裏辺研究所 オリジナル創作物 > 百人切り
棒

百人切り 作:片桐隼人


 ―風が出てきたな。

 魚河岸脇の蕎麦屋の紺暖簾をくぐりながら男は胸の中でつぶやいた。男は名を浦辺半乃助といった。本所北割に屋敷を構える旗本の次男坊だが、跡取の長男である兄がしっかりしているお蔭で本人は毎日ぶらぶらしている。好奇心が強く、揉め事に首を突っ込むのが好きで、一族から煙たがられているということもあるらしい。

 そんな彼のここ数日の散策は、明らかに目的を持ったものだった。夕刻から夜半にかけて、神田川に沿って行きつ戻りつを繰り返すのだ。

 ―こりゃ、今日も無駄足かもな。
半乃助はある男を捜していた。というより、出会うのを待っていた。もとよりまともな素性の相手ではない。辻斬りである。

 ―神田川東岸魚河岸の辺りに人斬りが出るー
 五、六日前から日本橋界隈でそんな噂が立ち始めた。辻斬りは、この天下泰平の徳川の御時世でもさほど珍しいことではない。

 噂には変わった尾鰭があった。その辻斬りは脅すだけで、まだ誰も斬られたものはいないとか。いや、既に百人は斬っているとか。噂を聞いた判乃助の悪い虫がムクムクと動き出し、こうして今彼は神田川沿いの土手道をふところ手でてくてくと歩いているというわけだ。 文月といえども七夕を過ぎたばかりではまだ残暑が厳しい。日が落ちて辺りが薄暗くなった今も風が昼の熱気の残りを川沿いにはこんでくる。

―今日はもう帰ろうか。
そう半乃助が思いながら魚河岸の裏手に回ったとき、右半身にピリッとした殺気を感じた。刹那、河岸に積んであった材木の陰からばねのように飛び出して来た影があった。―来た!
 
 半乃助が両手をふところから抜き出すと同時に、相手が無言裡に抜刀した。何の変哲も無い着流しの浪人姿に、黒の覆面を被っている。青眼の構えからかなり腕前が立つようだ、と半乃助は見て取った。
「何が望みだ?金か?ただの辻斬りか?」
 半乃助の言葉に男(女かも)の肩がわずかに動いた。どうやら「ただの」という所に反応したらしい。
「只のではない。拙者は百人斬りだ。」
「すると、あんたが噂の百人斬りってわけだ。後何人で大願成就なんだい?」
 自分が斬られるといったことはまるで考えていない風に半乃助が返すと、黒覆面はグッと詰まった。痛いところをピンポイントに突かれたらしい。それとも、「それとも、俺で百人目なのかな?」

 黒覆面の肩がぴくぴくと動くのにつれて刀の切っ先も揺れる。危なっかしいことこの上ない。覆面の下は汗ジトのようだ。
「きっ、貴様を斬ればっ」
「斬れば?」
「貴様を斬れば、残り九十九人だっ!」
「・・・」
「・・・」
 一瞬目の前が紫色になった半乃助は、鞘に入れたままの刀で相手の切っ先を払い、そのまま覆面の下辺りをぶん殴った。やけに景気のいい音がして黒覆面は材木の山に突っ込んだ。
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

 半刻ほどして、蕎麦屋の床机に二人の姿があった。板壁にもたれているほうが半乃助で、机に突っ伏しているほうが(自称)辻斬り男だ。さすがに今は覆面を外している。どうも酒で口を割らされているらしい。
「やはり駄目でござった。今夜こそは・・と思ったのだが。」
「やはり、とは?これまで何度も試したのか。」
「さよう。かれこれ一週間にはなろうか。魚河岸に出ては人数を数えておったのだがどうもぴったり数が揃わなんだ。無理に斬ろうとしたがやはりできんのう。」
 ・・どうも嫌な感じがする。半乃助が次の質問をするためには杯をあおらなければならなかった。
「・・と言うと。その、百人斬りと言うのは・・。」
「左様。拙者はいっぺんに百人斬りたいのだ。」
 半乃助は、杯を握ったまま視界が再び紫色に染まっていくのを感じた。本日二回目である。

 その後支離滅裂な男の話の断片をつなぎ合わせて判ったことだが、彼はどうやら極端な数嗜好(ふぇ)愛者(ち)として、「百」という数字に強い愛着を感じるヲタ…もとい、変わり者らしい。名は後野百太郎といい、そこそこの武者屋敷に生まれたものの幼少時よりその性癖を現し、元服してからは百済の研究と和算に没頭して身代を食いつぶしそうになって、後野家から破門されたという。最近では百日を一単位とした新しい暦を独力で組上げ、江戸万暦として幕府に持ち込もうとして蹴られた、という風なことを百太郎は酒臭い息で語った。

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 変な相談は変な人間のところに持ち込むに限る、という訳で次の日に半乃助は百太郎を引っ張って、明日心剣の住む長屋にやってきた。心剣は大きな男だ。不精とも見える髭が顔中を覆っているせいで年齢は不詳。本人は易学者だとか千里眼だと名乗っているが仕事をしているところを誰も見たことが無い。その代わり本草学から天文、歴史、果てはお上の裏事情にもやた
らと詳しいとあって、半乃助はしょっちゅう心剣の所に厄介事を持ち込むのである。
 
