1.クレオパトラ
荒谷 さて、まず取り上げるのはクレオパトラだにゃ。
金好 そう、カエサルとアントニウスという2人のローマ帝国の実力者の男をたぶらかし、最終的にはオクタヴィアヌス率いるローマ帝国に敗北し自殺した。
荒谷 と言うわけですこぶる評判が悪い。しかし、20年ぐらい前からかなあ。彼女に対する見方が変化したにゃ。そう、彼女はエジプトを守るために体を売ったわけにゃ。
金好 考えてみればだまされる男が馬鹿なんだよ。
荒谷 絶世の美女ですからな。そりゃだまされるなと言う方が酷かも。しかし、本当に彼女は美女だったのかな。
金好 そうそう。実を言うと現在のエジプトでは太っている方が美人なのね。
荒谷 それを考えると我々の考える美人とは違うわけにゃ。そして、もちろん2000年も前のことだから、今のエジプト人の美人像とも違う可能性もある。
金好 またね、カエサルがクレオパトラに惚れてしまったのは、彼女のその有り余る才能だったという話もある。彼女は7カ国語を話せた。とにかく、もしかするとクレオパトラは美人ではなかったかも知れない。彼女を悪女と仕立て上げるために美人という設定にしたのかもな。
荒谷 もし、カエサルが純粋にクレオパトラの才能に惹かれたのならば、美人にたぶらかされたとカエサルを馬鹿にしたら可哀想にゃ。
金好 私たちが歴史を見るとき、勝者によって書かれた歴史が大半であることを考えなければならない。
荒谷 特に、中国の歴史はかなりそれが多いにゃ。皆さん、よく覚えておきましょう。
2.則天武后
荒谷 お次は・・というわけで中国の歴史より則天武后だにゃ。
金好 則天武后、中国では武則天と呼ばれているこの女性。とりあえずいかなる人物かを紹介しておきます。
裏辺研究所極秘ファイル その6 「則天武后」
生没年624〜705年。姓は武。唐の三代皇帝高宗に見初められ、側室として後宮に入り込み、皇后と叔妃(皇帝の第3妃)を2人の争いを利用して見事に葬り去り、トップに上り詰める。高宗の死後、息子の中宗を即位させるが、これを廃位。国号を周に改め、皇帝に即位する(690年)。密告を奨励し自分に危害を加えそうな官僚などを次々と粛清。反面、身分の低いものでも積極的に登用。国内は意外と安定する。しかし、怪しげな男とつきあったりして、危ない面もかなり多い。彼女の死後すぐに息子が復位し、唐が復興した。ただし、この唐の繁栄は、彼女の育て上げた官僚がもたらしたものであった。
荒谷 というわけにゃ。だいたい彼女の本質をついたデータファイルだと思う。このことから何が解るかと言うと、政治は汚いと言うことである。
金好 いや、そうではなくて、当時の中国で女性が権力を握るというのがいかに難しいかを表しているということだと思う。
荒谷 まあ、どっちもか。たしかに昔の中国は儒教の教えが厳しく、女性が国王になるなんて信じられないという風潮があった。例えば異民族で女性が国王の国のことを「女国」として馬鹿にしていたのにゃ。そんな国で王になろうというのだから、ちょっとやちょっとの手段でできるわけがない。
金好 彼女の権勢欲は大したもの。ここが確かに人々に嫌われるのかも知れぬ。考えてみれば王になんかならなくてもいいのだよ。
荒谷 まあね。普通は自分の息子が皇帝ならそれでいい気がするにゃ。ただ、彼女は男中心の社会に挑戦状をたたきつけたのかもしれぬ。
金好 彼女にとって不幸だったのは、親戚の武一族に優秀な人材がいなかったこと。これは前漢の初代皇帝劉邦(高祖)の皇后、呂后と同じ。よって自分の政権を存続できなかった。
荒谷 男癖の悪さも手伝ってね。彼女の男好きは大したもの。ババアになっても性欲は衰えず。おかげで晩年は、いささか狂ってしまった。それもあって、だれもが周という新しい国に憐憫の情がわかず、唐が復活したわけにゃ。
金好 その唐は前述のように則天武后の門下生が発展させることになったわけ。優秀な人材育成は彼女の得意分野だった。
荒谷 また、この周の時代、ちょっとでも反・則天武后と思われた人は次々と殺された。しかし、一般民衆から見ればあまり関係なく、平和な暮らしがおくれたのにゃ。
金好 それを思うと、則天武后は評価されてしかるべきなんだよなあ。
3.マリー=アントアネット
荒谷 で、おつぎはマリー=アントアネット。これはどんな人物か書かなくてもいいでしょう。
金好 そう、ルイ16世の后にして国の財政をさんざんにし、最期はギロチンで殺された。まさに悪女の代表格。しかし・・・。
荒谷 しかしにゃ。これも時代の流れで評価が変わり、最近では当時のフランスファッション界の流行発信基地として見直されている。
金好 はい、そうですか。しかし、そんなことで評価が変わられては変。実際の彼女がいかなるものだったか、うらけんは調査したわけです。その結果・・。
荒谷 うん。結局彼女は「世間知らずの御嬢サマ」だったわけ。すなわち、彼女の行動は悪意から起こった行動ではなく、もはやごく自然なものとしてあったわけ。そういう環境で育ったのだから、一概に彼女は悪だとは言えないわけにゃ。
金好 まあしかし・・・、庶民にとってはとんでもない奴だな。しかし、実は彼女、革命勃発より少し前より浪費をやめて、普通の母親のようになっていたらしい。まあ、人間って歳とともに変わるからな。それを思うと最期はちょっと不憫だなあ。
荒谷 生まれ育つ環境だけは選べぬ。悲しいにゃ。
金好 まあ、こんなわけ。本当は西太后といって清の最後を彩った皇后の話もしたかったのだが、如何せんよくわからぬ。
荒谷 西太后といえば、義和団の乱、そしてやはりライバルの側室を抹殺した人物とかでお馴染みで、清でおこった体制改革運動を阻止し、結局清を滅ぼしてしまった人物としても有名にゃ。
金好 これに対して、いや、彼女は利用されてただけで案外平凡な貴族生活を送っていたという説もある。
荒谷 と、いうわけでこの話題はまた資料が集まり次第やるにゃ。それじゃ、失礼します。
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