2015年10月3日・4日 予土線3兄弟、とさでん交通&魚梁瀬森林鉄道の遺構巡り

〇撮影&執筆:リン

 今月最初の週末も休み。つまり、3週連続で週末に休みがありました。
 しかも今週は月曜までの3連休。結論から先に言うと4日夜に歓送迎会があるという予定でしたので戻るようにしていましたがお流れになったので月曜は完全オフとなりましたが…。

 ということでネタを探した結果、春に逃した予土線3兄弟の連結運転があると言うことで出撃することにし、ついでに高知県内の他のネタも拾っていくことにしました。

 2日の仕事を片付け、ヤクルトの優勝を見届けた後22時40分に出撃。かなりのんびりした時間でしたが、しまなみ海道今治ICを日付が変わった後に通過しないと休日料金が適用にならないので…。
 そもそも宇和島までは220kmほど。かなり余裕のある時間のため、道の駅内子フレッシュパークからりと道の駅みまで合計3時間ほど休憩。道の駅みまで夜明けを待ち、場所探し。

 と言っても、事前に目星を付けていた場所に移動しただけ。
 三脚を立てて、4時間の待機です。

 それまでたまに来る普通列車を撮影して時間を潰します。811Dはキハ54形とキハ32形の2両編成。光線重視で後追い。

 4814D。「宇和島伊達400年祭」のヘッドマーク付き。

 4816Dは普通のキハ32形。これが予土線の日常風景ですね。

 直前の列車で雰囲気を掴むため、立ち位置でスタンバイ。

 4818Dは「サイクルトレイン」も兼ねていたため前1両をサイクリスト専用車両として運転されていました。

 さて、10時36分にいよいよやって来ました。

 やや薄い雲が流れていたもののしっかり日が当たりました。朝イチでスタンバイしていましたが、結果から言うと直前に来ても立ち位置は多少あったようです。まあ、余裕を持ってじっくり撮影できたので…。

 さて、ここから追っかけ開始です。
 近永で7分停車するのですが、吉野生手前の開けた場所などもすっ飛ばして真土〜西ヶ方のこちらも目星を付けていた場所へ。

 先客のライダーさんの横にお邪魔し、電線を避けられる構図で三脚を構えスタンバイ。この電線がかなり厄介でした。
 沈下橋が崩落していなければ予土線らしいアングルだと思いますが、これでも充分でしょう。1本だけ木が立っていますがちょうど編成全体が抜ける程度に開けてますし。

 三脚からカメラを外して後追いも撮影。

 ここからは江川崎で10分停車の後は窪川までほぼ一気に走破するダイヤのため、道路事情も勘案して一気に若井駅まで移動。どうせこの間には手軽な撮影場所もありませんし。

 敢えて若井駅では通過でもあることから後追いで撮影。この後のポジション確保も兼ねています。

 30分ほど後には「南風3号」が通過。アンパンマン列車でしたが最後尾のみ一般車でした。

 先ほどの3兄弟のうち「しまんトロッコ」を除く団体扱いの2両は定期列車に連結され土佐大正まで戻るということで、これを狙うために若井駅にやって来ました。
 先ほどの「サイクルトレイン」に連結されたため堂々の4両編成!最後尾の「鉄道ホビートレイン」はホームから完全にはみ出して停車しました。

 発車シーンは後追いで撮影。逆光ですが構図は問題ありませんね。  「しまんトロッコ」の撮影も考えましたが、せっかくなので車で90kmほど行ったところにある足摺岬に向かうことにします。途中の土佐くろしお鉄道は特に考えず…。

 てなわけで夕方の足摺岬に到着。気持ちいいところでした。

 日本の灯台50選にも選ばれている足摺岬灯台。戦後の築ということで文化財としての価値はあまりありませんが、景観に良くマッチしています。

 そしてすぐ近くにある金剛福寺にも参拝。人生いつかはお遍路に出てみたいものです。

 境内は綺麗に整備され、池までありました。風もほとんどなく、綺麗な水鏡が撮影できました。

 日没が迫っていたこともあり、この日の日程はこれで終了。国道を150kmほど走り、途中休憩も挟みつつ高知市内の宿に21時前に到着。ホテル近くのつけ麺屋で夕食としました。

 足摺岬を堪能し高知市内に一泊。朝食を食べ、徒歩数分のはりまや橋交差点に向かいます。
 こことその周辺で2時間ほどとさでん交通の電車をひたすら撮影し続けます。ということで、ほぼ写真の紹介に終始します。

