半刻ほどして、蕎麦屋の床机に二人の姿があった。板壁にもたれているほうが半乃助で、机に突っ伏しているほうが(自称)辻斬り男だ。さすがに今は覆面を外している。どうも酒で口を割らされているらしい。
「やはり駄目でござった。今夜こそは・・と思ったのだが。」
「やはり、とは?これまで何度も試したのか。」
「さよう。かれこれ一週間にはなろうか。魚河岸に出ては人数を数えておったのだがどうもぴったり数が揃わなんだ。無理に斬ろうとしたがやはりできんのう。」
・・どうも嫌な感じがする。半乃助が次の質問をするためには杯をあおらなければならなかった。
「・・と言うと。その、百人斬りと言うのは・・。」
「左様。拙者はいっぺんに百人斬りたいのだ。」
半乃助は、杯を握ったまま視界が再び紫色に染まっていくのを感じた。本日二回目である。
その後支離滅裂な男の話の断片をつなぎ合わせて判ったことだが、彼はどうやら極端な数嗜好(ふぇ)愛者(ち)として、「百」という数字に強い愛着を感じるヲタ…もとい、変わり者らしい。名は後野百太郎といい、そこそこの武者屋敷に生まれたものの幼少時よりその性癖を現し、元服してからは百済の研究と和算に没頭して身代を食いつぶしそうになって、後野家から破門されたという。最近では百日を一単位とした新しい暦を独力で組上げ、江戸万暦として幕府に持ち込もうとして蹴られた、という風なことを百太郎は酒臭い息で語った。
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変な相談は変な人間のところに持ち込むに限る、という訳で次の日に半乃助は百太郎を引っ張って、明日心剣の住む長屋にやってきた。心剣は大きな男だ。不精とも見える髭が顔中を覆っているせいで年齢は不詳。本人は易学者だとか千里眼だと名乗っているが仕事をしているところを誰も見たことが無い。その代わり本草学から天文、歴史、果てはお上の裏事情にもやた
らと詳しいとあって、半乃助はしょっちゅう心剣の所に厄介事を持ち込むのである。
半乃助の話を黙って聞き終わると、心剣はやおら百太郎のほうに向き直り、巨体に似合わぬ丁寧な口調で話し始めた。
「百太郎さん、あなたが百にこだわるのは分かりましたが、そもそもなぜ辻斬りをしたいと思うようになったのですか?その辺りがどうも解せませんね。」
「それが、拙者にもよく分からぬ。夕方から夜にかけて(百人ぴったり)人を斬りたい、斬りたいという気持ちが抑えきれなくなり、気がつくと刀を握っておるのです。」
「それは、いつ頃からのことですか。」
「それは・・・。この病が始まって、かれこれ七日にはなろうか。」
心剣は天井を見上げると、髭を音立ててかきむしった。何か一心に考えているようだ。
「その頃、なにか変わったことは無かったですか?強い光を見たり、気を失ったりしたことは?変な味の物を食べたりしませんでしたか?」
百太郎はしきりと目をしばたいた。
「そういえば、妙な荷がひとつござった。拙者最近は百足の収集をしておって、足がきっちり百本の百足を探しておるのです。自分の足で行かれぬところのものは人づてに、飛脚に運んできてもらうのだが・・・。」
「それで?」
と半乃助。百足と百人斬りと何の関わりがあるというのか。
「この前届いた包みの中に、丹波の山奥で見つかった緋色の百足がござっての。焼酎漬にしてあったぎやまんの瓶の栓を抜くと、急に眩暈がして・・・。気がつくと畳に寝ておった。」
それを聞いて心剣が身を乗り出した。
「その百足と瓶、まだ取ってありますか?」
「いや、それから見た覚えは無いが・・・。家に帰って捜してみねば」
「その瓶が見つかることはまず無いでしょう。」
心剣はそう断言すると二人を交互に見た。
「間違いなく、百太郎さんは頭の中をいじられてますね。瓶に薬が仕込んであったのでしょう。海の向うに伝わる人心術のようなもので、人を斬ることを刷り込まれているのでしょう。」
「そんな!では拙者は騙されていたのか!これから、これからどうすれば・・・」
「私一人の力では如何ともし難い。とりあえず、家からなるべく出ないようにしておくことです。百足の足など数えているのも良いかもしれません。さあ、もうお帰り下さい。」
はなはだ無責任なことを言うと、心剣は百太郎を追い出すように長屋から出してしまった。
「いいのか、心剣。一人であいつを帰してしまって。誰かが斬られるんじゃないのかい。」
「大丈夫、状況から見て明るいうちに催眠指令は発動しないはずです。」
心剣は棚からなにやら書物を取り出すと、ぱらぱらめくりながら言った。
「それより問題なのは、彼に術をかけた黒幕のほうです。あれだけ深層心理に食い込めるのであれば、かなりの技術が有ると言っていい。」
「・・・?大物だということか。しかし、何が目的でそんなことをしたのだろうな。」
ぱたん!と音を立てて手にした本を閉じると、心剣は半乃助の目をじっと見つめた。髭だらけの顔に睨まれるようで半乃助はちょっとひるんだ。
「半乃助さん。人の肉・・・いや、内腑が金になることは知っていますか?」
「??旨いのか?」
心剣はあきれた顔で言った。
「食べるわけ無いでしょう。病気を治すんですよ。」
「じゃあ、黒焼きにして煎じて飲むのか?」
「ちがーうっ!どうしてそこに繋がるんですか。 臓器交換ですよ。結核になったものは肺の府を取り替えればよいし、中風病みであれば肝を入れ替える。それだけではありません。肉の一欠けからも当人の肉体をそっくり再生できるという、そんな学問が・・あー・・・されていると聞いています。」
「そのために百太郎を操って人を斬らせようとしたのか。でも何故そいつらは自分で人をさらわないんだ?」
半乃助の予想に反して、心剣は理解し難い恐ろしい事実を語り始めた。
「工業化前時代とはいえ、この時代の人間はすべて法で保護の対象になっています。ただし、死体を持って帰って研究するのはある程度許可されています。そういう事なんですよ。」
「・・・お前、何の事を言っているんだ?」
心剣はまた半乃助の目をじっと見た。今度は半乃助もひるまなかった。心剣は一つ大きく息をつくと、再び話し始めた。
「この際、はっきり言いましょう。半乃助さん、私は未来、それも何百年も未来から来た人間です。この時代には他にも未来から人間が来ていて、その中には悪事を働こうとする輩もいます。 私は、そういった連中をしょっ引く岡っ引なんですよ。」
半乃助は、視界が再び紫色に染まっていくのを感じた。これで三回目。貧血気味なのか。
二日後、明日心剣が立案し、半乃助の仲間の協力による「百人囮大作戦」が行われた。ぴったり百人の囮により百太郎が暴走し、皆が斬られて死んだふりをしたところにのこのこ出てきたバイオ・メカニカ・インダストリィの研究員達は、心剣の通報で周囲に張っていた時空航行局の監視員によりあっさりと拿捕、百太郎の洗脳も解除された。半乃助はというと、事件解決の謝礼として(それなりに)報酬(および口止め料)をもらい、今でも厄介事に首を突っ込んでは心剣のところに相談に来る毎日
である。