1.ヒトラー前半生略史
ヒトラーの前半生は、意外と知られていません。そこで、ここでぜひご紹介しましょう。
・1889年生まれ。オーストリアとドイツの国境のイン河畔のブラウナウ。
・アロイス=ヒトラー(父親)は身分制社会の中で、コネクションや学歴なしで税関長まで上り詰めた人物。家庭では絶対的な人物として振る舞い、子供には口答えを許さない。ヒトラーはこの父によくいじめられました。クララ(母)は逆にアドルフを溺愛し、アドルフも母が大好きであったといわれます。
・1900年に父親によりリンツ州の実業学校に入学させられます。小学校時代のヒトラーは成績優秀で、また彼の著書「我が闘争」では、非常に楽しい時期であったとかかれていますが、だがしかし、このころから陰気で無口で頭の悪い人物に変わったそうな。ヒトラーは実業学校に行きたくなかったのだ。ただし、1904年に転校したシュタイル州の実業学校で出会ったペーチェ先生に深く感銘を受け、彼からすべてのドイツ人はどこに住んでいても1つで、統一国家を造るべきだという大ドイツ主義を学びます。
・13歳の時に父が肺病で死亡。芸術家になりたかったヒトラーにとってこれに反対していた父の死は幸運でした。
・1907年にヒトラーはウイーンへ。画家になるため、美術アカデミーに入学しようとしますが、ヒトラーの写実的画風はウィーンにはあわなかったらしく、突き飛ばされ5年間の惨めな生活を送る羽目に。そして、もうやっとれんわいと、1913年に移住を決断。ドイツ本国へ引っ越します。
・そこで、ドイツ帝国陸軍に志願し第1次世界大戦を戦いますが、上官に「こいつは、統率力に欠ける」と出世は出来ず。1919年には民族主義者の集まり国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に加わり、軍隊を辞めます。その中で頭角を現し、トップに上り詰めていったわけですな。そして、ワイマール共和国を倒せ!と23年にはミュンヘンで一揆(ミュンヘン一揆)を起こします。が、これは軍隊が出動し鎮圧されます。捕まり5年の禁固刑となりますが、幸い翌年には釈放。なお、この期間内に自伝「我が闘争」を後述しました。そして、ナチ党を再編し、世の中の波に乗って、そして独占の禁止など社会主義的政策と、秘密警察(ゲシュタボ)を使い、勢力を拡大させた訳なのです。
ちなみに、国家社会主義という名前から解るように、まあ右翼のような左翼なような複雑な関係ですな。結局の所、両派とも極になると(国家主義と結びつくと)、似たような物になっていくというわけです。
2.ヒトラーを生み出した土壌
その1=反ユダヤ主義・・・東ヨーロッパの産物(ヒトラーはこれとウィーンで出会う)
オーストリアの社会をユダヤ人が支配していた。
(この状況を見たヒトラー君は、なにくそ、ユダヤ人め!と反発したわけです)
その2=帝政ドイツの崩壊・・・身分制社会の消滅と新政党の認可
(低い身分のヒトラーでも政治活動ができるようになった)
その3=大ドイツ主義・・・その名の通り、広い範囲(オーストリアも含み)でドイツ人は1つだという考えで、ドイツ系の人々共通の想いであった。ヒトラーは、これを恩師ペーチェ先生などからの影響。
(この考えによれば、オーストリア系ドイツ人のヒトラーでも外人と見なされない、この時期この考えが主流だったため、ヒトラーにドイツ本国入りが出来た)
その4=11月革命(ドイツ帝国崩壊)に対する右翼の反感
・・・第1次世界大戦に我々は負けていない。革命が中断させたのだ!
