考古学レポート3 縄文時代への入り口 もしくは勝手口
担当:大黒屋介左衛門
1.旧石器時代の終焉
さ〜て、いよいよここから本論ですぞ。何とか古墳まで書き上げて目指せ大黒屋考古学研究室設置!なんてね。
冗談はさておき、今回からの縄文時代第一回「縄文世界への入り口もしくは勝手口」、第二回「草創期」、第三回「早期」第四回「前期」・・・という感じで全七回を予定してます。先は長いな・・・がんばるぞ。
2.『食』への情熱
旧石器〜縄文へ文化の移行は何が原因でもたらされたのか?私個人の意見としてはそれは、食糧問題だと思ってます。縄文時代に入って食糧資源は劇的な広がりを見せました。それまでの食糧獲得の主なスタイルは狩猟です。
ひょっとしたら果敢にも牧畜にチャレンジした人もいたかもしれません。でも、当時の狩猟対象は北日本でマンモス、ヒグマ、バイソンなど、それ以外ではナウマンゾウ、ヘラジカなど、彼らは巨大です。その移動をとめる手段はあったでしょうか?柵で囲っても飛び越えるかもしれません、破壊するかもしれません。何より彼らの巨体を維持するには莫大な量のえさが必要です。どんなに広い放牧地でもあっという間に食べつくされたことでしょう。天敵から守ってあげる必要もあります。でも当時はまだ犬は人間のパートナーではありませんから、夜を徹しての見張りもしなければならなかったでしょう。
どうです?
牧畜って取っ掛かり易そうですけどさまざまな困難を解決しなければならないんですよ。牧畜を行うにはその対象を長い年月をかけて観察し、予想される困難を乗り越えねばならないんです。
さて話はそれましたが、ともかく旧石器人は狩猟対象となる動物を求め移動を繰り返す生活を送っていたと思われます。しかし氷河期の終焉に伴う気候変動と乱獲で狩猟対象である大型哺乳類は姿をけしてしまいます。
そこで人間たちは直面する食糧問題に対策を練ります。
そう『弓矢』の登場です。といっても出てくるのは主に鏃です。弓は残りにくいですから。誰がいつどこで発明したのか残念ながらわかりませんがこの人はすごいですね。ノーベル賞、いや全人類からの表彰ものです。これの登場により今まではすばしっこくて、狩猟対象になり得なかった動物たちを狩ることが可能になりました。シカやイノシシなどです。しかし狩猟道具の改良は新たな獲物を増やすことにはなりましたが低下した成功率をちょっと上げるのにとどまるもので根本的な解決には結びつきませんでした。
もうひとつは縄文時代最大の発明といっていいでしょう。『土器』の誕場です。これがあるのと無いのとでは雲泥の差があります。海外では土器の登場をもって農耕の開始の指標とする説もあるくらいです。
これがもたらしたもの、いっぱいありすぎて解らないぐらいなのですが、とりあえずひとつ挙げるなら植物を食糧に加えることが可能になったことです。もちろん旧石器時代にも植物を口にすることはあったでしょうが、そう多くは無かったと思われます。
なぜならば。
植物には毒をもつものがあるからです。食用植物の見極めには経験と観察が必要です。移動を繰り返す彼らにそのような時間があったとは思えません。たとえ食べられる植物を見つけても移動した先にもあるとは限りませんし、よく似た違う植物かもしれません。医者も薬も無い時代、勝負に出るにはちょっとリスクが大きすぎるでしょ。
しかし氷河期終了直後の人々は迫り来る飢餓のため新たな食糧資源の開発は緊急を要しました。土器は煮る、炒る、蒸すなどの調理法を可能にし植物の食糧化に多いに貢献しました。土器の発明者は神の末席に加えてなお足りないくらいですね、キリスト教なら聖人でしょうか。
もちろん旧石器でも水生生物には手をださ無かったなんてことは無いでしょうが、縄文期に入ってからの規模は桁が違います。縄文期の代表的遺跡の種類貝塚を皆さんご覧になったことがおありでしょうか?
