第7回 シリア・パレスティナの諸民族

●フェニキア人
 今度はシリア・レバノン・パレスティナ地域です。現在、色々と問題となっている場所ですね。

 前ページで見たように、この地域は侵略されやすく戦場になりやすい土地柄でした。なぜなら、ここにある港を巡って、さらにメソポタミアへの足かがりとして、ヒクソス・新ヒッタイト・エジプトがやってくるからです。

 ところが、全く正体不明の謎の民「海の民」と呼ばれる民族によって、なぜかヒッタイトもエジプトも撃退され、平和が訪れます。そしてここには前1200年頃からセム系のフェニキア人達が活躍を始めるのです。本拠地は、シドンやティルスと言った都市です。

 彼らは、とにかく地の利を生かした交易活動が上手。北はブリテン(今のイギリス)から、インド洋にかけて、各地の様々な文物を仕入れて売ります。それだけでなく、商売の拠点として植民地をどんどんつくっていく。そのうちの一つが、カルタゴで、これがローマに滅ぼされるまでフェニキア人は活躍しました。

 彼らは、それだけでなくアルファベットを生み出した事でも歴史的に大きな足跡を残しました。生み出しただけでなく、普及させてしまった事から、今のようにアルファベット全盛の先駆けを作った事になります。何で普及されたかというと、まずフェニキア人が様々な場所で交易をするから、そして、何より文字数が少なく覚えやすく、使いやすかったからです。アラム人、ヘブライ人、ギリシャ人に特に好まれるようになります。

●アラム人
 アラム人は、いわば陸の民です。フェニキア人は海で大活躍でしたが、こちらはラクダを使った隊商貿易で儲けます。主にシリアやユーフラテス川上流に都市国家を造ります。

 前述のようにアルファベットを採用しましたから、彼らによってメソポタミア方面にも普及する事になります。そして彼らの言葉、アラム語は、イスラム教とアラビア語に取って代わられるまで、この地域の公用語の1つとなりました。

●ヘブライ人
 いわゆる、ユダヤ人です。自分たちはイスラエル人と呼んでいましたが、他民族からはヘブライ(あちこちを移動する者)人と呼称され、そのうちに自分たちでも総称として採用しています。旧約聖書によれば、前1500年頃(つまり、フェニキアやアラブ達の活動開始と同じ時期)に、パレスティナで定住生活を始めたそうです。

 その中の一部がエジプトへ移住したものの、エジプト新王国に圧迫され、預言者モーゼによって脱出し帰還。このとき、神と契約を結び、厳しい戒律を授けられます。 これが、「出エジプト」と呼ばれる出来事で、ユダヤ人の歴史では大きな意味を持ちます。しかしながら、それを裏付ける考古学的な証拠はなく、そもそもエジプトにヘブライ人は多くはいなかったと言われています。いずれにせよ、この伝承をもとにヘブライ人・ユダヤ人社会は成り立っていきます。 ちなみに、このヘブライ人達と神・・・。実は、オリエントでは多神教が当たり前だったのに、彼らは一神教を選びました。 唯一神ヤハウェです。

 さて、このころヘブライ人達の土地にはぺリシテ人などの異民族も勢力を拡大していました。そのため、最初は、預言者やカリスマ指導者が率いていたヘブライ人は、これに対抗するために、本格的に国家を形成します。

 紀元前11世紀末、サウルが王国を建国。彼は戦死しますが、ついでソロモン王ダヴィデ王の下で、王都イェルサレムを中心に、周辺に勢力を拡大していきました。このとき、ソロモン王はフェニキア人と手を組んで、贅沢な暮らしをします。が、その下で庶民は困窮しました。

 そして、ソロモン王の死後は部族対立が起こり、ヤラベアム1世率いる北のイスラエル王国、レハバアム率いる南のユダ王国に分裂しました。 が、さらにこの中でも宗教観の違いなどから弱体化。そのため、イスラエル王国は前722年にアッシリア帝国に滅ぼされ、歴史上から姿を消します。

 一方。ユダ王国はアッシリアに貢ぎ物を送り、何とか命脈を保ちますが、135年後、ネブドカザル2世率いる新バビロニア帝国に滅ぼされました。このとき、ユダの民は反乱を起こしたため、多くが、首都バビロンに連れて行かれ奴隷となった事から、これをバビロン捕囚と言います。

 その中で、彼らは唯一神ヤハウェへの信仰を深め、次第にユダヤ人だけが救われるという選民思想を打ち立てます。これが、ユダヤ教です。後にユダヤ人は、基本的にユダヤ教を信仰する者を指す事になります。いや、もちろんおおざっぱな分け方にはなりますが・・・。ユダヤ人の定義については難しく、実際にはよく解っていないので、ここでは曖昧にします。
 
 さて。新バビロニアの栄光は長く続かなく、前539年、イラン高原で勃興したペルシアによって滅ぼされます。ペルシア王キュロスは、ユダヤ人を解放したため、イェルサレムに帰還。預言者ハガイゼカリヤの指導で、復興を遂げます。この次のお話はまた今度。

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