2014年11月12日・13日 普通のコンパクトカーが【南九州】走ってみた。
〇撮影&執筆:リン
最近は急に予定を組んでさっと出かけてさっと帰るお出かけが大半でしたが、今回の連休を利用した旅行は割と早い段階から計画していました。そもそも、9月に所長に巻き込まれる形で熊本・大分までクルマを出す予定だったのが台風で取り止めとなったのが発端。実は北九州空港で解散した後、再び九州道で福岡→熊本と戻り、翌日の休みに阿蘇→高千穂→佐賀関→三崎港と回って帰るという予定を組んでいました。
それを再利用しつつ、2日フルに使う形の行程を再構築し直して当日に臨みました。
クルマでの移動だったので、拠点間ごとの距離とおおよその旅行時間を算出し、無理に計画をねじ込んで間に合わせられず崩壊する、と言う危険性を極力排除した計画となっています。日の勤務をきっちり定時で上がり、18時30分前には職場を出発。今回の出発地点はここです。
一度帰宅しシャワーを浴びるなども考えましたが、どうしてもR2が帰宅ラッシュで混雑し、後々の予定が厳しくなるので帰宅せずそのまま直行することにしました。そんなわけで、クルマには仕事着が乗ったまま鹿児島まで往復することになります。
しまなみ海道を走行し、まずは来島海峡SAで夕食と休憩。ここでFaceboookに1回目の更新を行いましたが、よもや九州に行くのに愛媛に渡るなどとは思いますまい…と思っていたら2回目の更新で早々とバレました。
さて、定時上がりのお陰でかなり時間に余裕があったので、愛媛県内は一般道走行を選択。普通なら今治→松山は海沿いのR196を使い、北環状で松山市街地を抜けるルートなのですがナビの設定を距離優先にしたところ山を抜けるR317コースを示したので、久々に山を攻めることに。
タイヤを鳴らしつつ山道を抜け、奥道後に出たところで沿道に急に姿を見せたのは…
レストランに改造されたキユニ25 1でした。
所長より情報はいただいていたのですが、まさかこんな所にあるとは。と言うか数年前にもこのR317は走行しているはずなのですが、営業時間外でライトアップされていなかったせいで気付かなかったのでしょうか。何はともあれ良い収穫でした。
さらに松山市駅前を抜け、伊予市付近から2ヶ月前にもたっぷり走行したR378へ。海沿いの快走路ということもあり、大型車がやたら飛ばしてくるので何度か道を譲りつつ、八幡浜港には22時15分に到着。
乗船手続き等は23時頃からということなので、それまで車内で休憩し、23時30分に車両積み込み、23時50分に出港。
今回お世話になった宇和島運輸フェリーさんですが、いつものスオーナダフェリーさんに比べいろいろ豪華です。輸送量の違いというのもあるのでしょうが、何とも…。
ただ、八幡浜なんて今回のように早帰りが出来るような日ではないとなかなか使うこともないので、結局はスオーナダフェリーさんの世話になりそうです。
さて、臼杵に2時10分に到着。ここからも比較的余裕のある時間設定なので、ノンビリ走行します。ナビが示した道はR502→R10→R502→豊後大野市→R326→延岡市→R10というルート。これに従って南を目指します。
ただ、忘れちゃいけないマンホール。例え深夜2時半だろうが見つければ撮影します。ということで、大分県野津町(→臼杵市)のマンホール。町内に存在する国重文の虹澗橋と、金明孟宗竹・潜龍梅というこれも町の名物を取り入れた秀逸なデザインです。
さて、濃霧に覆われつつ途中の道の駅宇目で1時間ほど仮眠を取り、最初の目的地に7時前に無事に到着。
場所は都農〜川南にある個人的な撮影ポイント。3年半前にレンタカーで訪問して以来の場所です。こんな所までマイカーで来るなんて…。
そもそも、「ドリームにちりん」が廃止になっていなければこんな事には…。
愚痴を言っても仕方ありません。まずはこのあたりでは新鋭の817系。
後追いながら713系の姿も見られました。こちらも817系や後継車両が登場すれば分からない存在ですが、車内がやたらとハイグレードな作りなので意外と長生きするかも知れません。
そしてわざわざ早朝に宮崎まで乗り込んだ理由はこれ。こればっかりはこちらが予定を合わせるわけにもいかず、たまたま曜日が重なったという形ですが、それでも念願の撮影が遂に実現しました。
このあと、「ななつ星」は高鍋で長時間停車するので、朝ラッシュに揉まれても充分に先回りが可能です。
ということで、日向新富〜佐土原に架かる一ツ瀬川橋梁に到着。ご覧のように朝日がバッチリ差し込む有名撮影地で、人が多いかな…と思っていましたが、意外にも先客は1名。私の後も1名と列車見物の地元の方2名での合計5人で「ななつ星」の到着を待ちました。
そして定刻に通過!