 まずやって来たのは200形205号。非冷房車であることを詫びる貼り紙が前面と入口脇に貼られています。

 ローソンの全面広告となっている700形702号。山陽電気軌道時代よりも遥に長い期間、高知で運転されています。

 はりまや橋電停で並んだ200形202号と1000形1001号。

 貸切電車としても使用されることのある600形607号「おきゃくでんしゃ」。

 バスの方もとさでん交通の塗装に変わっていくようですが、左の高知県交通も右の土佐電鉄もまだまだ多数派という感じでした。

 桟橋五丁目と高知駅前を往復していたため何度か撮影機会のあった新塗装の200形210号。

 高知ケーブルテレビの全面広告となっている600形612号。

 全日空の広告を纏っていた600形622号。普通であれば高知〜羽田便の広告あたりがありそうなのですが、ANAのロゴだけでした。広告内容が決まらず、枠だけ抑えているというところでしょうか?

 こちらも桟橋五丁目までを往復していた590形591号。やや褪色が激しいのが気になります。

 アンパンマンミュージアムの広告車両として長く運転されている600形627号。

 さて、600形はいろいろ形態に富んでいるということで、ぱっと見で分かりやすいのが608号。608号を含む3両は前面窓を下半分のみ開閉可能としており印象が随分異なります。

 609号。これが最も多く見られる形態…かな?

 617号のように側面窓がバス窓タイプの車両もあります。製造が長期に渡るといろいろブレるんですねえ。

 2000形2002号。

 そして街中でももの凄く目を引く600形610号。パチンコ屋「ホームラン」の全面広告ですが、正式には「ランちゃん電車」と呼ぶそうでして、入口左にいる「春野ラン」が最初のキャラクターだったことからその名が付いたそうです。その後、他の4人が増え合計5人となって現在に至るとか。
 …ってイラストレーターさんのブログに書いてありました。ちなみに今年4月までのはずが1年延長になり、運転開始から3年経ったそうです。ノリノリですな。
 さらに、ランちゃんのブログまで存在していたり、社用車が必然的に痛車となるなどなかなか酷いことになってるようです。
 ……ま、ウチの地元にも似たようなパチンコ屋がありますし何とも言えませんが。

 さて、最初のお目当てだった100形「ハートラム」が来ました。運用は公開されているので撮るのも乗るのも楽ちんです。

 はりまや橋交差点を左折していくのを後追いで。1編成だけ連接車がいると存在感は抜群です。

 600形630号でようやく600形の新塗装もゲット。というか何度か撮影チャンスはあったのですが、交通量の多いこの交差点で被られずに撮れたのがこの1枚だけ…。

 ツーマン塗装の200形213号が来ました。ちょうど201号と並んだので撮影。201号は更新工事で前面窓を拡大しているので印象が異なりますね。

 少し場所を移動して後追いながら順光で撮影しておきました。

 今度は1000形1001号と590形591号が並んだのでこれも撮影。

 そしてようやく最大の目的だった外国電車の時間になったので南の開けた場所に移動してまず撮影。この日の充当車両は910形。一番稼働率の高い車両でした。

 時間の近接していた「ハートラム」の後免町行きは910形との兼ね合いで半逆光となる側面からの撮影になりました。前面幕で堂々と謝罪しております。

 910形は高知駅から南下してくる区間では併走する車を避けきれなかったので、堀詰電停の方に少々移動し無事に順光で撮影できました。
 それにしても高知での運転に際しかなりの改造を施したとのことで…外国電車と呼んで良いやら?

 何はともあれこれでとさでん交通の撮影は終了。車に乗り込みR55を東に向かいます。魚梁瀬森林鉄道の遺構巡りはいつでも出来るのですが、ここまで来たのでついでに回ることにします。魚梁瀬地区の展示運転は土日だけですし。
 さて、今回紹介する遺構は特記を除き全て一括して国指定重要文化財となっています。

 が、その前にたまたま時間の合った「しんたろう号」を狙えるということで適当に国道沿いの場所をチョイス。

 伊尾木〜下山の海岸沿いを走る区間に来ました。国道からも目立つ場所で、防波堤こそあるものの海と絡めて撮影が出来そうです。他にも良さそうな場所はありましたが時間の都合でここで。

 編成写真としては申し分ない光線でした。  さて、安田町の入口にある「輝るぽーと安田」の看板で遺構の場所をある程度確認し、馬路村への重要な道路でもあるr12を北上しつつ安田川線の遺構を巡っていきます。

 まずはエヤ隧道。明治44年築で、安田川線で建設されたトンネルとしては最も下流側にあります。当時のトンネルは道路用に転用されているモノも多いのですが、古いせいか川側に道路を作っており現在は使用されていません。

