特急【いそかぜ】


(写真:鹿児島本線 小倉駅/撮影:デューク)

●基本データ

登場年:1985(昭和60)年
使用車種 キハ181系(平成17年まで)
主な運転区間 益田(米子)⇔小倉(博多)
運転本数 1往復(平成17年)
表定時速 60.2km/h(下り・平成17年)

●列車の解説

 1964(昭和39)年以来、京都(大阪)〜博多間をロングランしてきた「まつかぜ」であったが、当初から通しで乗車するあまりおらず、もともと山陰各地および山陰から北九州への需要をまとめて取り扱っているような列車であった。しかし、米子以東と以西では需要に開きがあり、また、米子以西の有効時間帯を考えると米子での系統分割が妥当な結論であった。

 折りしも、短距離特急は増加していく傾向にあったため、昭和60年のダイヤ改正で、「まつかぜ」は米子で系統分割された。このとき米子〜博多間を任されたのが「いそかぜ」であった。需要の関係から「おき」と共通のキハ181系4両編成が使用され、グリーン車の連結もなかった。昭和61年の国鉄最後のダイヤ改正では、3両にまで減車された。この状態でJR化される。

 JRになると、九州では、特急列車の増発を行い、特急のフリークエンシーサービスを開始し、普通列車等も大幅に増発されるようになった。小倉〜博多間もその例外ではなかったが、このダイヤに気動車特急の「いそかぜ」が割り込むことがだんだん困難になっていった。

 1993(平成5)年に「いそかぜ」は小倉で運転打ち切りとなった。その後はしばらくこの状態で運転されることになるが、益田〜下関間では唯一の特急列車として孤軍奮闘するが、1往復しかないため、利用者はだんだん減少する一方で、同区間を走る急行列車が廃止された後は唯一の優等列車となってしまった。

 2001(平成13)年に山陰本線の安来〜益田間の高速化が完成したが、「いそかぜ」はキハ181系のまま残され、運転区間は益田〜小倉間に短縮された。こうなるともはやローカル特急であり、平成16年の段階で「はまかぜ」とともにキハ181系を使用する数少ない特急であり、国鉄色181系となると唯一の特急となった。
しかし、乗客の減少はいかんともできず、ついに平成17年の3月のダイヤ改正で廃止されることとなった。あと半月で満20年というところであった。

 ちなみに、「いそかぜ」という愛称はもともと新大阪から宮崎に運転されていた気動車特急につけられていた愛称である。

●乗車時の感想(byデューク)

初めて「いそかぜ」に乗車したのは平成15年の夏のことで、山陰から九州まで旅したときに乗車した。益田まで「スーパーくにびき」に乗車していたこともあり、のんびりした走りだったのが印象的だった。しかし、乗車率のほうは芳しくなく、列車全体でも3割程度といったところで、まあ、こんなものなのかと思っていた。
ローカル特急といった感じであったが、景色はなかなか良く、飽きることはなかった。

そうこういっているうちに、「いそかぜ」の廃止がアナウンスされた。雄姿を最後に見ておこうと思い、小倉から長門市まで乗車した。
今度の乗車率は5〜6割程度であり、まあまあではなかったかと思っている。長門市に到着した後、駅前をぶらついていたとき、地元の観光協会の「いそかぜ」存続のポスターが目に入った。彼らの努力も報われなかったか・・・と残念であった。

●ギャラリー

終点の小倉駅に到着した特急「いそかぜ」
(写真:鹿児島本線 小倉駅/撮影:裏辺金好)
益田へ向かう「いそかぜ」。国鉄色のキハ181系を使用する最後の特急も、あえなくリタイヤとなったが、同時に山陰本線の益田以西から優等列車が消えるということでもある。萩や長門市の救済策はあるのだろうか。
(写真:山陰本線 長門市駅/撮影:デューク)

「いそかぜ」の方向幕。山陰特急の例に漏れず黒幕である。それ以外特に特徴のないシンプルな構成だが、経由なども書かれていない。関門トンネルを通過する唯一の昼行特急であったが、惜しくも廃止となった。
(撮影:デューク)


発車を待つ「いそかぜ」。「いそかぜ」は山陰本線の高速化の際に益田以東には顔を出さなくなったが、益田で米子方面の特急と接続している。ヘッドマークは「おき」のものと似ているような気がする。
(写真:山陰本線 益田駅/撮影:デューク)

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