この編成を順光で撮影するのは初めてでしたが、客車側面のエンブレムがキラリと反射し格別の格好良さでファインダーを覗きながら感動。夏場だと虫の衝突痕で先頭も汚れることと思いますが、それも殆どなく非常に綺麗な状態でした。
…が、シャッターを切った直後にこちらから見て左側から列車前方に飛び込む黒い影と「パンッ」という音。そしてあたりに舞い散る羽毛…。どうやらハトが列車に飛び込んできてバードストライクとなってしまったようです。幸い、列車の運行に支障はなかったようですが、あと数秒早ければこちらとしては大惨事でした。
他の方は「ななつ星」の通過で帰宅されたり仕事へ向かわれたりしていましたが、私はこの後北上するのでもう少し撮影続行。
3系「ひゅうが」も最高の光線でゲットです。
これにて一ツ瀬川橋梁での撮影は終了。来た道を引き返す形で北上します。
この近くには新田原基地がある関係でこの日も戦闘機の爆音が響いていました。ちょうど上空を早期警戒機?が飛んでいったので信号待ちの最中に撮影。こっちの方はサッパリですね。
さて、宮崎市の北端からR10を引き返し、延岡市街地を東九州道経由で回避しR218へ。次なる目的地へ向かいます。
…が、急に目の前に現れた場所にちょっと寄り道。
旧北方(きたかた)町(→延岡市)の中心駅だった川水流(かわずる)駅のある川水流地区に差し掛かったので、地区内の道路に入り駅跡を発見。ちょうど集落の入り口に跨線橋跡があったのですぐに気付きました。
ただ、残念ながら駅跡地は完全に更地。それもそのはず、高千穂鉄道が廃線となった原因の2005年の大水害の際に、当駅は留置されていた保線車両もろとも水没するという被害を受けたとのことで、それからの復旧の際に全て一気に撤去してしまったのでしょう。
当然ながら、旧北方町のマンホールも忘れません。中央は町の花のスイセンと町の鳥のメジロですが、注目すべきはその周囲。
旧北方町は1889年の村制発足以来、大字に干支を用いる全国でも唯一の自治体だったとか。そのため、マンホールの外周にも干支を並べています。
さらにR218を走ること30分少々、本来の目的地に到着しました。
日之影温泉駅。高千穂鉄道が現役だった当時から駅舎で温泉が営業していたという珍しい駅。高千穂鉄道の廃線後も温泉は引き続き営業しています。
さらにホーム跡(かつての線路上ではなくホーム上)にはTR-100形が2両保存され、「TR列車の宿」として営業しています。
ただ、写真で分かる通り、車体は真ん中で真っ二つにされ、それぞれが個室として利用できるよう大幅に改造されています。屋根にも何やら手が加わっている様子。
それでも、こうして以前の姿をしっかり留めているのは特筆に値するのではないでしょうか。ちゃんと手入れも行き届いているようですし。
ホームにはかつての駅名標が残っています。
そして、駅舎の一角にはささやかながら展示室も用意されています。そう言えば駅舎の外観を撮影し忘れた…。
ここで休憩タイム。前夜に風呂に入れなかったのでここで汗を流し、さらに昼食もいただきます。
温泉は源泉の温度が38℃ということもあり少々ぬるめでしたがちゃんとした温泉で非常に快適。何より平日の昼前という時間帯のせいか、男湯は私1人で貸し切り状態だったのがありがたかったですね。
ちなみに高千穂鉄道の他の廃線跡ですが、全く予定に組み入れていませんでした。と言うのも、R218旧道こそ五ヶ瀬川・高千穂線に沿う形だったのですが、ご多分に漏れず酷道でかつ延岡市と連絡する幹線道路だったため早期にバイパスが整備。上記写真の青雲橋ような深い峡谷を跨ぐ橋を大量に架け、旧道よりも遙かに高いところを通過していくために廃線跡を探索するにはいちいち細い道を降りていかなければならず、非常に手間がかかってしまうのです。
