第15回 イスラム教の基礎はこうして誕生した

○今回の年表

570年頃 ムハンマドが生まれる。
581年 中国で隋が建国される。
607年 小野妹子が遣隋使として日本から隋へ派遣。
610年頃 ムハンマド、預言者アラーから啓示を受ける。
618年 唐が建国され、隋が滅亡。
622年 ムハンマド、メディナに移住(ヒジュラ)。

○ムハンマド、現れる

 ササン朝ペルシアと東ローマ帝国の抗争が激化すると、昔からのシルクロードや、アラビア半島東部を使った「海の道」と呼ばれる、両東西交易路は危険で衰退し、代わってアラビア半島西部と海を組み合わせた交易路が発達するようになります。その交易路の中継都市として、大きく発展したアラビア西部の都市がメッカです。メッカにはまた、遊牧民の信仰の対象であるカーバの神殿もあり、多くの人を集めることになります。

 この都市を5世紀以降支配していたのが、クライシュという部族です。クライシュ族は更に、カーバ神殿周辺に住む身分の高い部族、その周辺の山麓に住む身分の低い部族ら12の部族に分かれます。

 570年頃、このクライシュ12部族の名門ハーシム家に生まれたのが、ムハンマド(マホメット)です。ムハンマドは、もちろん後のイスラム教の基礎を作り上げた預言者。6歳で孤児となった彼は、祖父と叔父に養育され、隊商貿易に従事。そんな中、彼は誠実な人柄だったらしく大富豪で未亡人のハディーシャに仕事を任され、これが縁で結婚することになります。当時ムハンマドは25歳、ハディーシャは40歳でした。二人の間には、三男二女が生まれ(ただし男子はいずれも早世)、幸せ一杯のムハンマドは、メッカ近郊の山中で瞑想をするのが趣味で、よく通っていました。

 ところが、610年頃。彼は天使を通じて唯一神アラーの啓示を受けることになります。驚いた彼が妻ハディーシャに相談すると、励まされ預言者として活動することになります。ハディーシャが、「何を馬鹿なことを」と言ってしまえばイスラム教は成立しなかったかもしれず、これは大事件です(まあ、伝承ですので、実際どういう感じだったかは解らないですが)。

○イスラム教の基本

 さて、唯一神アラーの預言者として活動を開始したムハンマド。その後もアラーからの啓示を受け、次のような教えを大成します。特徴は以下の通り。

 ・偶像崇拝の禁止多神教への批判・・・人々の精神の堕落を招くから。
 ・唯一神アラーの前では、人は種族・階級・貧富・関係なく平等である・・・このため、既得権益からは目の敵にされる。
 ・六信五行アラー・天神・経典『コーラン』・預言者・来世・天命信仰告白・礼拝・断食・喜捨・巡礼
  ★預言者・・・予言ではなく預言。神の意図を伝えるために送られた存在のこと。 アダムやモーセ、イエス=キリストも
   含まれるが、ムハンマドがその中で最大とされる。
  ★天命・・・自然界で起こる全ての事象はアラーの意志によって起きる。
  ★信仰告白・・・アラーの他に神はなく、ムハンマドはアラーの使徒である、と唱えること。
  ★断食・・・イスラム暦の9月において、1ヶ月間日の出から日没まで一切飲食を絶つこと。飢えを我慢することによって
         普段飲食できることを神に感謝するとか。なお、日没後は飲食可能。
  ★喜捨・・・収入に応じた税金。
  ★巡礼・・・なるべく一生に一度、メッカのカーバ神殿にお参りに行くこと。
 ・ムスリム(六信五行の実践と神に身を捧げた者)の存在。
 ・経典『コーラン』・・・コーランとは、読誦すべきもの、という意味。7世紀半ばに今の形に。
 ・安息日は金曜日
 ・女性は肌を見せないように。
 ・豚は食べてはいけない。
 ・男性は妻を4人まで持つことが出来る。ただし、平等に愛することが条件で、実際のところ2人以上持つのは希だとか。
 ・弱者には無条件で手をさしのべる。

 と、まあこんな感じです。ムハンマドが考えたものもあれば、その後少しずつ変容したものもあるかも知れませんが、ともあれコレがイスラム教の基本のようです。さて、次のページで本編に戻りましょう。


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