第12回 パパ・ブッシュと湾岸戦争

外交経験豊富な大統領

 やれやれ、やっとここまで来ましたよ。
 何を隠そう、下書き段階では最初から3日で書いているので、もうヘトヘトです。

 さて、今のブッシュJr.大統領のお父様である、ジョージ・ブッシュの時代を見ましょう。1988年に大統領に就任します。
 彼は、既に国連大使、中国駐在連絡事務所長、CIA長官、レーガン政権では副大統領と、実に多彩な外交経験を持つ人物で、今のブッシュとはえらい違い。また、ご存じのように、この時期、東欧の民主化に、ソ連が崩壊していきますから、不安定な国際情勢の中、実に適切な人物であったと思います。

 そして彼のスタッフ。今でもお馴染みの顔ばかりです。
 国務長官にべーカー、国家安全保障問題担当大統領補佐官スコウクロフト氏のスタッフに、C.ライス女史、国防長官がチェイニー、統合参謀本部議長がパウエル、国防次官にウォルフォウィッツ。う〜ん、これだけスタッフが似ているのに、どうして今のブッシュは・・・?

 んで、1989年5月。パパ・ブッシュ大統領は「封じ込めを超えて」演説を行います。これは、ソ連を封じ込めるのではなく、体制が変革しているのだから、このまま西側陣営に取り込んでしまおう、という物です。そして、ベルリンの壁崩壊とドイツの統一、ポーランドの民主化を始めとする東欧の民主化が起こります。ゴルバチョフは、これに軍事介入を行いませんでした。昔のソ連は、こうした動きを徹底弾圧していたのですけどね。
 
 ところが、困った事件が中国で発生。民主化運動を弾圧した天安門事件です。
 さてさて、どう取り扱っていくべきか。苦慮したところですが、ブッシュ政権は、大規模な制裁はとらず、今後も交流を続けることで、自由主義経済の空気を中国を吸わせ、体制を変えていく、と言うことにしました。これに対し、イラクのフセイン大統領だけでなく中国もかばうのか、と批判したのが民主党のクリントンです。

 そして1989年。ゴルバチョフとブッシュは、冷戦の終結を宣言(マルタ首脳会議)。ここに、一時代が終わり、新たな混迷の時代へ突入して行くことになります。

国連を重視したパパ・ブッシュ

 さて、1991年1月。湾岸戦争が勃発。
 イラン・イラク戦争で結局勝利を出来なかったイラクのフセイン大統領は、国民の不満をそらすために「イラクの領土である」としてクウェートに侵攻します。どうも、アメリカは怒らないだろうと思っていたようですが、それは無理な話。クウェートは世界に救援を要請し、アメリカは今まで育ててきた飼い犬・・・と思っていた国と戦うことになります。

 先頃のイラク戦争と決定的に違う点は、この戦争を始めるに当たってパパ・ブッシュ大統領が国連を重視したことです。そして、ソ連と協調、さらにあくまで侵略の阻止を打ち出します。これ、3つの原則と言います。んで、国連決議を始めとする周到なお墨付きを得た後に、パウエルを司令官に、アメリカ軍と多国籍軍はイラク軍と交戦。あっさりと勝負はつき、イラク軍の投降者が続出と、この戦いでアメリカのパトリオットミサイルとイラクのスカッドミサイルの発射は記憶に新しいかと思います。

 なお、ウォルフォウィッツ国防次官は、「このままバクダードを占領してしまえ」と提唱しますが、ブッシュ大統領は拒絶。おそらく、このままならフセイン政権は自然に打倒され、イラク人が新しい政府を自主的に作るだろうから、わざわざ介入して、イラクを泥沼化する必要はない、と考えます。結局、フセインは「勝った」などと宣言し、アメリカに協力したイラク人を粛清してしまいました。

 それから、アメリカは国連平和維持活動にも協力し、アフリカのソマリアへ初の人道的介入を実施。ところがこれは、いわゆる泥沼化に陥ってしまい、次のクリントン政権の時に撤退しました。

 そして1991年12月。いよいよソヴィエト連邦は解体。ロシア連邦を中心とする国家に再編されました。
 また、旧ユーゴスラヴィア、それからイスラエルVSパレスティナ、アフリカなどの民族紛争問題が山積み。そんな中、政権はクリントンへと受け継がれます。なんと、ブッシュ大統領、湾岸戦争が終わると支持率急落、落選しちゃったんですね。

第13回 不倫疑惑も好景気に助かる〜クリントン政権〜

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