特急【おき】


2000年の夏季は観光用のヘッドマークをつけて運転。
(写真:山陽本線 小郡駅/撮影:裏辺金好)

●基本データ

登場年:1961(昭和46)年  / 再登場年:1975(昭和50)年
運転区間:新大阪〜出雲市  →  小郡(現在の新山口)〜米子・鳥取
元使用車種:キハ80系、キハ181系

●列車の解説

 1961(昭和46)年4月26日、伯備線経由で新大阪〜岡山〜出雲市間を結ぶキハ181系特急として登場。もっとも、この列車の運転は長くなく、翌年3月15日改正で新大阪〜岡山間を廃止の上で、特急「やくも」に改称された。

 そして山陽新幹線博多開業の1975(昭和50)年3月10日改正で、小郡(現・新山口)から山口線経由で山陰を目指す新幹線接続特急に「おき」の名前が与えられた。ダイヤ改正前日まで「かもめ」として走っていたキハ80系車両のうち一部が「おき」に充当され、鳥取・米子〜小郡間で運用を開始した。

 運転開始当初は「あさしお」「はまかぜ」と共通運用であったが、翌年には「つばさ」の電車化で余剰となったキハ181系に置き換えられた。その後はグリーン車が非連結となり、運転区間が一部について出雲市までとなるなど細かい変更点があったが、大きな変更もなく21世紀を迎えたが、山陰本線のうち島根県区間について高速化工事が完了したため、新型の187系に置き換えられ、列車名も「スーパーおき」となり、「おき」は定期運用を失った。

 その後、多客期を中心に収容力に難点のある187系を補完して「おき」は運転されたが、2003(平成15)年10月の鳥取県内高速化が完成とともにキハ187系が増備され、増結が可能になり、以後運転されることはなくなった。

 平成15年12月6,7の両日「おき」が復活運転し、米子⇔新山口を2日間かけて1往復したが、これがキハ181系としての運転の最後である。ちなみに2004(平成16)〜2005(平成17)年にかかる年末年始に新山口〜浜田間でキハ187系使用の「おき」91・92号が運転されたが、なぜか「スーパー」とつかない、「おき」として設定されていた。

●ギャラリー


国鉄時代の特急「おき」。
(写真:山口線 小郡駅/撮影:ひょん君)

同じく国鉄時代の特急「おき」。※1985年3月撮影
(写真:山陰本線 米子駅/撮影:ひょん君)

(写真:山陽本線 山口駅/撮影:裏辺金好)

2000年夏の特急「おき」。
(写真:山陽本線 小郡駅/撮影:裏辺金好)

 「おき」の行先方向幕その1。
 「おき」は一時期2号のみ下関から営業運転をしており、下関〜小郡間は山陽本線を経由していた。その後、「あさしお」廃止に伴い、鳥取まで延長運転され、下関〜鳥取間の長距離特急となる。ディーゼル特急最長距離特急の栄冠を手にしたのはこの時だ。下関延長運転は鳥取延長の1年後に廃止される。この方向幕を見るとあたかも下関行があるような感じだが、実際には上りの2号だけだった。
(撮影:デューク)

 「おき」の行先方向幕2。
 リバイバル運転のときの方向幕。2度とないであろう新山口の文字がまぶしい。ところで、下の写真もそうなんだが、私(デューク)が所有している方向幕の写真はもっともスタンダードである「米子⇔小郡」が実はない。何でこんなイレギュラーなものばかり所有しているのか自分でも謎・・・なわけで。
(撮影:デューク)

 「おき」の方向幕3。当日乗車していた人でないと気づかなかったかもしれないこの方向幕。「やくも」の前身に当たる「おき」の方向幕が掲出されていた。12月6日の進行方向右側の方向幕がこうなっていた。米子と松江で見たときは新山口の方向幕だったので、途中で変わったものと思われる。
 しかし・・・この方向幕をお目にかかることになるとは・・・なんというのか・・・。もっとも、当時の方向幕はこうはなっていなかったわけですが。これを作りこんだJR西日本に脱帽するしかない。
(撮影:デューク)

 山口駅で撮影したリバイバル運転「おき」。山口の停車時間は20分程度にも及び、かなり自由な撮影時間を確保できた。ヘッドマークがつぶれてしまったのが残念だが・・・。リバイバル運転は大変良い思い出となことは間違いない。
(撮影:デューク)

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