特急【つばめ】
今となっては懐かしい787系旧塗装。
(写真:鹿児島本線 熊本駅/撮影:裏辺金好)
●基本データ
登場年:1930(昭和5)年 /1992(平成4)年運転区間:東京〜神戸 → 東京〜大阪・広島 → 名古屋〜熊本 → 岡山〜西鹿児島/ 博多〜西鹿児島
元使用車種:151系、485系、583系、783系、787系など
●列車の解説
まずはじめに、少しだけ「つばめ」の愛称の生い立ちから解説する。最初に「燕」として登場したのが1930(昭和5)年。東京〜神戸間においてであった。この頃の夢の超特急といえば「燕」のことであった。しかし、戦争が激化していた1943(昭和18)年に一旦廃止されてしまう。
そして戦争の混乱がとりあえず収まった1950(昭和25)年、再び「つばめ」が東京〜大阪間で登場した。その後、東海道本線にはモハ20系(151系)による特急電車の運転が始まり、それが大好評となったため、1960(昭和35)年に「つばめ」にも151系が投入され、電車時代を迎える。
1962(昭和37)年にキハ80系「へいわ」を吸収して運転区間は東京〜広島間となり、老舗特急としての貫禄を見せた。そして1964(昭和39)年の新幹線開業で、新大阪〜博多間の特急となるが、程なくして481系により名古屋〜熊本間の特急となる。この頃から583系などでも運用されるようになる。さらに1972(昭和47)年の新幹線岡山開業で、岡山発着となるが、一部の列車が西鹿児島まで足を伸ばすようになる。しかし、1975(昭和50)年の新幹線博多開業で、「つばめ」は廃止となった。
さて、JR時代を迎えると、JR九州は特急列車のサービス向上を熱心に進めるようになるが、その集大成といえるのが787系であった。さっそくこの車両を西鹿児島まで運転されている「有明」に投入することになったが、従来の特急にそのまま投入したのではインパクトに欠けると言う事で、愛称を変えることになった。
西鹿児島まで足を伸ばしていた特急としては「つばめ」「なは」「かもめ」があったが、「つばめ」以外は当時も使用されていたため、「つばめ」が採用された。新型車両とともに「つばめ」の愛称が復活するということで世間からも大いに注目を集めた。当初は787系の数が足りずに783系も運用に入っていたが、ビュッフェ車まで連結し、大好評の787系と比して見劣りがするのは否めず、1996(平成8)年までに787系に統一された。
さて、順風満帆で船出した「つばめ」であったが、九州新幹線の開通が迫ってくると、影響を受けないわけにはいかなかった。当時、さすがに以前ほどの人気の過熱はなくなっていて、基本的に7両編成での運転であったが、新幹線との定員を合わせるにはビュッフェ車が「邪魔」となっていた。また、新幹線開業で、運転区間が大幅に短くなり、採算の問題もあったので、ビュッフェのスペースを客室に改造して定員を合わせることになった。したがって、末期の「つばめ」は多少地味な印象は免れなかった。
結局、2004(平成16)年3月の九州新幹線の開業によって愛称は新幹線に譲り、それまでの列車は「リレーつばめ」となった。余談であるが、2004(平成16)年10月にJR東日本が583系を使用して夢の超特急「つばめ」を品川〜名古屋間でリバイバル運転した。
●ギャラリー
485系時代の特急「つばめ」。
(写真:山陽本線 岡山駅/撮影:透様 禁転載)
1981年7月25日と26日にEF58形+14系でリバイバル運転された特急「つばめ」。
(写真:東海道本線 大阪駅/撮影:ひょん君)
同じく1981年7月25日と26日にEF58形+14系でリバイバル運転された特急「つばめ」。
(写真:東海道本線 新大阪駅/撮影:ひょん君)
末期は後に「リレーつばめ」塗装となる車両で運用された。
(写真:鹿児島本線 鳥栖駅/撮影:裏辺金好)
787系「つばめ」方向幕。
(撮影:裏辺金好)
リバイバル「つばめ」。2004(平成16)年10月2・3日の両日、品川〜名古屋間で運転されたもので、貴重な国鉄色の583系を使用した列車であった。新幹線開業前しか運転されていなかった区間の運転ということで、注目された。新幹線開業40周年にふさわしいイベントであった。
(写真:東海道本線 品川駅/撮影:裏辺金好)
同じくリバイバル「つばめ」。
(写真:東海道本線 品川〜川崎/撮影:デューク)