第13回 ササン朝ペルシアとゾロアスター教

○今回の年表

226年 パルティアの滅亡、ササン朝の建国。
前332年 アレクサンドロス3世、エジプトを征服し、アレクサンドリアを建設。
前330年 アケメネス朝ペルシア、滅亡。
前323年 アレクサンドロス3世死去。後継者争いの勃発。
前317年 インドでマウリア朝が成立。
前312年 セレコウス朝シリアの建国。
前306年 プトレマイオス朝エジプトの建国。
前272年 ローマ共和国、イタリア半島を統一。
前248年 パルティア王国の建国。
前129年 パルティア、新都クテシフォンを造営。
162年 ローマ帝国、パルティアを滅ぼす。

○ササン朝の隆盛


 ローマと抗争し、疲弊したパルティアを226年に滅ぼし、これに取って代わったのがササン朝ペルシア(222〜651年)です。建国したのは、パーパク(位208〜240年)アルダシール1世(位222〜240年頃)親子。ササンというのは、パーパクの親の名前だとか(もっとも、ここら辺ははっきりしていないらしい)。

 アルダシール1世は、パルティアを滅ぼすと都をクテシフォンに定め、中央アジアからメソポタミアに至るまでの領土を獲得し、当然ローマとも戦うことになります。アルダシール1世の次の、シャープール1世(位241〜位272年)はローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕らえるなど、大戦果を上げ、喜んだ彼は壁画に自身の前に跪くヴァレリアヌスの絵を彫らせています。また、シャープール1世はインドの王朝であるクシャーナ朝も破り、大帝国を築き上げます。
(図:最新世界史図表’97 第一学習社より)

○ゾロアスター教の登場

 ところで、ここにゾロアスター教という宗教が本格的に登場します。正確にはずいぶん前の、アケメネス朝ペルシアの頃から勢力を拡大していた宗教です。このササン朝によって初めて国教となりました。ゾロアスター教は一神教で、これは最初の頃、珍しい存在でした。元々オリエントでは、多神教が主流で、それがためにエジプトのアメンホテプ4世は唯一神アメンへの信仰強制に失敗し、ユダヤ人達は唯一神ヤハウェを信仰する中で他民族から孤立したことは、すでに述べたと思います。  ゾロアスター教の創始者は、予言者ゾロアスターという人物です。この人について詳細は不明で、学説色々だが前6〜5世紀頃の人物らしく、新バビロニアの勢いが盛んな頃の人です。世界は善の神アフラ・マズダと、悪の神アーリマンの戦いで、最後は善の神が勝つ、そして善の神の子である聖なる火を信仰しようというのが教義です。教典は「アヴェスター」。

 一方、ローマ帝国は313年、コンスンタンティヌス帝が、それまで弾圧していたキリスト教を国教にします。よって、これ以後は領土争いだけでなく、キリスト教VSゾロアスター教という宗教戦争の性質も少し現れてきます。
 ところで、どんな宗教にでも本家筋から離れるのもが登場するもので、ゾロアスター教にも「異端」と呼ばれるグループがあります。もっとも有名なのがマニ教ミトラ教。 マニ教は、マニ(216〜277年)が創始した宗教で、キリスト教とゾロアスター教をミックス。北アフリカ、南フランスから中央アジア、中国にも伝わります。その後、キリスト教徒からもイスラム教徒からも迫害を受けましたが、今でも生き残っています。

 ミトラ教はローマ帝国軍の兵隊に普及し、イギリスにもミトラ教の寺院跡が発見されています。また、マズダク教というのもあって、こちらは特権の廃止など極端な平等思想や、肉食の禁止を基本とする珍しいタイプの宗教です(ゾロアスター教の異端の一種とも言われる)。

 が、平等なんて言うと当然、支配階級からは目の敵にされ、6世紀には弾圧を受けて滅びました。ちなみに、王の中にもカワード1世は、これを支持しました。これは、ゾロアスター教の勢力を弱めるため。しかし、一説によるとそのために暗殺されたとも言われ、またマスダク教は、後継者選びの時に、次の王となったホスロー1世への指名に反対したため、彼に目の敵にされ、弾圧されました。

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