西アジア史(はじめに)

●はじめに

 さて、ここでは西アジア史について見ていこうと思います。
 しかし、この西アジアをどう定義するべきでしょうか。おそらく、大抵の人はイラン・イラク・中東地域を想像なさると思います。ここが西アジア史として取り扱うことには、何ら問題はないでしょう。

 しかし、その後のイスラム教と関連して考えると、どうしても、ここだけではなく中央アジア、インド、北アフリカ、さらにはオスマン・トルコ帝国に征服された東ヨーロッパまで含めて考える必要があります。

 そんなわけで、この西アジア史。かなり広域な歴史を見ることになるでしょう。最低でも図で示した範囲内は詳しく見ていくことにします。果たして私が上手く書けるかは解りませんが、図もたっぷりとご用意して、解りやすく面白く歴史を見ていこうと思います。どうかご期待ください。

●古代メソポタミアの地域名
 んでは、これからメソポタミア文明についてみていくわけですが、その前提条件として複雑な地名を解説。
 まず、メソポタミアというのは古代ギリシャ語で(ティグリス・ユーフラテス)川に挟まれた地域という意味です。すなわちイラク・シリア地域を指します。

 次に、シュメールという国家・地域が出てきますが、これは南イラクです。代表的な都市がウルやウルクです。
 その北方、今のバグダッドあたりがアッカド。そして、後にシュメールとアッカドが合わさり、バビロニアと呼ばれます。
 んで、さらにその北側、アッシュールを中心とした地域をアッシリアというわけです。

第2回(西アジアの古代都市とメソポタミア文明)へ


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