2012年6月13〜15日 筑肥線と大分県内の土木遺産などを見る
〇撮影&執筆:リン
途中に仮眠を挟みつつの夜通しのドライブでたどり着いたのは九州。どうせトワイライトを狙って山口に向かうのであれば、九州に行っちゃえば福山〜山口の1往復分手間が省けるよね!という発想で企画された強行軍です。まず始めに向かったのは糸島市。筑肥線の103系や303系を未だ見たことも撮影したこともなかったため、ちょっと遠方ではありますが撮影しておくことに。朝から訪れたのはラッシュ運用で狙いやすいことと、順光で狙えること、列車の本数そのものが多いため。良い具合に撮影できる場所も見つけ、三脚を据えてガッツリ撮影。
意外なことに2000系は1本しか見かけませんでした。
103系は3+3両編成に出会えず。唐津あたりまで行かないと厳しそうですね。
本数としては一番多かった1000系。
適度なところで撮影を切り上げ、次に向かったのは福岡空港。元々、予定には全く入っていませんでしたがちょっと寄ってみようと思い立ち、ラッシュを避ける意味合いで都市高速経由で向かいました。
ちょうど着陸するところを撮れそうな公園があったので、その近くから何枚か撮影。
全く何の下調べもないままに訪問しまず飛来したのはスターフライヤーのエアバスA320(JA07MC)。機体番号から検索したところ、デリバリーからわずか2ヶ月足らずの新しい機材のようです。高級感漂う塗装で格好いいですね。
福岡空港HPのフライト情報を眺めていると天草エアラインの運航する便が間もなく到着するとのことで待ち構えて撮影。いやあ小さいですねえ。
あとは何機か撮影したものの全部ANA系列。現地に到着する直前にはピーチ・アヴィエーションの機体も見えたのでもっといろいろバリエーションが多いと思ったのですが…それとも私の我慢が足りなかったのでしょうか。 意気揚々と次の撮影に向かう…のですが、ここから先はやることなすこと全てが上手くいかず総崩れ。
くろがね線を狙うも車を停められそうな場所が見つからず、周辺も一方通行の狭小路ばかりで撮影不可。
源じいの森のヨ9001を撮影しに行けば改修工事で臨時休館。
日豊本線の485系臨時や貨物を狙えばロケハンに手間取り2本とも目の前を通過されるという有様。
つまるところ、どれもこれも下調べが不十分だった結果なのですが、それでも多少は何か戦果を残せるものなのですが、見事にカメラの電源すら入らないまま宿に向かいました。
予定よりも大幅に早くチェックインできたので、カメラだけ持って高架化された大分駅を見に行ってみました。非常に綺麗で清潔感あふれるコンコース。そして改札内トイレにかかる暖簾のデザインを見た瞬間に「あ、水戸岡さんのデザインだな」と分かる内容でした。まあ、日常的に見るものだからか氏の手がけた列車に比べれば控えめな装飾ではありましたが。
明日も梅雨の中休みとなりそうな九州北部。今日とは打って変わって鉄道から離れた撮影対象なだけに空振りは無いと思いますが…果たして。 前日を散々な結果で終え、ホテルで9時間たっぷり睡眠を取った朝。この日も梅雨の中休みと言うべき好天に恵まれました。
さて、翌日は竹田市方面に回る予定だったのですが、前日の散々っぷりから急遽、朝に大分までやってくる貨物列車などを撮影。
地図から適当に場所を探し、別府大学前〜西大分のR10旧道にスタンバイ。やや電柱がうるさいものの、足場もしっかり確保できなかなかの場所。
0番台の59号機でした。目立った置き換えの話が出ていないED76形ですが、撮影できる時に撮影しとかないとダメですね。
さて、ここから竹田市に向かうわけですが、ナビが案内したのはR442。特に何も意識せず車を走らせると…
