10回 共産党と農民との戦争

●農民から徴発せよ
 1918年、モスクワに遷都した共産党政権は、憲法を採択し、全国にソヴィエト(評議会)を作り、18歳以上の労働者農民兵士に選挙権を与えますが、共産党以外の政党は禁止です。

 また、外国からの干渉が行われていた時期、戦時共産主義体制ということで、
 ・個人取引の全面禁止 ・強制労働制
 ・企業国有化 ・食料配給制  ・農産物強制徴発
 が、実施されます。他、労働者による工場管理という読んで字のごとくの政策も実施されます。しかし、労働者に工場を管理させたところ、働かなくなる労働者が続出。そこでレーニンは後に、強制労働化に踏み切ります。もちろん、労働者中心の社会主義の理想を裏切るものだとして、党内からも批判が相次ぎます。

 これに対し、レーニンは党内での分派活動を禁止する決議を採択させ、党の結束を図ります。ゆえに「一枚岩の党」が強調されるようになり、労働者階級=プロレタリアートの独裁は、党の独裁を経て、一部の党幹部の独裁へと転化してゆきます。タテマエとしては、あくまで独裁は一時的な措置。共産党と我々は指導的立場にあるんだ、と言うのがその理屈です。じゃあ、いつまでか・・・と言いますと、後継者のスターリン曰く「資本主義が撲滅するまで」。気が遠くなりそうですね(笑)。

 レーニンは、国家は階級抑圧の機構であると批判していましたが、やはり自分が政権を取ると権力の強化に乗り出したわけです。特に、政権のために編成した「赤軍」。既に各地で戦闘に入っている貴重な戦力、これの維持、補給資源の確保をどうするかが命題でした。そこで、農民から兵士・食料・馬を強制的に調達することにしました。

 元々は、通貨で支払おうとしたみたいですが、当然この不安定な状況下では通貨なんて信用力が無く、役に立たない。農民は兵役も含めて許否。そこで「貧農委員会」「労働者食料徴発隊」を組織し、党員が農村に出かけていき徴発に出かけます。エスエル党はこれに反発しますが、もう完全に潰されてしまいました。

 結局、18年末〜20年末にかけて、赤軍のために70万頭の馬を徴発します。また、農産物は基本的に全て供出。農民はウクライナなど各地で反乱を起こし、多いときで10万、20万という規模になります。しかし、様々な反乱をまとめる指導者はいなく、散発的に起こっていたので各個撃破されてしまいました。

●新経済政策(ネップ)
 とはいえ、こんな事をやっていては生産力も低下します。さらに経済もボロボロ。
 1921年、さすがのレーニンも新経済政策(ネップ)を打ち出し、少し方針を転換します。まずは、余剰農産物を国家に売却できるようにしました。この程度の妥協にしたかったのでしょうが、ところが初夏に大飢饉が発生。数百万人が餓死しました。そこでもっと新経済政策を推し進め、農産物強制徴発制の廃止、余剰農産物の自由販売、私営中小企業の開設許可を打ち出しました。

●ソヴィエト連邦の誕生
 1922年、ウクライナ、ベロルシア、ザカフカス、ロシア共和国のソヴィエト連合と言う形で、ソヴィエト社会主義共和国連邦、通称ソ連が成立します。ソ連型社会を目指す連邦という意味で、決してソヴィエトとは地名、国名ではありません。また、名目上は離脱可能ですが、各国共産党は全てロシア共産党の支部となったので、共産党政権が崩壊しない限り、離脱は不可能でした。また、次第にネップの効果が現れ、経済が回復してくると、イギリス・フランス・イタリアがソ連を承認するなど、ヨーロッパとも友好的になってきます。

●レーニンの死亡
 ところで、レーニンは次第に病気で文字も書けなくなってきました。そこで後継者をどうするかが問題となります。レーニンは、スターリンを後継者にしようかと思ったのですが、ところがスターリンによる少数民族迫害、さらに妻への暴力を見ると、決定するわけにはいかず、彼に対し絶交か謝罪かを求めます(レーニンは少数民族差別撤廃を考えていた)。

 ところが、ついに発作で口もきけなくなってしまいます。レーニンは服毒自殺を図ろうとスターリンに毒薬を用意するよう要請。しかし、スターリンは承諾したものの毒薬をもってこず、レーニンを事実上、人々の前から隔離します。

 1924年、レーニンは死亡しました。そして、スターリンはレーニンの忠実な部下であるよう演技し、レーニンの遺体を永久保存するよう政治局決定を行いました。

 ところで、前にも少し紹介しましたが、レーニンにしろ、この後登場するスターリンにしろ、革命時代の人たちは官憲の目から逃れるため、みんな変名を使っています。スターリンは鋼鉄の人を意味する変名(1910年から使用)で、本名はヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシビリと言います。

 また、スターリンの片腕として活躍したモロトフという人物も、ハンマーを意味する変名。本名はスクリャービンです。

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