○はじめに
北海道には独自の時代区分が存在します。
日本国内には他にも沖縄にも独自の時代区分があります。とりわけ考古がメインとなる古代の時代区分は多少なりとも地域差が出やすいですが歴史的な経緯から両地域は他と大きく違ってます。
高校日本史ではカリキュラムの都合上割愛されることしばしばで、ともすれば全く触れられることもなく通過してしまうところですが触りだけでも紹介することには意義があるのではないかと思います。
1.概略
北海道、時に千島列島や樺太も含みますが、概ね次のように時代が進みます。
1 紀元前300年ごろ〜紀元7世紀ごろ 続縄文時代(弥生〜古墳)
2 7世紀ごろ〜12,3世紀ごろ 擦文時代(古墳終末期もしくは飛鳥〜平安後期ないし鎌倉初期)
3 12、13世紀〜明治 アイヌ文化期
といった感じです。
さらに付け加えるなら続縄文と擦文を並行する5世紀中ごろから10,11世紀にかけてオホーツク沿岸地域にオホーツク文化が形成されます。また、アイヌ文化の始まる鎌倉以降には道南地方を中心に東北や日本海沿岸地域から和人の入植が本格化するため本土とのつながりがより密接となり、松前藩が成立する戦国後期から江戸初期にはこの地域の歴史は本土のそれに組み込んでほとんど支障はないといえます。
ちなみに沖縄はといいますと
1 縄文早期相当から弥生前期前半ぐらい・・・前期貝塚時代
2 弥生前期前半から10世紀中ごろないし12世紀・・・後期貝塚時代
3 14世紀前半ぐらい・・・グスク時代
*グスク時代は沖縄を小領主が割拠していた時代であり、次第に北部中部南部の三つの王国(三山)に緩やかに
まとまり、抗争を繰り返します。この三山王国は1429年まで続きます。そして1429年、尚巴志が三山を統一
して第一尚氏王朝が成立。
4 琉球王国時代
1429年〜1469年・・・第一尚氏王朝
1469年〜1609年・・・第二尚氏王朝前期
1609年〜1872年・・・第二尚氏王朝後期
となりますね。
1469年は家臣、金丸のクーデターで尚巴志の王統が滅んだ年
1609年は薩摩藩の侵攻の年です。
1872年琉球藩が設置され、1879年鹿児島県編入の後沖縄県が設置されます。
2.続縄文時代入門
大きく話がそれましたがここで本論に戻ります。
およそ2300年ほど前ぐらいに縄文晩期が終わりこの続縄文文化が北海道に現れ始めるわけですが、この文化は『続』の名が示すとおり先行する縄文文化を強く意識した名称です。
この名称は1936年刊行の雑誌「ミネルヴァ」上の山内清男の発言が最初だそうです。雑誌「ミネルヴァ」は考古学史上の『ミネルヴァ論争』の舞台となった雑誌で大学で考古の講義を受けた人ならほぼ間違いなく聞いていると思います。学史上のこのような萌芽を受けて、以降研究が続きおおよその続縄文文化の定義は『縄文以来の狩猟・採集・漁撈の文化に北と南からの文化の影響を受けて独自に展開発展した時代』といえるのではなかろうかと思います。
ですが、北と南の二つの文化受容する度合いは、当然ながら地域性ができるわけで、 大きく4つの文化圏に大別できます。すなわち
恵山文化・・・渡島半島
江別太文化・・・石狩低地帯
宇津内文化・・・道東北部
興津・下田之沢文化・・・道東
恵山文化は南の本州の影響の強い文化、宇津内文化は北の樺太・大陸北方の影響の強い文化圏と簡単に言うとそうなります。残りの二つはそれらにクッションをおいたといった感じですが、立地的に江別太文化は南北両方の影響を受けていてそう簡単にはいえないところがありますけどね。
次回からは個別にその文化を紹介します。
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