第一話 アンチ原付・・・高校生のころ

○嫌いな乗り物だった原付

 大学生になるまで私は原付に対して全くといっていいほど良い印象をもっていなかった。
 むしろ嫌いな乗り物だった。

 高校生のころは自転車でよくでかけていた(バスや電車よりも遥かに小回りがきくし金がかからないから)。自転車は歩道、もしくは路肩を走行するわけで、自動車が信号で止まっていてもその横をスルスルと抜けることができ、信号の直前まで進行することが可能である。



 しかし、時にその前方を塞ぐものがいた。バイク・・・おうおうにして原付スクーター!!
 自転車と似たような特性をもっているため、路肩、歩道に進入することが可能なのだ。自転車で通行可能な場所でも原付ではいけないところ(電柱と家の壁の間など)があるため、原付は信号のはるか後方の歩道でストップすることがある。原付は歩道いっぱいを占拠しているので、原付を抜かして前に踊り出ることはままならない。コイツがいなければ信号ギリギリまで進出できるのに・・・。



 そんな歯痒さを若き日の自分は覚えた。信号が青にかわればかわったで、原付は歩道から道路へと移動し、一気に進んでいけるが自転車はそうはいかない。そもそも、自力で動かさなくてはいけない自転車にとってストップするということは普通にこいでいる以上に体力を消耗して再発進させなければならないことになるので苦痛である。



 さらに、もう一つ原付の嫌いなところは、原付の後ろで信号待ちをしていると否応無しに浴びせられる排ガスである。自動車も排ガスをだしているが、ディーゼル車でもない限り、あからさまに臭い排ガスをはいたりはしていない。しかし、原付は不快だと感じる臭いと、はっきりと灰色であることを確認できる排ガスをまきちらしているのだ。原付の発進の際など大量の排ガスが撒き散らかされ、たまったものではない。



 特に夏場などは自転車をこいでいるだけでも汗だくなのに、高熱の排ガスをもろに浴びせられては、体中に排ガスがまとわりつくようで、太陽の暑さと信号待ちという精神的ストレスといった悪条件もあって、いよいよ原付スクーターについて敵意がむけられることとなっていた。




 高校生のころ原付をはじめとして運転免許をとることは禁止されていた(ただし、船舶免許はいいようで弟は船舶免許をとりにいった)。しかし、その禁忌を破って二輪免許や自動車免許をとりにいく者が結構いた。特に原付免許は教習をうけなくてもよいので、とりにいく者、いこうとした者が随分といた。おうおうにして学校に免許を取得したことがもれて謹慎処分をくらっており、車の運転・バイクの運転に全く関心のない私はざまあみろと心の中でつぶやいていた。



 朝礼などで免許のことが話題になったときに
「高校生くらいになるとスピードへの憧れがでてくるのはわかるが」
 と生活指導の先生がいっていたが、わたしは一生スピードなんぞに憧れることはないという変な自信があり、謹慎処分を受けた人たちに対して同情の余地をいだくことなど全くなかった。私の友人でも原付免許をとろうと学校で教本を読んでいたら先生にとりあげられたという者もいた。



 正直、自動車やオートバイに乗りたいというのはわからないでもないが、原付、おうおうにしてスクーターに乗りたいという心が知れなかった。原付スクーターは見た目がスポーツバイクと異なり全然格好よくなく、スピードも大してでるわけでもなく、非常に中途半端な印象があった。友人が原付スクーターを買ったときも、他の連中が関心を示していたのに対し、私は全く関心を抱かなかった。自動車の代用品・・・としか考えていなかったのだろう。



 今思えば、原付は自動車の代用品という考え方は未来の私にとって否定すべき考え方となるものであった。


 原付に実際に乗る以前の私・・・、高校時代の私の原付に対する印象は悪いものであり、これは実際に原付にのるまで、そして乗ってから以降もひきずっていくことになるものであった。





棒