 エヤ隧道の上流側ポータル。右側の石に下流からの順番を示す「I」が刻印されています。

 次の遺構は明神口(みょうじんぐち)橋。こちらはやや時代が新しくなりますがそれでも昭和4年築。建築当初はヒノキ材で作られた橋だったようですが、後に鉄橋に架け替えられています。現在は右の看板にあるように軽自動車以下通行可の町道として活用されています。

 ちなみに橋はこんな感じで下が見通せます。

 明神口橋を渡ったすぐそばにはオオムカエ隧道があります。

 他のトンネルと同じく明治44年の築ですが、建築当時の面影を残す下流側ポータルに対し上流側は後年のコンクリートでの補修がなされている関係で、南側7mだけが重文指定されています。

 明神口橋は下流側の県道から見ることが出来、周囲の風景ともマッチしています。ちなみに安田川はアユの好漁場として賑わっており、この橋の下でも釣り人が川に入りアユ釣りをしています。

 さて、この後も遺構がいくつかあるようでしたが、そのまま魚梁瀬地区まで向かいます。

 魚梁瀬丸山公園で展示運転されているかつてのディーゼル機関車を復元した列車。往時の車両ではなく、平成に入ってからの新しい車両です。

 車庫内に保存されているのは本物の当時の車両。ただ、重すぎてなかなか普段は運転されないそうです。

 停車中を改めて撮影。ただ、この日はこの公園で地元のイベントが開催されておりあまりのんびり撮影できそうな雰囲気ではなかったので早々と撤退。これが却って後の諸々の撮影時間の確保に繋がりました。

 魚梁瀬地区からは来た道となる安田町方面ではなくその場の思いつきで北川村方面のr12を走行することにします。

 途中、いくつかトンネルを通過しましたが、これらも断面からして明らかに鉄道用トンネルでした。

 ある程度下ってきた時におもむろに視界に飛び込んできたアーチ橋。掘ヶ生(ほりがを)橋で、昭和16年築の鉄筋コンクリート造。同時期の橋としては国内最大級とのことで、橋の中央にある待避所が鉄道で使用されていた時代を偲ばせます。
 眼下の川の透明度は素晴らしく、かなりの水深でありながら川底が見えるほどでした。

 掘ヶ生橋のすぐ隣にあるトンネル。特に文化財指定はなされていないようですが、場所が場所だけに使われているものや使われていないものなど相当な数の遺構が残されているようです。

 R493との交差点すぐ横にある二股(ふたまた)橋。昭和15年築で、戦時下で金属の使用が制限されていたことから無筋コンクリートで建造されています(その割に先ほどの掘ヶ生橋は鉄筋入りですが)。台風も度々襲撃する土地でありながら今年で築75年。それなりに補修されているものの現役の橋というのは当時のコンクリートの質の高さが窺えます。

 ここからはR493を奈半利町方面に走行します。

 途中、北川温泉の近く。R493の法面〜路面にかけて大規模な崩落を起こし対岸への迂回路を走行していると、立派な橋が見えてきました。

 この橋は明神口橋と同様に軽自動車以下のみ渡れるとのことだったので、その更に下流にある仮設橋を渡り、右岸側に移動。
 小島(こじま)橋という現存する魚梁瀬森林鉄道の遺構群の中では最大規模を誇るもので、全長143m。昭和7年築ですが、かなりの距離を渡河することからトラス橋とガーダー橋の併用とされたようです。
 前述の通り軽自動車以下の車両と歩行者のみが渡れる状態ですが、明神口橋と違ってきちんと舗装されているので渡りやすいです。

 さて、北川温泉のすぐ側にある小島橋からさらに下ります。
 ここで北川村の中心部をバイパスするオーバースペック気味の自動車専用道の北川奈半利道路もあるのですが、遺構巡りがメインのため、下道へ。

 途中、案内板に惹かれて来る予定ではなかった中岡慎太郎生家を訪問。歴史に疎い私の認識では「近江屋事件で坂本龍馬の巻き添えを食った人」という認識でしかなかったのですが、後でいろいろ調べると幕末の動乱の中心にいた人だとか。ゴメンナサイ。
 さて、この生家ですが、本物というわけではなく戦後に当時の資料を基に復元されたとのこと。実際の建物は明治40年の台風で流失してしまったそうです。
 無料ということで気兼ねなく見学できますが、歴史に詳しい所長などが同行していないとどうも食指が動きませんな。

 さて、北川村の中心部まで降りてくるとロクに遺構もないのでそのまま通過し、一旦奈半利駅へ。

 ここにも魚梁瀬森林鉄道の案内板があるのですが、こちらには一括で「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として国重文に指定された18ヶ所の遺構が紹介されています。  これで撮影内容を確認し、取りこぼしをチェックしたのですが…馬路村に遺構があるのを完全にスルーしていました。最初に確認したのは安田町の案内板でしたので馬路村にある遺構は載ってなかったのです。


