hの記念ステッカーを貼った編成。
(写真:高崎線 上野駅/撮影:照山様 禁転載)
1970年代の181系特急「あさま」。こちらは特急シンボルマークの下に帯を巻いている。
(写真:高崎線 上野駅/撮影:照山様 禁転載)
●189系時代の姿
上越新幹線上野開業直前、12両編成で運転されていたころの姿。※1985年3月撮影
(写真:東北本線 浦和〜北浦和/撮影:ひょん君)
国鉄末期の189系特急「あさま」。
(写真:東北本線 上野駅/撮影:daikiti)
JR東日本発足日の189系特急「あさま」。
(写真:東北本線 上野駅/撮影:daikiti)
2009年、新宿駅での一コマ。このように愛称幕回しで、「あさま」を拝めることもある。
(写真:中央本線 新宿駅/撮影:裏辺金好)
2012年10月に長野〜直江津間でリバイバル運転された特急「あさま」。
(写真:信越本線 豊野駅/撮影:裏辺金好)
2012年10月に長野〜直江津間でリバイバル運転された特急「あさま」。189系普通「妙高」号と並ぶ。
(写真:信越本線 新井駅/撮影:裏辺金好)
●489系時代の姿
1970年代の489系特急「あさま」。ボンネットタイプのヘッドマークを、両面テープ(?)で貼り付けた痕があり、アナログ感が・・・。
(写真:高崎線 高崎駅付近/撮影:照山様 禁転載)
1977年8月、御徒町駅付近の電留線に停泊中の489系特急「あさま」。
(写真:京浜東北線 御徒町駅付近より/撮影:ひょん君)
国鉄時代の489系特急「あさま」。
(写真:京浜東北線 王子駅付近より/撮影:札幌人様 禁転載)