第2回 古代ヨーロッパ文明

○文明の発生

 ヨーロッパに人が移住した時期は不明ですが、現生人類がはじめてヨーロッパに出現したのは、旧石器時代後半のことです。狩猟・採集民だった彼らが2万5000年から1万年前に描いて残した壁画が、主としてスペインとフランスの200以上の洞窟で発見されています。 有名なのは、クロマニヨン人の洞窟画で有名なフランスのラスコー洞窟、スペインのアルタミラ洞窟ですね。
 そして、約1万年前に最後の氷期が終わって、気候はしだいに温暖になり、アナトリア(トルコ地方)で始まった農耕と家畜の飼育が前5000年(新石器時代)頃にヨーロッパへ伝わります。その伝播は非常に早く、あっという間にバルカン半島からブリテン島まで農耕・牧畜が行われるようになります。

 また、バルカン半島での発掘調査によると、前4000年ごろには、この地方では銅が使用されていたことがわかります。さらに、銅とスズの鉱床のある中央ヨーロッパ(現在のチェコ)では、前3000年ごろに青銅器が使用されるようになりました。

○エーゲ海文明

 そして、ヨーロッパに古代文明が登場したのは紀元前3000年頃のこと。オリエントの影響を受け、地中海東部から開けていきます。それが、エーゲ海文明(エーゲ文明)と総称されるもので、前3000年から〜前1200年ぐらい続きます。そのうち最も早く登場したのはクレタ文明(ミノス文明)


 これは1900年、イギリス人のアーサー・エバンス(1851〜1941年)が、四国の半分ほどの小さな島であるクレタ島を発掘し、はじめて発見したもので、ここに居住していた民族は、アナトリア系と地中海系の混血と言われています。今のギリシャ人とは関係ありません。

 彼らの文化を表しているのは、まずは青銅器による文化。といっても、彼らが青銅自体は彼らが作ったわけではありません。というのも、クレタ島は乾燥地帯で濃厚や牧畜には適さなく、さらに木や鉱物もあまりありませんでした。そのため、彼らは試行錯誤の末、オリーブ・ブドウの栽培をすることにしました。なぜか?それは、輸出のためです。オリーブ・ブドウ共に保存が利き、輸出に適しているのです。

 これにより彼らは食料と青銅の確保に成功しました。ここから彼らは青銅器を作り上げ、さらに陶器も作られるようになるとこれも輸出品目に加え、前2000年頃には地中海貿易の大部分を独占するようになります。

 やがて、この貿易で富を得たものが政治を取り仕切るようになります。こうして、王が登場しました。この王の役割や社会組織について詳しいことは解りませんが、前1600年には人口8万人という、当時としては大都市の首都であったクノッソスのクノッソス宮殿や、ファイストス、マリア、ザクロスに複雑な構造を持つ大宮殿の遺跡から、その王の権力の強大さが伺われます。


クノッソス宮殿

ザクロス宮殿
 また、クレタの文化は写実的で生き生きとしたものであったことが、宮廷の壁画や動植物を描いた壺絵などからうかがい知ることができます。特に好まれたのが、人間と自然や模様を優美に描いたもの。一方でこの時期、やはり文明の発達していたメソポタミアでは神や戦いなどが描かれていました。クレタは、非常に平和だったということなのでしょうか。

 もう一つ注目すべきはスカートをはいた女性が描かれていることです。現時点で、最も早くスカートをはいたのはクレタの女性だったと考えられています。

 しかしクレタ文明はまた、非常にメソポタミア文明エジプト文明などに影響された文明でもあります。例えば、文字は粘土板に記述しました。これはメソポタミアと同じです。さらに、そこに書かれた絵文字は、エジプトの象形文字とよく似ています。ただし、その一方で線状の文字も使用されました。時代により2種類に分類され、古い方を線文字A,、新しい方は線文字Bと名付けられました。このうちBの方は、1952年、イギリスのヴェントリスによって解読されています。

○クレタ文明の崩壊

 一方、ギリシャ本土においては、紀元前2000年頃からインド=ヨーロッパ語族の一派と見られるアカイア人(現在のギリシャ人の祖)がギリシャに侵入します。彼らは、ミケーネなどの諸王国を作り上げ、先住民と融合してゆきます。クレタも例外ではなく、前1400年頃に滅ぼされ、その文化は統合されます。
 そして、この頃クノッソス宮殿も破壊され、クレタは完全に没落し、交易の中心地はロードス島、キプロス島へ移り、シリアやエジプトとの交易が行われます。

 こうした中、アカイア人達が諸民族の文化とオリエントなど諸地域の文化も融合したミケーネ文化を生み出すことになります。線文字Bは彼らがクレタの線文字Aを改良して取り入れたものです。

 ちなみにクレタの没落は、一つにはミケーネによる征服がありますが、もう一つには火山の噴火があったとも言われています。それは、サントリニ島のアクロテリでの噴火の遺跡、そして、旧約聖書でのモーセの「出エジプト記」、ギリシャに残る洪水伝説、そして古代ギリシャの哲学者プラトンによる、大陸が沈んだという「アトランティス伝説」など、色々な話が残っています。

 さて、アカイア人達の栄光は長くは続きません。理由は不明ですが、前11世紀頃から突如として崩壊します。一般には遅れてギリシャに南下してきたドーリア人に滅ぼされたと言われていましたが、最近では疫病説や、また「海の民」とよばれる、他の交易のライバルにやられたとも考えられるようになりました。

 こうして、前8世紀まで混乱が続き、いつしか線文字Bは使用されなくなり、そして人々はエーゲ海文明について忘れ去ってゆきました。さらに、線文字は次第にアルファベットに取って代わられます。アルファベットを開発したのは、やはり地中海貿易で活躍したフェニキア人という小アジアの民族です。おそらく、フェニキア人が交易の中心となったことから、アルファベットが必然的に交易公用語のように使われ出したのでしょう。



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