というわけで、次なる目的地の高千穂町へ向かいます。
が、少々日之影温泉駅でゆっくりしすぎた部分があり、予定の時刻より僅かに早い程度だったために手早く行動。
まずは高千穂神社。垂仁天皇の世に初めて社殿が創建されたとの言い伝えの残る神社です。
とは言え、通常の拝殿と本殿を備え、末社もさほど多くはない、外観は割と普通の神社です。
拝殿。左脇には根を同じくする2本の杉「夫婦杉」が立っており、近年のパワースポットブームもあってかカップルや夫婦で記念撮影をする人が絶えませんでした。
この拝殿の内部に、国指定重要文化財の鉄造狛犬が安置されています。鎌倉時代の作で、源頼朝奉納と伝わるもの。
そして本殿も国指定重要文化財。安永7年に建てられたもので、この地域特有の建築様式を残すことが指定の要因となったようです。
中でも特筆すべきはこの彫刻。東側の脇障子にあり、高千穂神社創建の元となった三毛入野命(みけぬのみこと)がこの地を荒らしていた鬼神の鬼八を退治する場面を彫ったものだそう。なかなか他に例を見ないですね。
さて、高千穂神社の参拝もそこそこに町内観光へ。もちろん、マンホールもぬかりなく。
高千穂町には2種類のマンホールが交互に設置されているようで、こちらは新和の地らしく山に昇る太陽と鳥居をデザイン。鳥居が「TAKACHIHO」のTになっているのもなかなか良いですね。
もう1枚がこれ。こちらは郷土色が強く、高千穂峡や高千穂大橋など町内の名所が描かれています。右側の男性は、郷土民謡である刈干切唄が高千穂町発祥であることから描かれています。
高千穂神社を出発し、高千穂町でもう1カ所巡りたかった場所へ。
それがここ、「トンネルの駅」。高千穂駅から高森駅へ向けて建設が進められながらも放棄されたトンネルを再利用した施設で、ここの一角にTR300形2両と8600形が保存されています。
TR300形は訪問日は営業こそしていなかったものの車内を改造の上で喫茶店として利用されているとのことで、外観もかなり綺麗な状態で保存されていました。
南阿蘇鉄道側にも同様の前面を持つ車両が在籍していますね。あちらもいずれは訪問したいのですが…。
00形48647は橋梁の上に保存。JR九州の58654への部品供給をしたこともあると案内板に記載されていましたが、確かに保存状態は良好そうです。場所が場所だけになかなかいたずらされにくいという部分もあるでしょうし。
ちなみに、「トンネルの駅」そのものはこんな感じ。街道沿いにある酒造会社直営の売店といった感じで、奥に見えるトンネルで焼酎の貯蔵を行っています。
入り口から30メートルほどは自由に見学が出来ますが、入った瞬間に独特の香りが漂ってきます。
右側には焼酎が詰まった樽がズラリ!手前にある樽でも平成8年に作られたもののようで、今年で18年。奥の方には一体何年ものが眠っているのやら。
高千穂町で本来巡る予定だったのはこの2カ所でしたが、町の案内板を見て急遽1カ所追加。
それがこの高千穂駅。冷静に考えれば廃線跡として当然巡るべき場所だったと思うのですが、何故か予定に組み入れていませんでした。
当日は高千穂あまてらす鉄道がお休みだったので駅舎や駅構内の撮影は出来ませんでしたが、脇の階段から駅舎の屋根越しにホームを伺うことが出来ます。
さらに駅のすぐ脇を通る町道から。車庫左手に見える場所に、TR100形が保管されています。
延岡方面。公園内遊具扱いながら復活を目指していることもあり、しっかり手入れされ今にも列車がやって来そうです。
