第68回 立憲国家の成立へ

○大日本帝国憲法発布

 1889(明治22)年2月11日、ついに大日本帝国憲法の発布と、皇室について定めた皇室典範の制定が行われます。大日本帝国憲法は、天皇が定める欽定憲法という形をとります。要するに、明治天皇が定めた、という形式です。そして、本文は7章76条と意外とシンプルな内容。さらに、内容の根底にあるのは立憲君主制であり、天皇大権として
 ・官制の制定
 ・文官、武官の任命
 ・国防方針の決定
 ・宣戦・講和や条約の締結
 ・統帥権(とうすいけん)・・・第11条。天皇が軍隊を指揮命令すると規定。実際には、参謀本部(海軍は後に軍令部)が天皇を補佐し、天皇に代わって統帥権を行使します。つまり、内閣には軍隊の指揮権がありません。これを、統帥権の独立といいます。
 ・編成権・・・第12条。天皇が軍隊の編成と常備兵額を決定。なお、これは内閣が天皇を輔弼(ほひつ)することになっており、軍隊の編成に税金をどのように使うか、決定します。
 ・戒厳令の布告
 ・緊急勅令の発令・・・第8条。国会の閉会中に緊急事態が発生したとき、天皇は法律の代わりに勅令を出せる。
 が定められ、議会の権限は君主の前には制約されたものでした。

 ちなみに、現在の憲法と比較してみましょう。

○議会

 議会として、衆議院貴族院が置かれました(第33条)。
 衆議院は選挙で議員によって構成されますが、貴族院は・・・
 1.皇族
 2.世襲もしくは互選で選ばれた華族
 3.天皇が直々に任命(勅選議員)
 4.各府県1人の多額納税者
 という条件の人間が議員となりました。

 基本的に、衆議院と貴族院の権限は対等です。衆議院を通過した法案でも、貴族院で「ダメ!」と否決されると、ボツになってしまいます。その会期中には再提出することは出来ません。もちろん、貴族院でOKでも衆議院がNGなら、これもボツです。

 ただし予算だけは別。予算は、まず衆議院に先に提出しなくてはいけません。これを、予算先議権といいます。もし予算が衆議院で否決された場合は、前年度の予算を執行することになっています(第71条)。

 ちなみに、現在の憲法と比べると、こんな違いがあります。

大日本帝国憲法   日本国憲法
君主主権 主権 国民主権
統帥権を総攬(そうらん、要するに掌握する)神聖不可侵の元首。前述のように天皇大権を定める。 天皇について 日本国と日本国民統合の象徴。政治上の権力を持たない。
各国務大臣は天皇に任命され、天皇を輔弼し、天皇に対して責任を負う 内閣について 国会に対して責任を負う議院内閣制。
国会は天皇が立法権を行使するときの協賛機関。貴族院と衆議院の二院制で、両院は対等の関係(予算は衆議院が先に審議)。

衆議院議員は国民(臣民)が選挙で選ぶが、選挙権には各種制約あり。
国会と選挙 国会は国権の最高機関。
衆議院と参議院の二院制
衆議院が優位

国民による普通選挙
「臣民」としての権利。法律の範囲内でのみ保障される。 国民について 基本的人権、民主的権利を保障
国民に兵役義務
統帥権の独立
軍隊について 戦争を放棄。
陸海空軍その他の戦力を保持しない。
天皇に発議権 憲法改正について 国会が発議し、国民投票

 そして天皇の下に、行政権として内閣、立法権として帝国議会(貴族院・衆議院)、司法権として裁判所が置かれ、一応三権分立の雰囲気を整えていますが、このほかに先ほど紹介した枢密院が、条約改正や緊急勅令などに関して、天皇の相談があった場合に審議を行います。

 このほか、憲法の規定にはありませんが、天皇を補佐する機関として元老や重臣、内大臣、宮内省と宮内大臣が置かれました。

○その他の法律の制定

 さて、憲法というのは国によっては基本法と呼ばれることもあるのですが、つまり国家の基本となる約束ごとを書いたものです。細かい決まりについては、分野に応じて色々な法律を作られるのが通常です。この時代の日本でも、様々な法律が整備され、内外に法律に基づいて国が統治されていますよ、と示すことになりました。

 既に明治元年の段階で整備に着手し、フランスの法学者ボアソナード(1825〜1910年)を中心に、フランス流の考え方に基づいて法律案が作成されていきます。主な法典の公布(こういう法律を始めますよ、と広く知らせること)は
1880年・・・刑法、治罪法
1889年・・・大日本帝国憲法、皇室典範
1890年・・・民事訴訟法、刑事訴訟法
1896年・・・民法(1〜3編)
1898年・・・民法(4〜5編)
1899年・・・商法
という順番でした。この公布からしばらくすると、施行(せこう)、つまり実際に適用されるようになります。

 まずは民法。
 民法というのは、人と人とのルールを定めたもの。隣の人や、法人(簡単に言ってしまえば会社)などとトラブルになったときには、この法律をメインにして、裁判などで争いの決着をつけていきます。また、結婚や遺産相続など、家族に関することも規定されています。

 さて、1890(明治23)年に公布された民法ですが、実際に施行するまで3年間の期間を設定していました。
 すると、「この法律によって、日本の伝統的な家族関係を壊してしまう!」と批判が高まります。代表的なのは東京帝国大学教授の穂積八束(ほずみやつか 1860〜1912年)が「民法出でて忠孝亡(ほろ)ぶ」と法律雑誌で批判したもの。

 あまりの反発の強さに施行は延期され、内容の改定が進められます。こうして1889(明治31)年、戸主と長男の権限を非常に強くした封建的な制度を前提にした民法が公布されました。

 ちなみに民法に限らず他の法律でも様々な論争が起こり、いろいろな対応が取られます。
 例えば商法は、商取引や会社について定めた法律ですが、民法と重複している部分があるがどうするのとか、日本の商業慣習との関係はどうするのかなどが、議論の的になりました。
*注:2006年に会社法が施行され、商法から会社に関する分野は切り離されています。

 それから刑法。刑法というのは、もちろん
 「こういう犯罪をしたら、こういう刑罰になります」
 ということをメインに規定された法律。現在の刑法とは、犯罪の規定や刑の重さなどで異なる部分が多く、例えば大逆罪・不敬罪など皇室に対する罪や、外国元首・使節に対する暴行・脅迫罪などがこの時代の刑法には規定されていました。


参考文献・ホームページ
ジャパン・クロニック日本全史 (講談社) 
詳説 日本史 (山川出版社)
結論!日本史2 近現代史&テーマ史編 (石川晶康著 学研)
合戦の日本史(安田元久監修 主婦と生活社)
この一冊で日本の歴史がわかる (小和田哲男著 三笠書房)
マンガ日本の歴史43 (石ノ森章太郎画 中公文庫)
読める年表日本史 (自由国民社)
新詳日本史 (浜島書店)
CG日本史シリーズ 22 明治と文明開化 (双葉社)
日本の歴史20 維新の構想と展開 (講談社)

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