酷道じゃねーか!まあ、言うほど狭くもなく、非常にライトな酷道ではありましたが、それよりもこんな道を案内するナビの方が問題アリなのではないかと。一部区間はダム建設に伴う事業でもって道が広がりつつあるようでしたが、豊後大野市の区間は当分先まで残りそうです。 R57に合流し、笹無田トンネルを出てすぐに右折したところが最初の目的地。
国登録有形文化財の「若宮井路笹無田石拱橋」。朝地町の農地に水を引くための施設で、破損と修復を繰り返して現在のものは大正6年製。石積みの非常に巨大な2連アーチ橋です。
水路の上まで登ることが出来、すぐ横を走る豊肥本線との共演も。奥に見えるのはR57笹無田トンネルの旧道。 さて、なぜ今回こんなのを撮影しに来たのかと言うと、↓これが理由。
15日にトワイライトが走る→せっかくなので無駄にならない行程を→九州よくね?→通潤橋とかどうよ?→遠いし放水やらないらしいよ→九州で水関係と言えば「二階堂」のCMでいろいろ出てくるよね→ここ行ってみたい
…我ながら私の思考回路が謎です。結果的にはこっちが本題にすらなっていました。先ほどのアングルも完璧にCMを意識してのもの。ちょうど数分待っただけで列車がやってきましたし。
さて、「荒城の月」の舞台となった岡城址は時間と予算の都合で駐車場から石垣の一部を遥拝するのみで終了し、次の「白水溜池堰堤」に向かいます。事前に調べた情報では山深い隘路を進まなければならないとのことでしたが、行ってみると要所要所での看板の案内と明らかに近年整備されたっぽい道や駐車場で難なく到着できました。
日本一美しいダムとまで呼ばれる白水溜池(堰堤の高さが15mに満たないので正式なダムではない)ですが、噂通りの優美さ!越流した水が白糸の如く流れ落ちる様はいつまで眺めていても飽きません。その優美さは機能性も兼ね備えており、火山性の土地で侵食に脆い両岸を保護し同時に中央分の水流も緩やかにするために左右の水を曲線と階段を用いて中央に集める構造。向かって左側は滑らかな曲線を描いています。
向かって右側は階段状。ただの階段ではなく主堰堤に合わせて徐々に段が現れるという凝った作り。先の石拱橋やお隣熊本県にある通潤橋などもそうですが、この地域の石工はレベルが高すぎるような気がします。 かつては主堰堤の真下・副堰堤の上を歩けたとのことですが、今は立入禁止になっています。残念。 いつまでも眺めていたくなるような美しさだったのですが、時間もあるので次へ向かいます。
白水溜池から車で10数分のところにある「音無井路十二号分水」。全国に散在する円筒分水のひとつで、先に挙げた2カ所共々「二階堂」のCMに登場します。水の配分を巡って争いが絶えず、その打開策として昭和9年に整備されたもの。中央から勢いよく湧き出る水を、周囲3方向に分水しています。奥2つは暗渠、手前1つが明渠として整備されており、直径は10メートルにも満たないものの今でも現役の水利施設として利用されています。すぐ脇に建つ看板の文言「水は農家の魂なり」という言葉がこの3施設からもよく分かります。
「二階堂」のCMには他にも百木公民館などが登場しており、この公民館自体が円形分水から数百メートルのところにあるのですが、今回はパスして次へ向かいます。何だかんだで距離が長く、時間に余裕があるようで実はそうでもなかったりします。
次なる目的地も大分県の日田市なのですが、一旦熊本の阿蘇まで出て回り込むルートを取ります。県道を細かく走りつないでR265で外輪山の東側から阿蘇に降りていきます。これでヴィッツは初の熊本入り。というかこの1ヶ月で浜松から熊本まで行動範囲広すぎ。
視界に飛び込んできたのは異様な車窓。山に木がありません。恐らく火山性の土地で保水性に乏しく、木が根付かないとかそういう話なのではないかなと思いますが、低木性のマツすらいないとは。 阿蘇に降りたものの、今回はただの通過地点。R212で日田を目指します。
…が、途中に「大観峰 2km」の文字が見えたので、寄り道。外輪山の北側に当たる峰から阿蘇五岳を一望できる場所で、非常に気持ちがいい!