これにて高千穂町を離れ、あらかじめ検討しておいたR218→山都町→R265→R327というルートで諸塚村へ向かいます。最短距離のR503を使わなかったのは時間帯通行止めに当たりタイムロスとなるため。カーナビ自体は終日通行止め扱いとしてこのルートを案内してきましたが。
諸塚村へ向かったのはマンホールのためでしたが、下水のマンホールはあれどスリップ防止の汎用タイプ。少し探し回ってみましたがそれしか見つけられなかったためやむなく撤退。酷道の割に交通量の多いR327を引き返し、椎葉村へ。
椎葉村には下水が整備されていませんが、消火栓や止水栓にオリジナルマンホールがあります。
椎葉村には平家の落ち武者伝説が残ることから、平家の家紋である揚羽蝶を描いています。
こちらは止水栓のマンホール。
椎葉村には国重文の鶴富屋敷という魅力的な名所があるのですが、時刻は既に4時半。急いで椎葉村を離れます。と言うのも、
九州最凶酷道とも言われるR265を走行するため。いくら九州で多少日が長いとは言え、日没となれば明かり一つない山道。初見でそんな酷道を走るのは危険すぎるということで日没までに反対側の麓へと抜ける必要があったのです。
宿を確保した鹿児島市へは、一般道経由だとこれが本当に最短ルート。距離は短いですが、精神的にはいろいろ持って行かれます。
椎葉〜諸塚ほど交通量は多くなく、対向車も4台しか会いませんでしたが、こんな山道が延々と続くので慣れてないと本当にハードです。
無事に峠を挟んで反対側となる熊本県水上村に到着した頃に日没。うむ、ベストな時間の使い方です。
休憩を兼ねて車を停めたところでマンホールを撮影。
村内に建設された市房ダムの湖畔に植えられた桜が有名な水上村ですが、日本一の桜の名所を目指すという意味を込めての漢数字の「一」が入った面白いデザインでした。
ここで完全に日没となったため、R388→R219→R221(人吉ループ・えびのループ)と走り、詳細なルートは忘れましたがさらに県道を経由し加治木付近でR10に合流し、鹿児島市の宿に20時前に無事に到着しました。翌日もバリバリ走り回りますし、そもそも睡眠不足なのでさっさと休み、翌日に備えます。
さて、鹿児島市のホテルで夜を明かし、午前6時に出発。出発直後にフロントウィンドウが汚れているなと思い、ウォッシャー液を使いワイパーを動かしたのですが…
しばらく後になって気付いたのですが、桜島の降灰だったようです。写真のように流れて残った粉末が灰色でしたので…。
さて、鹿児島市中心部から途中信号無視して左折していったクルマをたまたま信号待ちで先頭に停まっていたパトカーが即捕まえるなどの光景を眺めつつr219・R225経由で走行すること1時間。
南さつま市にある阿久根商店の自動販売機コーナーに到着しました。
今回の旅行の最南端到達点にして、私自身の最南端到達点、レンタカー・自家用車を問わずハンドルを握っての最南端到達点をも更新した形となります。
ここは、日本最南端にして九州で唯一のうどん自販機と、西日本では絶滅寸前のハンバーガー自販機が並んで稼働している場所です。
今回の旅行では当初は人吉市に宿泊する予定でしたが、ここを訪問するためにわざわざ鹿児島市まで移動して1泊しました。
阿久根商店自体が製麺業を営んでいることもあり、当然麺は自家製。小湊地区にある24時間営業の自販機コーナー(→ファミレス大手のジョイフル)ということで「コミジョイ」の愛称で親しまれている同商店のうどんは事務所でも持ち帰り用が販売されているようです。自販機で買うよりも安いお値段。
ハンバーガーの方も年季が入った外見で、稼働しているのかどうか怪しい状態ではありましたが、ちゃーんと動いてます。
