○はじめに
以前、「十字軍と民衆十字軍は違うものなんですか」という問いがあり、それに答えたのだが、このことから、存外これらを混同している方も多いのではないかと思い、今回そのときの回答をまとめ直してみた。
(そもそも民衆十字軍が解らない人もいると思いますが、それについても書いてありますのでご安心アレ by所長)
○その違いは?
まず、十字軍の一般的な定義を書く。聖地(パレスティナ)をキリスト教徒の下に取り戻すための遠征のことである。色々な定義があるが、最も基本的な点は以上である。
ここで、はっきりした違いを挙げることが可能である。十字軍は定義に基づく遠征全てを指すが、民衆十字軍とは隠者ピエールに代表する者達が、遠征という国家的な意義を無視し、ただ純粋な宗教的意義のもとに行なった、ただ一つの遠征を指す、ということ。
これだけでも、これら二つが決定的に別のものであることがわかるはずだ。
○民衆十字軍の誕生
さて、違いを挙げるだけならば以上で十分なのだが、ついでだから民衆十字軍についてもう少し詳しく書こうと思う。
教皇ウルバヌス2世が遠征について思索・扇動を行なっていたのとほぼ同時期に、隠者ピエールはパレスティナの巡礼において、彼はヒドイ扱いを異教徒に受けた(と本人は言っていたようだ)。
そして、彼は西欧に帰ると、当時起こっていたユダヤ人迫害の中に天啓を得たようである。
当時、ユダヤ人は金貸しなどを行なっているからという理由をこじつけられ、権力者に迫害を扇動された。この頃は暗黒時代の名に恥じない程に西欧は退廃しており、民衆はその怒りを迫害へと向けた。
ここで、ピエールは、これを聖地奪還のための原動力に利用することを思いつく。
つまり、これが彼にとっての天啓である。
図らずも、まったく政治的な理念が働かない場所で、彼は教皇ウルバヌス2世と同じことを考えついたわけであるが、彼が教皇の活動の影響を受けていないという証拠もないので、単に迫害への感情と政情を利用しただけかもしれない。
とにかく、彼は民衆を引き連れ、いざ聖地奪還の旅へと出発するのだが、当初からこれは明らかな失敗であった。
まず、移住を目的とするものが民衆の大半であったこと。次に、非戦闘員比が異常に高かったこと。この二つが主な失敗である。
聖地を奪還する、というのは、民衆にとっては暗い故郷を捨て、新天地への通行証をものにするチャンスでしかなかったのかもしれない。さらに、移住となれば家族を捨て置くわけにもいかないから、当然一家全員で、ということになる。
つまり、老若男女問わない、異常な編成となったのである。この時点で、この者達が正規の軍隊に敵うわけがないことは明白であったのだが、高まる新天地への感情は止めることはできなかった。
ピエールもそれに早々から気づいていたような風もある。それでもなお進軍したのには、責任感などはもちろん、彼自身の異教徒の自分に対する侮辱への劣情が強かったためとも言えるかもしれない。
○民衆十字軍の旅路と崩壊
さて、ここからシリアまでの旅程は、書くのもいやになることばかりである。
食料に困った民衆十字軍のお方たちは、略奪・殺戮を繰り返した。新天地への強い願望と、それに宗教が加わったとき、人はこういうことまでやってのけるのだという、証左である。
そして、彼らはとうとうビザンティン帝国コンスタンティンノーブルに到着するのだが、このときには彼らの高名はビザンティン皇帝にも十分伝わっており、コンスタンティンノーブルの手前で足止めされたりもした。
イライラが最高潮に達した状態でシリアに進入した彼らは、ここで新天地の願望やその他の宗教心などをことごとく粉砕される。
誰によってか。
イスラムのサラセン軍にである。 勝負はあっけなくついた。
ピエールはなんとか逃げ出し、ちょうど後から来た正規の十字軍と合流することになるのであるが、彼は道案内役を買って出て、十字軍内でも存在を認められることになる。多くの民衆を死なせたにも関わらず、扇動した張本人の彼は生きている。
私はこれに憤りを感じずにはいられないが、もしかしたら、彼が道案内役を買って出たのも、民衆の犠牲を無駄にしないためだったのかもしれない。または、罪滅ぼしの機会を作りたかったのかもしれない。
この隠者ピエールという男、ただの下衆、と片付けるには勿体無い人物のようにも思える。英雄などではなく、彼のような人物を多角的に考察することが、「不用意な危険を民衆が負う危険」を回避する術を考えられるような気がするからだ。
初稿2001/12/31
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