(まさにヒトラーの心を刺激する考え方)
その5=失業者が600万人以上もいて、みんな不満を持っていた。(ヒトラー<正確には彼が採用した経済相ヒャルマル・シャハト>が、有名なドイツとオーストリアを結ぶ高速道路アウトバーンの建設、そして自動車工場の建設。なおこの時ポルシェ社に誰でも乗れる大衆車フォルクスワーゲンのデザインを依頼する。こういったことにより、失業者を50万人までに減らしてしまった。これでヒトラーフィーバーが起こるのは無理はないね。)
その6=ちなみに、ヒトラーは経済に関しては土素人で、まさか自分がこんな事をやる羽目になるとは思っても見なかったようです。しかし、偶然か故意か、シャハトという人物の起用に成功し、彼が賭とも言える債務の発行によって、ニューディール政策的に失業者を救い、また彼だからできる物価統制などの強制で世界恐慌からドイツを守ったのたのでした。
3.ヒトラーと歴史上の英雄・独裁者
ナポレオンやビスマルク・毛沢東らと比べて・・・。
・全く人間味というものがない。
・完全に人を信用できない。ゆえに友達すら作らない。
・自分とは国であると考える。「朕は国家なり」どころの話ではない。
・自己批判というものを全くしない。
・女性を完全に自分の物・付属物として考えている。
↓
・どんな人物の欠点でも「ある程度」または「かなり」が修飾語としてつくが、ヒトラーの場合は「完全に」「全く」が修飾語であると言えます。
・ただし、こういった人物と比較に耐えないかと言われれば、それほどでもないのではないのでは?。特に、毛沢東やスターリンとは、かなり共通性も見受けられます。
・しかし、かの2人の独裁者と決定的に違うのは、ヒトラーは寿命を全うできなかったということ。
4.ヒトラーの本質とは?
結局、ヒトラーとは何者なのでしょうか?
・国家主義と反ユダヤ主義が融合してできた存在。または、ドイツ人・ドイツ系の人々がそれぞれ持っているエゴをすべて凝縮した人物?
・誇大妄想狂に典型的な感情である「勝手な結論好き」という性質で、きちんとした論理性もなく、いきなり結論を出すようです。
例:ユダヤ人は別の人間だから→ いなくならなければならない
自分は来るべき大ドイツ帝国の市民だ→移住の決意(1913年の春)
・国家は自分と同意である(私物化を越えた感情)→自分が死んだら国家も終わり
→ゆえに、自分死後の国家ビジョンはない
→さらに、自分の寿命にあわせ国の計画を決める
→必然的に性急かつ短絡的な政策を採る
と、まあ分類するとこんな感じになります。ところで、ヒトラーの根本的な考えは、やはり彼の著書「我が闘争」から抜き出しましょい。
・以下、我が闘争より
我々が今日持っている人類文化、芸術、科学、技術の成果はアーリア人(ドイツ人のこと)のものに他ならない。アーリア人は人類の※プロメテウスなのであり、いかなる時代にも天才的火花を散らしていた。アーリア人はこの世界の支配者たるべき存在なのであり、最大の敵はユダヤ人に他ならない。もしユダヤ人が自分たちだけの民族になってしまえば、彼らは泥や汚物にまみれるだけの存在であり、憎しみに満ち満ちた中で互いをだまし合おうと努めるだろう。我々民族主義国家はアーリア人を一般生活の中枢に据え、純粋維持のために配慮しなければならない。
※ギリシャ神話のティタン神族の一人。「先に考えるもの」の意。粘土から人間を作ったとされる。天上の火を人間のために盗み与えたことで、ゼウスの怒りをかい、カフカス山の岩に鎖で縛られ、鷲に肝臓をついばまれるという責め苦にあうがヘラクレスに助けられる。
5.ヒトラーの美談?たばことの関係
・ヒトラーは煙草を非常に嫌った。彼は愛人のエヴァ姉妹に「私が引退する前に、私が統治する全ヨーロッパで売られるたばこの箱には炎のような字体で『あぶない!喫煙はあなたを殺す。あぶない!癌になる!』
というスローガンを印刷したラベルを張るように法律で定めるつもりだ」と言い、また会議でも人に煙草を吸わせなかったほど。なお、ユダヤ人にはガス室で猛毒のチクロンBを吸わせて、絶滅を図ったとんでもない人物でもあるが・・。しかし、タバコは健康に悪影響を及ぼすとの認識は先見の明があり。
・ちなみに、ヒトラー自身は幼いころ、母の希望で修道院に入れられ煙草を吸って退学になった。もしかすると、母に申し訳ないと思った気持ちをずっと持ち続けていたのかも知れないですな。
参考文献 ヒトラーとは何者か? セバスチャン=ハフナー著 赤羽龍夫訳 草思社
Microsoft Encarta Encyclopedia 2001
スーパー世界史 謝世輝著 講談社
この1冊で世界の歴史が解る 水村光男著 三笠書房など
金好 しかし、ヒトラーについての解釈は色々ありましてねえ。
荒谷 まったく、ヒトラーのことはヒトラーが一番解るってものにゃ。
金好 いやあ、ヒトラー自身もよくわかってないかも知れない。
荒谷 なるほど。よくわからないまま、ただ己の欲する心のままに行動していたかも知れない。
金好 では、さよーならー。
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