メニューは訪問時はチーズバーガー1種類。過去に訪問された先達のサイトを見ると普通のハンバーガーもあったようですが…。
そんなわけで、本日の朝食の天ぷらそばとチーズバーガー、それに小銭を作るために購入した缶コーヒーで合計700円。
今回の旅行は昨日の風呂と言い、旅の目的と手段が一致しておりますなあ…。
天ぷらそばも天ぷらうどんも基本的に同じ具。ふたを兼ねた大きな天ぷら1枚と、麺の下にナルトと薩摩揚げ2個が入ってこのお値段。お出汁も本州のものとはかなり違うものの美味しくいただきました。
ハンバーガーは写真を撮り忘れましたが、まあ普通のハンバーガーでした。電子レンジで加熱して出てくる仕組みですが、紙包装ということもありバンズからは適度に水分が抜けて意外と良くできてました。
さて、本日もある程度予定が詰んでいるので手早く回らなければならないのですが、その前に蕎麦をすすりながらよらなければならないと思いついた場所が2カ所ほど追加に。
まずは車で10分ほどの加世田運動公園の一角に保存されている12号蒸気機関車の撮影へ。たまたま…だろうと思いますが、国鉄C12形と同一番号にして同型の蒸気機関車。
南薩鉄道時代の自社発注車ながら、発注が1944年だったために戦時型設計として蒸気ドームが角形になっているのが特徴。
これの撮影を2分で済ませ、次の目的地へ。
次に向かったのは加世田駅跡。ここは現在バスターミナルが整備されていますが、上写真の通りロータリー中央部にディーゼル機関車と蒸気機関車が1両ずつ保存されています。
ディーゼル機関車はDD1201という車両番号。見た目からも大体想像できますが、産業用機関車を導入したという感じですね。
こちらは4号蒸気機関車。2両とも露天での保存にもかかわらず、綺麗に整備されています。
ここ自体が「南薩鉄道記念館」という施設のすぐ側であり、鹿児島交通の車庫の中にも他の車両が何両か保存されているとのことなのですが、訪問時が朝8時頃で朝ラッシュの忙しい時間帯だったことと、この後の時間もあり撮影はこの露天の2両を5分で済ませるのみ。
そんなわけで、加世田を後にしクルマを北上させること1時間半。
阿久根駅に到着。到着してみて驚いたのですが、駅舎自体はJR時代からの駅舎なのですが、綺麗にリニューアルされておりました。
待合室だってご覧の通り。
お察しの通り、水戸岡氏のプロデュース。このセンスは相変わらず諄いようですんなり受け入れられる不思議なものです。
阿久根駅…というか阿久根市自体、九州新幹線の開業で特急列車が全く停車しなくなり街が衰退したと聞きますし、何とか頑張って欲しいものです。
なお、阿久根駅に立ち寄った理由はもちろんこの「あくねツーリングSTAYtion」の撮影のため。寝台車が引退後も引き続き寝台車として使用されているのは嬉しい限り。トレインマークはほぼ色褪せてしまい何が印刷されていたか読み取るのも困難なほどになっていましたが、車両自体はご覧の通りしっかり手入れが行き届いていました。
ここの撮影も最低限に留め、さらにR3を北上。
そんなわけで到着、出水平野ツル渡来地。
…が、餌場にでも出ているのか思ったほどツルがおらず、私の大好きなマナヅルも多少はいるもののかなり遠くの方で撮影には適さず…早めに撤収することにしました。
ただ、比較的近くにいたナベヅルのつがいがディスプレイをしてくれたので逃さず撮影。
うーん、今年も釧路に行きたいですが飛行機の時間が微妙に合わないのが何ともしがたいですね。
こちらは警戒感なさ過ぎ。折からの北風に身をすくめておりました。
