大日本史年表(奈良時代)
710年
( 平城 )京に遷都。
711年 銭の普及をねらい( 蓄銭叙位 )令が発布される。銭を貯めたら官位に付けてやる、と。
712年 ( 太安万侶 )が( 稗田阿礼 )の語りを元に「古事記」を編纂する。
713年 諸国に( 風土記 )編纂が命じられる。
718年 藤原不比等らにより( 養老 )律令なる。ただし、施行は757年、藤原仲麻呂の全盛期の頃である。
720年 ( 舎人親王 )らが「日本書紀」を撰上。
722年 百万町歩開墾計画だ!! その名の通り、ひたすら開墾を進める計画。
723年 ( 三世一身 )の法、通称養老7年の格が発布。
724年 ( 聖武 )天皇即位。ストレスのたまりやすいお坊ちゃんである。
陸奥国に( 多賀 )城を築く。
727年 中国東北部の国、渤海より使者が来る(以後滅亡まで34回くる)
729年 ( 長屋 )王の変。藤原4兄弟の策謀により、聖武天皇の子を呪い殺したとして、天皇中心政治を目指す( 長屋 )王は自害においこまれる。
不比等の娘、光明子が皇后となる。
730年 薬師寺東塔、興福寺五重塔建立。
光明皇后の発案で悲田院、施薬院設置。貧しい人にも食料・薬を、という立派な発想。
734年 興福寺阿修羅像(八部衆像)などできる。
737年 藤原4兄弟、流行病で病没。
738年 皇族の( 橘諸兄 )と、吉備真備、僧の( 玄ム )が重用される。
740年 ( 藤原広嗣 )の乱。聖武天皇ビックリ。遷都を繰り返す。
741年 ( 国分寺建立 )の詔。
743年 ( 墾田永年私財法 )がだされる。田畑の永久私有が認められる、が、位に応じて持てる田畑の広さが異なる。ここも三世一身の法との
大きな違い。
紫香楽宮にて、盧舎那大仏造立の詔がでる。が、途中で大仏造立は中止。翌年、平城京に再遷都し、東大寺で再開。
745年 ( 行基 )が大僧正になり、今度は一転して朝廷に保護される。もちろん、大仏造りのためである。
東大寺不羂索空観音像、日光・月光菩薩像など。
751年 現存最古の漢詩集( 懐風藻 )できる。
752年 大仏できるが、ちょい前に行基は死去。
このころから、藤原仲麻呂が権勢を振るい始める。
753年 唐から僧の( 鑑真 )和上来日し、( 律 )宗を伝える。
756年 光明皇后が聖武天皇の遺品を東大寺へ奉納。( 正倉院 )の初め。
757年 養老律令施行。
橘奈良麻呂の変。橘、大伴一族の多数が刑死。藤原仲麻呂の絶頂期へ。
758年 仲麻呂、( 恵美押勝 )という名を淳仁天皇からもらう。
759年 唐招提寺金堂、講堂できる。
763年 道鏡が孝謙上皇に重用される。
767年 ( 恵美押勝 )の乱。仲麻呂敗死。孝謙上皇の重祚(ちょうそ・再び天皇になること)、称徳天皇に。
770年 称徳天皇没。道鏡追放。光仁天皇即位で、天智天皇系にもどる。
万葉集できる。大伴家持らの編纂か。
781年 桓武天皇即位。
784年 ( 長岡京 )に遷都。
この頃、室生寺できる。神護寺薬師如来像もできる。
792年 ( 健児 )の制。太宰府など一部を除き、軍団を廃止し郡司の子弟を健児とて地方の治安維持にあたらせる。