画像ではその雄大さを語ることが出来ませんので、是非一度足を運んで実際にご覧になることをお勧めします。 思わぬ寄り道ではありましたが充実した気分に浸ることが出来、意気揚々と日田市へ。ここでは「日田天領水 元氣の駅」に保存されているED76形と14系寝台車をサクッと撮影。
ED76形の機器室はモーターなど一切が撤去され、「富士」の歴史を紹介するコーナーになっていました。ただ、運転席にも座ることが出来るようになっているのは素晴らしい。
ヘッドマークも方向幕もきちんと「富士」で統一されていたのに何故かテールサインは白抜きのまま。写真の反対側では何か修復工事が行われていたのでその関係でしょうか? 阿蘇から走行してきたR212を再び北上し耶馬溪方面へ。本来の目的地はこれをそれなりに下ったところにあるのですが、走行中に国道を横切ったサイクリングロードがふと目に留まりました。予定を組む上で全く考慮に入れてなかったのですが、大分交通耶馬渓線があったことを思い出し「これは廃線跡に違いない」とすぐさま集落の中に飛び込んでみたところ、まさにビンゴ。
下郷駅跡でして、この上流側にもいくつか駅があったらしいのですが今更戻るのも時間が足りないと言うことで妥協。 この下郷駅は現役時代は相対式1面2線かそれに似たホームだったらしく、道路を挟んで同じ高さの石組みが残っていました。駅舎は当然ありませんでしたが、短いながらも駅前通りだった道はしっかり残っていました。 廃線から相当な時間が経っていますが、意外と残っているもんですね。
こちらは柿坂地区を過ぎたところにあったカーブを描く橋梁。橋脚は恐らく鉄道時代のものがそのまま転用されているとみて間違いないでしょう。
橋梁を渡った先にはトンネルが。どう見ても鉄道用ですね。 本来であればもっとじっくり見て回りたいところなのですが、国道用地に転用されたかサイクリングロードになったかという状態が延々続くとのことで、これぐらい撮影できていれば充分ではないかと。 続いては当初の予定では最後の目的地だった青の洞門へ。これの存在を知ったのは小学校の道徳の授業でして、それ以来ずっと気になっていた場所でした。
もっと残っているのかと思っていましたが、禅海和尚が掘ったとされる部分は僅かに残るのみでした。ただ、現道も近世の手掘りのトンネルで幅が狭く、これはこれでなかなかのもの。 さて、青の洞門の駐車場にあった観光案内図を見てみると、「耶馬渓橋」なる石造りのアーチ橋があるとのことで行ってみたところ、非常に壮観で素晴らしい!
8連アーチ橋は日本最長らしく、10数年前に行われた修繕工事が奏功して車での通行も可能という状態。今でも地元民の生活道路として立派に現役です。
さて、まだまだ明るいですが時刻は午後6時。中津市方面へ向けて車を走らせ、早めの夕食をいただくことに。
ここまで来たからには外せない「汽車ポッポ食堂」さん。耶馬渓線の車両を利用したレストラン・民宿として割と知られた存在です。今回は食事だけいただきましたが、良心的な価格とSLのケツを眺めながらの食事で非常に満足できました。今度中津に来る時には宿泊させていただきたいですね。
これにて14日は全日程を終了。あとはトワイライトに備えて移動ということで、小倉を都市高速で回避した以外は一般道を延々と走行し0時30分に大竹に到着。準備をして車内で仮眠を取ります。
翌朝。起きたら6時13分。寝過ぎた。 列車の通過は6時40分過ぎということで、30分もありません。実際、トワイライトの前に撮影できたのは普通電車1本だけ。ほぼぶっつけ本番でした。
ですが外しません。何の捻りもない構図ですが、やっぱり格好いいですね。 さて、追っかけ開始。この後、南岩国で20分弱、徳山と新山口と小月で8分程度ずつの停車があるのみのダイヤなので、朝ラッシュで混み合いそうな岩国市街地を通過するルートを避け、山陽道で一気に光市へ。 ここはロケハン一切無し、車で走って適当に見つけた場所でしたが架線柱をかわしギリギリでフレームに収まりました。
R188からR2徳山バイパスと乗り継いで危うく渋滞に捕まるところでしたがギリギリで回避し山陽道に再び突入。山口南ICからR2小郡道路を経て「原条クロス」と呼ばれるプチ俯瞰ポイントへ。俯瞰は好きではないのですが、あれこれ場所を見繕うよりも分かりきった構図で勝負した方が無難でした。
いやはや感無量。新山口以西だと「オノアサ」で有名なS字カーブがあるのですが、昨年末頃から封鎖されてしまい撮影不可となったのもここを選んだ理由でした。
ついでに117系福知山色も撮影。トワイの通過前に新山口に向かっていたのでその折り返しで狙えました。
このあとは適当に時間を潰しつつ、上りのトワイライトも撮影するつもりで小月〜埴生でスタンバイ。
2074レ。EF200形の仕業で運が良ければムドも付くのですが…ご覧の通りでした。
2074レの時点でポツポツ来ていた雨がこの後強まる予報ということで、思い切って撤収。行きと同じようにひたすらR2を走行…するつもりでしたが気が変わったので徳山からR188経由で柳井回りのルートへ。それ以外は広島市内を山陽道で回避したぐらいで何も変わったところは無く、21時に無事に帰宅しました。
今回の遠征でヴィッツの走行距離は1650km。リッター20km/lなら2回の給油が必要な距離ですが、速度の変化の少ない街道筋というルート選定とエアコンを一切使わずに走行する方法を合わせたことにより10・15モード並のリッター23km/lを記録。おかげで1ストップでの走破となりました。車検前にやたらと走行距離が伸びた…。