…ところでこのサギ、何?すくんでいるので身体の大きさは当てになりませんが、顔と時期とを考えるとチュウサギでしょうか。白鷺はいつになっても見分けきれません。
コサギは嘴が年中黒いので×。ダイサギは嘴の切れ込みが目の後ろまで回り込むのでこれも×。アマサギは九州以南では留鳥だそうですが、こちらは嘴が黄色いので×。カラシラサギなどというレアなのがいるとも思えず、消去法からしてチュウサギ…かなあ…。
そんなこんなで出水平野を後に…する前にこれを。
何度か近傍を通過していながら撮影していなかった、旧高尾野町のマンホール。
町の花のツツジを思わせる枠の中に、町の木のモミジを効果的に配置した、意外と良くできているデザインです。
出水平野を早々に後にし、人吉市に戻ってきました。
が、予定の時刻までは少々余裕があったので、ちょっとだけ予定を前倒し。
というわけで、「球磨郡マンホール巡り」開始です!
地図を眺めていたところ、熊本県南部のマンホールの撮影状況が手薄なことと、球磨郡の各町村は明治期の非常に小さな単位での町村が近年まで存在しており、一部は平成の大合併でも単独町村として残ったためかなり狭い範囲に密集しているようで手早く回れるようだったので計画を立案しました。
まずは人吉市からの入口となる位置にある錦町。
同町に墓所のある戦国時代〜江戸初期のタイ捨流という兵法を創始した丸目蔵人と、町内の丘陵地帯で生産が盛んな梨や桃にちなみ「剣豪とフルーツの里」の文字が入っています。背景は刀の鍔ですね。
ハンドホールも鍔の模様がない程度で基本的に同じデザイン。
続いては上村(→あさぎり町)。と読みます。
村内に存在する白髪岳とその麓にある白髪岳クマソ自然公園をアピール。村の花のコスモスも描かれています。
上村の蓋から目と鼻の先にあり、この後も各所で見かけた蓋。
中央には熊本県の県章を置き、その周囲に球磨郡東部の各町村の町村章と花を描いています。
上から時計回りに、深田村(ツバキ)・須恵村(リンドウ)・多良木町(ツツジ)・水上村(シャクナゲ)・岡原村(サクラ)・錦町(ツクシイバラ)・上村(コスモス)・免田町(リュウキンカ)・湯前町(ツツジ)ですね。
前述の通り、各町村の集落が球磨川沿いの地域に集まっているため、合同で下水道を整備したのかもしれません。
さて、ボチボチ時間となったのであさぎり駅へ。決して明石海峡大橋の足下の方ではありません。
お目当てはこれ。湯前駅で折り返してきた「田園シンフォニー」の撮影です。
平日だったためか2両に減車されていました。
こちらは「春」のKT-503。
「冬」のKT-501。ちょうどこのあさぎり駅から幼稚園児が大勢乗り込んでいました。
この駅を選んだのは対面式ホームであることと、交換列車があるため。人吉温泉方面からKT-104が入ってきました。
KUMA-1、KUMA-2も撮影したいところではありますが、この後の予定もあるのでくま川鉄道はこの撮影のみです。
ちなみに人吉温泉〜あさぎりはタブレット閉塞を用いているため、先着していた「田園シンフォニー」の運転士がKT-104の運転士からタブレットを受け取り、自車に戻っていました。
さて、マンホール巡りに戻りましょう。
まずはあさぎり駅前で免田町(→あさぎり町)のカラーマンホール。
町の花のリュウキンカを描いたシンプルなものですが、カラーにすると映えるデザインですね。
岡原村(→あさぎり町)。村の木のモミジと、村の花のサクラをデザイン。
多良木町。百太郎溝という、江戸中期に建設された灌漑用用水路に設けられていた旧樋門を描いています。残念ながら今回の旅行では、多良木町の14系客車ともどもルートからカットしてしまいましたが、多少時間が余る結果だったので回っても良かったかな…。
