第四十四話 かつてライダーだった男

 実は二輪の教習をうけにいっていることは親には黙っていた。家族で私が二輪の教習を受けていることをしっているのは弟だけだった。夏休みに、友人の文遠と二輪教習をうける話が盛り上がった時に、親に何気なく
「二輪免許欲しい。」
と言って探りをいれたことがあった。すると親父に
「バイクの免許ぉ!?とっても無駄になるだけ。車に乗るようになればいらなくなる。」
と軽く否定されてしまった。しかし、私はそこで引き下がらず、ある一つの事実を突きつけた。

「でも父さんだってバイクの免許もってるじゃん!」


 そう、親父はバイクの免許を保持していたのだ。しかも、免許取得日は十六歳の誕生日の日・・・。当時は二輪教習所はなかったので、恐らく免許取得可能年齢である十六歳の誕生日を迎えると免許センターにいき試験をうけたのだろう。人にはバイクの免許とるなとか言っておきながら、自分は誕生日に免許をとるようなマネをしているじゃないか・・・。私は非難の気持ちも込めて親父に一言つきつけた。


 すると
「バイクの免許は車の免許をとるまでの繋ぎとしてとっただけ。実際、車に乗るようになったらバイクには乗らなくなるから無駄になるだけ。」
 とのこと・・・。なるほど・・・、親父にとって二輪免許はあくまで繋ぎか・・・。実は私がバイクの免許をとりたい理由の一つに、車の運転に全くもって自信がなく、出来れば将来的にも車に乗りたくないと思っていたからというのがある。


 なので、最近、やっと運転できるようになった原付の発展型であるビッグスクーターならなんとか乗れるのではと思い、周りの連中には「車よりバイクが好きだからバイクに乗っている」と、車に乗れない言い訳を、さも自分のポリシーであるかのようにいえるようになりたいと思っていた。


 もちろん、原付もバイクであることにかわりないのだが、「車を持っておらず常に移動手段がバイクである。なぜならバイクが好きだから」という理由を成立させるには原付ではやはり弱い。自動車免許とセットでついてくる原付免許しかもっていないのに「バイクが好きだから」という理由は「車が運転できない言い訳」にしか聞こえない。例え普通自動二輪を所有していなくても、二輪免許さえあえれば、現時点では資金的な余裕がないから原付で我慢しているという言い訳が成立するわけだ。


 ・・・学生時代の私は純粋にバイクに乗りたいという動機のほかに、「バイクが好きだから車に乗らない、だから車の運転は苦手」という虚勢を張るために免許をとりたいという動機ももっていた。


 しかし、結局のところ就職した会社の業務内容が「車の運転ができないと仕事にならない」というものだったので、結局車の運転技術を身に着けなくてはいけなくなってしまった。おかげで今ではミッション車や左ハンドルの車まで運転できるようになった。勿論、運転技術の習得までには会社の車を何回壁にぶつけたかわからないが・・・(ちなみに、今でも「下手だな」といわれる)。


 話を戻そう。私は父が車の話をだした時点で、次の攻勢にでようかどうか迷った。親父に「バイク云々の前に車の運転の練習をしろ!」 といわれそうで怖かったからだ。ここは私の話はさておき親父の話を聞いてみることにした。


「そういえば、父さんはバイクに乗ってたの?」


 私は今の年になるまでバイクや車に興味がなかったので、父がバイクの免許を持っていることは知っていたが、父がバイクに実際乗っていたかどうかを聞いたことはなかったのだ。


「半年くらい乗ってたよ。ただ、浜松駅において電車に乗ってでかけて戻ってきたら盗まれてた。警察に届けをだして、半年・・・一年くらいして浜松駅でみつかったけど、ボロボロになって返ってきた。結局、車の免許をとって車に乗るようになったから、それ以降バイクには乗っていない。」


 盗まれて、ボロボロになって返ってきた・・・そんな悲惨な過去があったとは・・・。


 結局、親父にとってバイクは本当に車へのつなぎでしかなかったわけだ。親父の思考では車の免許がとれる年齢に達する前にバイクの免許をとるというのはありだが、車の免許をもってるのにバイクの免許をとるというのはありえないというわけか。


 私は親父を説得するのは到底できそうもないので、黙って免許を取りに行くことにした。教習代は自分で全て払うわけだし、二輪の免許は自動車免許とセットになるから、免許を親父にみせない限り二輪免許をもっていることがバレることはない。だが、バイクを買うにあたっては、いくら自分がお金をだすとはいえ、親父の家に住まわせてもらっている以上親父に黙っているわけにはいかない。


 親にいつ免許のことを話そうか・・・私は教習が始まって以来その機を窺っていた・・・。

棒