縄文人て貝好きな〜などと半ばあきれさせるほど高く積み上げられてるわけです貝殻が。貝ばっかりじゃないですよ、縄文人は魚貝類のほぼすべてを食糧にすることに成功してます。
それだけじゃありません。水生哺乳類だって食べちゃいます。
アザラシだってトドだって、イルカだってクジラだってラッコだってみんな食べてます。それに伴いさまざまな道具も生み出されました。釣り針、銛、これらは主に骨角器です。網は出ないんですけど網の錘は出てきます。ほかは簗とかいろいろ。日本は水産資源にとても恵まれているということが実感できます。
とまあ自然環境の変化がもたらした食糧危機が極めて豊かな食文化を生み出していったのが縄文時代です。とりあえず食に関してはこの辺でおいといて次は住環境について、話を進めます。
*裏辺金好所長より
「ところで先生、自分で調べればいいのですが、漁撈活動の漁撈って、何と読むのでしたっけ?」
*大黒屋先生の答え
はいはい、この字は「ぎょろう」と読みます。常用漢字の「労」を使ってもかまわないんですが、漁船の乗組員を束ねる漁労長とは意味がぜんぜん違うのと、常用漢字のほうは書き換え字なのでこちらを使ってます。
また縄文期の漁撈活動について研究されてる渡辺誠さんという著名な学者さんをはじめ、考古学の文献ではこちらの字を使うのが一般的だというのがホントのところです。
3.移動から定住へ
氷河期の終焉に伴う自然環境の変化についてはちょっと触れましたね。縄文期には温暖化が進んでいったわけです。時代によって差はありますが平均気温は最大で2℃〜5℃ほど高かったらしいです。
ちょっとの差じゃないですよ、どれくらいかといいますと北海道が今の東京くらいの温度です。海も今よりずっと広がり関東平野の奥深くまで入り込んでいたといわれてます。2・3メートルほど高かったようです。
そんな激変する自然環境に対応しさまざまなものを食糧にすることでとりあえず生きていけるようになりました。身のまわりのものを食糧にすることができて今までのように、頻繁に移動する必要がなくなったのです。それで、住居も今までのようなテント状の簡単なものからもっと手の込んだものに変化していきました。そう竪穴式住居です。住居に構造が加わったことですぐ定住というわけにはいきませんがそういう方向に向かっていったことは確かのようです。
しかし一ヶ所にとどまって生活することにもメリットとデメリットがあるわけで・・・そのことに関してはおいおい説明を加えていくことにします。
4.縄文時代の時代区分
さて縄文時代と一口に言っても、その期間は8000から10000年もの期間があるわけで、いくつかに時代区分されています。それでは名称と簡単な説明を加えていくことにしましょう。
草創期 縄文文化の黎明期です。土器の登場、竪穴式住居の登場がありますがまだ旧石器文化の名残もちらほら・・・そんなころです。
早期 縄文文化の確立期です。このころに縄文文化を彩るさまざまなものが出来上がり
始めます。
前期 縄文文化の発展期です。早期に確立した文化がどんどん発展していきます。
中期 縄文文化の最盛期です。このころには遺跡の数、規模とも最大となります。
後期 縄文文化の転換期です。遺跡の数が減り、新たな道を模索し始めます。
晩期 縄文文化の終末期です。やがて弥生時代へと進んでいきます。
・・・簡単すぎ。
まあ、次回から各時期ごとに説明を加えていくことにします。実年代はあえて入れませんでした。折に触れて入れていきますが、考古学の時代編年の基本は相対年代なんで、この時代区分も土器編年が基本となっており何年前から○○期とはいかないのです。
では次回。
参考文献
日本考古学事典 佐原真ほか 三省堂 2002.5
考古学ニュース&レポートトップページへ
歴史研究所トップページへ
裏辺研究所トップページへ
|
| | | |