湯前町。非常に分かりやすいデザインで、町内にある親子水車を描いています。大きい方が直径14.1メートルだとか。
マンホールの撮影も兼ねて、湯前駅を訪問。国鉄時代の面影を色濃く残す、寂れた駅でした。
駅ホームは相対式2面1線という形態。南側が「レールウィング」という広場として整備されています。線路が続く先にはアーチ型のモニュメントも設置されています。
R219を東に向かう形でマンホール巡りをしてきましたが、この先の水上村は昨日撮影済みなので、一旦大きく引き返します。
球磨川の北岸にある須恵村(→あさぎり町)。町の花のリンドウを描いています。
須恵村の村内で撮影した、あさぎり町のマンホール。
球磨川の流れを イメージした波模様だとか。
深田村。村の花のツバキと村の鳥のセキレイ。セキレイは基本的に地上性なのであまり木に止まることはありませんが、たまに見かけますね。
この絵だとセグロセキレイでしょうか。
ここでガソリンが底を突いたので錦町に戻り給油。税込み159円なら頑張ってる方でしょうかね。
再び球磨川北岸に向かい、山江村へ。と言っても、同村を700メートルほど掠めているR445経由です。キッチリその沿道でマンホールを撮影できました。
同村がホタルの名所であることから、マンホールも水辺を舞うホタルが描かれています。
さらにR445を北上し、相良村へ。
村内を流れる球磨川の支流・川辺川に生息する魚を描いています。恐らく鮎でしょうか。
これで「球磨郡マンホール巡り」は終了。
実は五木村を残しているのですが、あまりに奥にありすぎてここまで回っていると流石に帰れなくなるので終了です。
とは言え、中途半端に時間が余ったので高速代の節約も兼ねてR219を下り、八代市へ。かねてより訪問したかったある場所を目指します。
その途中にこんな看板を信号待ちの間に発見。
八代〜天草にどの程度の需要があるのかは分かりませんが、R57の夕方の混雑具合を見ると、八代までというより天草からR3や九州道への流動を分散させる狙いがあるのかも知れません。
ただ、5kmもありそうな八代の海に架橋というのはいろいろ困難がありそう…。
さらにR3を北上していたところ、ナビの表示が八代市から氷川町に変わったので、脇道に逸れてマンホールを探したところ見つかりました。帰宅後に調べたところ、平成の大合併で発足した新しい自治体であり、マンホールも同様に新しいものということになります。
町の木(ナシ)・花(サクラ)・鳥(ツバメ)を配置し、周囲を恐らく氷川町の頭文字と思われるHで囲っています。
さて、寄り道で少々遅くなりましたが、追加した目的地に到着です。
R57沿い、住吉漁港の側にある長部田海床路。海中に延びる道路として知ってる人は知っている場所です。
トイレ付きの駐車場も整備され、ありがたい場所です。
街灯が取り付けられているので満潮時には海中に街灯が並ぶ不思議な光景が見られるのですが、訪問した際は見事なまでの干潮。時間帯は黄昏時ということで申し分なかったのですが…空も曇ってますし、また次の機会に。
ちなみに一般車両は立入禁止とのこと。残念。
これにて全行程終了。ただ、帰るまでが遠足です。
ここから松橋ICまで少々戻り、九州道・関門道・中国道・山陽道と一気に走破します。懸念していた帰宅ラッシュもほとんどなく、一気に下松SAまで移動し夕食。さらに空腹感が満たされて眠気が来る可能性も考慮し早めの移動を仕掛けたところやっぱり眠くなったので奥屋PAで仮眠。予定通り、福山東ICを0時2分に流出しました。
日間で1650km。いやー走った走った。