特急【あやめ】【あやめ祭り】
E257系による特急「あやめ」
(写真:成田線 成田駅/撮影:裏辺金好)
●基本データ
登場年:1975(昭和50)年元運転区間:東京〜成田、銚子、鹿島神宮
元使用車種:183、189系、E257系
●列車の解説
特急「あやめ」は1975(昭和50)年に急行「鹿島」を格上げされる形で登場した。当初は「わかしお」や「さざなみ」と共通の183系で運転され、グリーン車付きの堂々9両編成での運転であった。そして最盛期は5往復を数え、L特急にも指定された「あやめ」であるが、「あやめ」の歴史は衰退の歴史でもあった。東関東自動車道が開通すると利用者がかなり減り、昭和60年にはグリーン車なしの「すいごう」と共通の6両編成となり、さらに佐原以遠は普通列車となってしまった。本数は何とか5往復を維持した。この状態でJR時代を迎えたが、すでに鹿島方面への移動主体は高速バスへ移りつつあり、JR側がこれにたいした対抗策も打ち出さなかったため、利用客は更に減り、運転本数にメスが入るようになった。
最終的には、利用者の見込める朝の上りと夜の下りの1往復を残してすべて廃止され、昼間は快速「エアポート成田」の付属編成が鹿島神宮まで足を伸ばすことになった。その一方、2004(平成16)年10月のダイヤ改正で「すいごう」「ホームタウン成田」を吸収し、2.5往復になった。
さらに2005(平成17)年12月のダイヤ改正で183系は撤退し、E257系500番台での運転を開始すると共に、下り1本を増発。この結果、下り4本、上り2本の運転となった。しかし、その後は再び運転本数が削減され、東京〜鹿島神宮、東京〜銚子の各1往復の2往復体制に。
そして2015(平成27)年3月14日改正で、ついに定期列車としての運行を終えることになり、その歴史に幕を閉じることになった。
なお、臨時列車としては6月の土曜・休日に「あやめ祭り」号を運転(2009年〜2014年までは臨時「あやめ」として運転)。これは香取市および潮来市のあやめ祭りに合わせた列車で、主にE257系が主に使用されている。なお、2011(平成23)年以降は新宿を起終点としている。
●ギャラリー(183系)
183系で運転を開始して間もない頃の姿。
(写真:総武本線 錦糸町駅/撮影:札幌人様 禁転載)
183系で運転されていた頃の臨時特急「あやめ祭り」号。
(写真:横須賀線 大船駅/撮影:裏辺金好)
市川駅を通過中の「あやめ」2号の幕張電車区への回送。「あやめ」2号は平成16年までは「すいごう」であった列車で、運用自体は「すいごう」の時と変わらず、東京に到着するとそのまま幕張電車区に帰庫する。ヘッドマークは手動のため、そのままであることが多い。
(写真:総武本線 市川駅/撮影:デューク)
(写真:総武本線 物井〜佐倉/撮影:デューク)
成田線の単線区間を行く「あやめ」。
(写真:成田線 滑河〜下総神崎/撮影:デューク)
錦糸町駅に到着した上り「あやめ」号。房総方面への特急列車はもともと東京地下駅を発着していたため、ATCを搭載している。ATC区間が錦糸町から品川までのため、特急も当初は全列車錦糸町に停車していた。 「成田エクスプレス」は自動切換えのため、通過していたけれど。
2004(平成16)年にこの区間のATCがATS−Pに変わり、切り替え等の必要性はなくなったものの、利用者に定着しているためか、相変わらず通過とはなっていない。ヘッドマークには未だにLマークが残っている。
(写真:総武本線 錦糸町駅/撮影:裏辺金好)
「あやめ」の行先方向幕。もともとはL特急だったが、1往復に削減された際にLマークを没収されてしまった。もっともJR東日本はL特急という呼称そのものを廃止してしまったため、今となってはどうでも良いのだが。経路のところに成田回り・・・とかいてあるが、他にどういう経路で行くというのだろうか・・・(爆)
(写真:東京駅/撮影:デューク)
錦糸町駅に入線する「あやめ」2号。
(写真:錦糸町駅/撮影:デューク)
東京駅に停車中の「あやめ」。この頃はまだ地下3番線からの房総特急が残っていた頃であった。
(写真:東京駅/撮影:デューク)
●ギャラリー(E257系)
新宿始発で運転された臨時特急「あやめ91号」
(写真:中央本線 新宿駅/撮影:裏辺金好)
「あやめ」トレインマーク
(写真:中央本線 新宿駅/撮影:裏辺金好)
(写真:総武本線 津田沼駅/撮影:裏辺金好)