8回 東南アジアのイスラム化とヨーロッパ
●マジャパイト王国の衰退 |
さて、元の侵攻という危機をのり切ったマジャパイト王国は、ラージャサナガラ王(位1350〜1389年)と、宰相カジャマダの二人三脚でジャワのみならず、マレー半島からカリマンタン島南まで、今のインドネシアよりも広い領域を支配することに成功しました。
ところが、これもまた交易国家として隆盛し、一方で交易の衰退で国力を失っていきます。今回の原因は、自分の領土であるマレー半島の各都市が独自に交易を始めてしまい、シェア争いに負けるハメになったからです(もちろん、それだけが原因では無いでしょうが)。
その中でも特に、1400年頃にスマトラ島のバレンバン王国の王子バラメシュバラが、マレー半島に建国したマラッカ王国(ムラカ王国)が国力を多く持ち、マジャパヒトは貿易国の地位を失ってしまいました。この国は、マジャパヒトとタイのアユタヤ朝、この2つの影響下から脱却するため、ちょうどその頃、中国の大国・明の永楽帝が宦官・鄭和に命じたインド洋を股にかけた大遠征(1405〜33年)が始まったのを見て、補給基地として土地を提供し、お馴染みの朝貢を行います。これで、明という強力なバックアップを得ることになりました。
こうして、マラッカ海峡を押さえたこの国は一大貿易国として栄えることになります。
●東南アジアのイスラム化 |
東南アジアには10世紀ぐらいからイスラム商人が来航するようになります。これは、インドでヒンドゥー教系の王朝が倒れ、デリー・スルタン朝などのイスラム系国家が栄えたことに起因します。このイスラム教を大々的に取り入れたのが、先ほどのマラッカ(ムラカ)王国。この国は、ヒンドゥー国家マジャパヒトや、仏教国家アユタヤ朝シャム王国に対抗するべく、第3の宗教を取り入れたわけです。
そして、イスラム商人などの布教活動によって現在、イスラム勢力が独立運動を続けているフィリピンのミンダナオ島までイスラム教は拡大。さらに、マジャパヒト王国も1527年頃にイスラム系国家マタラム王国に取って代わられ、インドネシアはほぼ全域がイスラム教となるのです。
以前、古マタラム王国というものがありましたが、今度はヒンドゥーではなくイスラム国家です。パネンバハン・セナパティ・インゴロゴ(位1584頃〜1601年)が建国したものです。詳しくは後ほど。
じゃあ、ヒンドゥー教の文化は?と申しますと、なんとバリ島にだけ残されることになります。現在も数千のヒンドゥー寺院が残り、バリは「神々の島」ともよばれています。インドネシアの中で独特な文化を形成したことから、余計にエキゾチックで多くの人が引きつけられたのでしょう。
しかし、一体何故こうも簡単にヒンドゥー教が駆逐されてしまったのか。それは、結局のところヒンドゥー教が一部の階層だけに信仰された宗教だったからだと言われています。加えて、イスラム教もそのままが信仰されたのではなく、土着の信仰や仏教、ヒンドゥー教などの習慣・風習を融合しながら普及していったのです。