 とりあえず、麓にある遺構を巡ることにします。
 まずは法恩寺(ほうおんじ)跨線橋。昭和8年頃築で、その名の通り寺への参道として建築されたもの。海岸沿いの集落内にあり、その景観も独特であることから一度は目にしておきたい遺構でした。

 続いては奈半利町と安田町の間にある田野町の町域にある、立岡(たちおか)二号桟道。前後の築堤共々かなりの規模で残されています。写真には写っていませんが、奥側には奈半利川に架かっていた橋梁の橋脚も現存しています。

 別角度から。「森林鉄道」と呼ぶにはかなり立派な構造物という印象。それだけ林業が当時の産業として重要視されていた証拠でもあるのでしょう。

 さて、撮り逃した馬路村の遺構ですが、かなり陽が傾いてきていましたがこのまま帰ってもそうそう滅多に来ない場所と言うことで、最初に走行したR12を再度馬路地区までですが走ることにしました。

 途中、日の当たり具合が微妙になってしまいましたが明神口橋を24-105mmで改めて撮影。

 そして馬路地区に到着し、少し探し回ってようやく五味(ごみ)隧道に到着。明治44年の路線開通時の建築。馬路地区の入口にあり、麓から登ってきた列車に便乗していた乗客はトンネルを抜け眼前に広がる村の風景を目にし「帰ってきた」と実感していたそうです。

 ポータル部。下流側は道路造成のために埋められており、その際の土砂が微かにこちら側からも確認できますが、この上流側は道路などに転用されることもなかったためかレールまで含め現存しています。

 対岸側から。トンネルを出てすぐの橋梁部はかなりコンクリートの劣化が激しいように見えました。
 レールが残っているなどいかにも廃線跡という感じがしてどうしても撮影しておかなければということでしたが、これには納得。来て正解でした。

 往路と違い、安田町方面に来た道を引き返していきます。

 その途中、馬路村と安田町の境界付近にあった平瀬(ひらせ)隧道。明治44年築。下流から5番目のトンネルです。現在は使われておらず、最初にここを走行した時には下流側ポータルが法面工事などで使われる鉄板で見えないようになっており全く気づきませんでした。

 さらにこれも県道の直下だったため気づかず通過してしまった釜ヶ谷(かまがたに)桟道。当初は木造、後の機関車導入に伴い昭和8年に下流の明神口橋などと同様に重量に絶えられる橋として石積みのアーチ橋に架け替えられ現在に至るようです。

 遠方からの撮影なので分かりづらいですが、釜ヶ谷桟道の20mほど上流側にある釜ヶ谷橋。県道用に整備されつつも大正15年の建築当時の桁や擁壁が残存しています。

 これをもって魚梁瀬森林鉄道の遺構巡りはひとまず終了。ただ、先の案内板によるとまだ重文指定された遺構を巡りきれていないようなので、結局また再訪することになるかも知れません。

 で、このまま帰るつもりでしたがマイマザーな指令が発動され…

 安芸市にある岩崎弥太郎生家に閉館間際(17時閉館に対して16時45分着)に訪問。R55にも案内があり、きっと未訪問なら行けと言われるだろうと思ってました。
 こちらは個人所有ながらご厚意により一般公開されているとのこと。母屋は割と質素な感じですが、背後の蔵が後年の岩崎家の財力を物語るようです。

 母屋に隣接する庭には少年時代の弥太郎が大志を膨らませたという逸話の残る、日本列島の形に並べられた庭石が今でも残っています。結果的にはその類い稀な手腕で、見事に日本を手中に収める政商として今日まで続くものをいくつも残す傑物となったのは流石の私でも知っていましたが、そのルーツがここにあります。

 これで全部終了…のつもりでしたが今から福山に帰ってもちょっと早すぎる、ということで。

 高知市内のコインスナックPlazaを今年GWに続いて2回目の訪問。前回の初訪問時はトーストサンド自販機が故障中でしたが、今回は右隣の新しめのカップ飲料自販機が故障中だっただけでトーストサンド自販機もしっかり稼働!来て正解でした。

 迷わずラーメンとチーズトーストのセットで晩飯のような昼飯のような11時間ぶりの食事です。トーストはしっかり焼けており、中のチーズもとろけて美味でした。ラーメンは前回もいただきましたがこちらも変わらぬ味。ご馳走様でした。

 これにて本当に全て終了。R32で香川県に抜け、瀬戸大橋を渡って一般道のみで帰宅。ほぼ一般道を走行する行程だったこともあり、900km超ながら5リットルほどガソリンが残りました。

↑ PAGE TOP