特急【北越】
新潟色の485系による特急「北越」
(写真:信越本線 さつき野駅/撮影:リン)
●基本データ
登場年:1969(昭和44)年運転区間:大阪〜新潟 → 金沢〜新潟
使用車種:485系・489系
●列車の解説
昭和36年に登場した特急「白鳥」は青函連絡と言う重責を担っていたが、北陸への足としても重用されていたため、特に新潟までの混雑は年々深刻になっていた。それを問題視した国鉄は、1969(昭和44)年10月1日改正で、485系を新たに投入し、大阪〜新潟間の特急を新設した。これが特急「北越」であった。この結果、新潟までの乗客を「北越」が半ば引き受ける形が出来上がり、「白鳥」は青函連絡に専念できるようになった。その後、「北越」は金沢発着を増発して3往復の体制となるが、1978(昭和53)年10月2日に「雷鳥」の新潟延長が決定すると、大阪〜金沢間が廃止となり、金沢〜新潟間の1往復へ削減された。
それでも1982(昭和57)年11月15日の上越新幹線開業によって、3往復が増発。さらに、1985(昭和60)年3月14日改正では、福井始発の特急「白鳥」を新潟までの運転に短縮した上で、北越に統合。こうして5往復に成長するが、結局L特急には指定されなかった。この状態でJR化を迎えることになる。
JR化後は比較的早い時期に上沼垂のリニューアル485系が投入されるなど、体質改善が進んだが、新幹線接続を担う「かがやき」が登場し、格下の特急と言うイメージが強くなったほか、長岡までの運転に短縮された列車も登場。これが悪影響を与えたのか次第に利用率が低下していった。
また、1997(平成9)年3月22日には北越急行が開通し、同線経由の特急「はくたか」が新設されると、長岡で新幹線を接続して北陸へ向かうルートがメインルートから脱落。「北越」は大幅に減少し、2往復(金沢〜新潟)にまで落ち込んだ。ただし、北陸〜越後間の都市間輸送の役目もあった「北越」は廃止は免れた。
2001(平成13)年3月3日改正では、大阪〜青森間の特急「白鳥」1往復の廃止と、大阪〜新潟間の「雷鳥」2往復の削減に伴い、金沢から新潟へ向かう特急は、全て「北越」として再編。これにより5往復での運転へ再び拡大された。
しかし2015(平成27)年3月14日改正で、北陸新幹線(長野〜金沢)が開業すると特急「北越」は廃止されることに。代わって、上越妙高〜直江津〜新潟間に特急「しらゆき」5往復がE653系で新設されることになったが、新潟県内のみを走行する特急となる。
●ギャラリー
京都駅で出発を待つ北越2号。1978年3月撮影。
(写真:東海道本線 京都駅/撮影:ひょん君)
489系による特急「北越2号」。1983年3月撮影。
(写真:北陸本線 津幡〜倶利伽羅/撮影:ひょん君)
新津駅に到着する「北越」5号。 まだ、9月上旬だったこともあり、明るい。「北越」は、いつの間にやら直江津〜新潟間を走行する唯一の昼行特急となってしまった。
(写真:信越本線 新津駅/撮影:デューク)
一時消滅していたが、運行末期には復活した国鉄色の「北越」。
(写真:北陸本線 直江津駅/撮影:裏辺金好)
(写真:北陸本線 糸魚川駅/撮影:デューク)
(写真:北陸本線 富山駅/撮影:リン)
485系3000番台による特急「北越」。
(写真:北陸本線 高岡駅/撮影:デューク)
「北越」の方向幕。
上りの金沢行きのもので、国鉄時代からのものが使用されている。もともとL特急ではないから、おそらくそのまま使われているはずだ・・・
(写真:新潟駅/撮影:デューク)
「北越」の方向幕その2(「幕」ではないか・・・)。
3000番台の車両のLED式の表示機。デザインは幕のものをLEDにしただけという感じだ。ただ、列車名などが大きくなっている気はする。
(写真:魚津駅/撮影:デューク)