纏向遺跡ーついに!?ほんとに??邪馬台国???
2009年3月22日掲載
遺跡名
纏向遺跡
所在地
奈良県桜井市
年代
3世紀前半
奈良県桜井市纏向遺跡で建物跡(柱穴)と凸字型の柵が見つかりました。
今回の調査区域は以前の発掘調査の成果から遺跡の核心部となる痕跡が見つかる可能性が当初から期待されていました。
今回見つかった建物跡は一辺が6メートル以上、昭和53年の調査で見つかった一辺約5メートルの建物跡の東側で見つかったもの。さらにこの53年調査でわかった建物跡の西側には以前の調査で柱穴が検出されており、今回の調査でその柱穴も同様の建物跡であることが確認され、合計3棟の建物が東西に整然と並んでいたことがわかりました。
柵は全体がおよそ40メートルにおよび、昭和53年発見の建物跡を凸字状に囲むように南北に並び東に折れ曲がってるそうです。つまり並んだ3棟の建物のうち手前の一棟と柵で囲まれた二棟が柵によって仕切られているわけで同一の方位を指向している連続した建物群でありながら柵によって明確に境界が分けられている形になってます。
これにより今後遺跡をさらに東に調査域を広げることで遺跡の中心となる神殿のような建造物が見つかる可能性があるそうで、今後の調査からも目が離せないです。
○所長より
私が生きている間に邪馬台国論争に決着が付くとは思っていませんでしたが、・・・まあ100%の決着をつけることは難しいかもしれませんが、これほど非常に有力な発見があるとは思っていませんでした。現段階で、これが邪馬台国だと判断するのは早計だとは思いますが、大規模周濠が見つかった箸墓古墳とあわせて判断するに、現在の近畿一帯を統括する非常に有力なクニがあったのは間違いないのでは?
これからの調査成果について、早く続報を聞きたいものです。