 半乃助の話を黙って聞き終わると、心剣はやおら百太郎のほうに向き直り、巨体に似合わぬ丁寧な口調で話し始めた。
「百太郎さん、あなたが百にこだわるのは分かりましたが、そもそもなぜ辻斬りをしたいと思うようになったのですか?その辺りがどうも解せませんね。」
「それが、拙者にもよく分からぬ。夕方から夜にかけて(百人ぴったり)人を斬りたい、斬りたいという気持ちが抑えきれなくなり、気がつくと刀を握っておるのです。」
「それは、いつ頃からのことですか。」
「それは・・・。この病が始まって、かれこれ七日にはなろうか。」
 心剣は天井を見上げると、髭を音立ててかきむしった。何か一心に考えているようだ。
「その頃、なにか変わったことは無かったですか?強い光を見たり、気を失ったりしたことは?変な味の物を食べたりしませんでしたか?」
 百太郎はしきりと目をしばたいた。
「そういえば、妙な荷がひとつござった。拙者最近は百足の収集をしておって、足がきっちり百本の百足を探しておるのです。自分の足で行かれぬところのものは人づてに、飛脚に運んできてもらうのだが・・・。」
「それで?」
 と半乃助。百足と百人斬りと何の関わりがあるというのか。
「この前届いた包みの中に、丹波の山奥で見つかった緋色の百足がござっての。焼酎漬にしてあったぎやまんの瓶の栓を抜くと、急に眩暈がして・・・。気がつくと畳に寝ておった。」

 それを聞いて心剣が身を乗り出した。
「その百足と瓶、まだ取ってありますか?」
「いや、それから見た覚えは無いが・・・。家に帰って捜してみねば」
「その瓶が見つかることはまず無いでしょう。」
 心剣はそう断言すると二人を交互に見た。
「間違いなく、百太郎さんは頭の中をいじられてますね。瓶に薬が仕込んであったのでしょう。海の向うに伝わる人心術のようなもので、人を斬ることを刷り込まれているのでしょう。」
「そんな!では拙者は騙されていたのか!これから、これからどうすれば・・・」
「私一人の力では如何ともし難い。とりあえず、家からなるべく出ないようにしておくことです。百足の足など数えているのも良いかもしれません。さあ、もうお帰り下さい。」
はなはだ無責任なことを言うと、心剣は百太郎を追い出すように長屋から出してしまった。
「いいのか、心剣。一人であいつを帰してしまって。誰かが斬られるんじゃないのかい。」
「大丈夫、状況から見て明るいうちに催眠指令は発動しないはずです。」
 心剣は棚からなにやら書物を取り出すと、ぱらぱらめくりながら言った。
「それより問題なのは、彼に術をかけた黒幕のほうです。あれだけ深層心理に食い込めるのであれば、かなりの技術が有ると言っていい。」
「・・・?大物だということか。しかし、何が目的でそんなことをしたのだろうな。」
 ぱたん!と音を立てて手にした本を閉じると、心剣は半乃助の目をじっと見つめた。髭だらけの顔に睨まれるようで半乃助はちょっとひるんだ。

「半乃助さん。人の肉・・・いや、内腑が金になることは知っていますか?」
「??旨いのか?」
心剣はあきれた顔で言った。
「食べるわけ無いでしょう。病気を治すんですよ。」
「じゃあ、黒焼きにして煎じて飲むのか?」
「ちがーうっ!どうしてそこに繋がるんですか。 臓器交換ですよ。結核になったものは肺の府を取り替えればよいし、中風病みであれば肝を入れ替える。それだけではありません。肉の一欠けからも当人の肉体をそっくり再生できるという、そんな学問が・・あー・・・されていると聞いています。」
「そのために百太郎を操って人を斬らせようとしたのか。でも何故そいつらは自分で人をさらわないんだ?」
 半乃助の予想に反して、心剣は理解し難い恐ろしい事実を語り始めた。
「工業化前時代とはいえ、この時代の人間はすべて法で保護の対象になっています。ただし、死体を持って帰って研究するのはある程度許可されています。そういう事なんですよ。」
「・・・お前、何の事を言っているんだ?」
 心剣はまた半乃助の目をじっと見た。今度は半乃助もひるまなかった。心剣は一つ大きく息をつくと、再び話し始めた。
「この際、はっきり言いましょう。半乃助さん、私は未来、それも何百年も未来から来た人間です。この時代には他にも未来から人間が来ていて、その中には悪事を働こうとする輩もいます。 私は、そういった連中をしょっ引く岡っ引なんですよ。」
 半乃助は、視界が再び紫色に染まっていくのを感じた。これで三回目。貧血気味なのか。

 二日後、明日心剣が立案し、半乃助の仲間の協力による「百人囮大作戦」が行われた。ぴったり百人の囮により百太郎が暴走し、皆が斬られて死んだふりをしたところにのこのこ出てきたバイオ・メカニカ・インダストリィの研究員達は、心剣の通報で周囲に張っていた時空航行局の監視員によりあっさりと拿捕、百太郎の洗脳も解除された。半乃助はというと、事件解決の謝礼として(それなりに)報酬(および口止め料)をもらい、今でも厄介事に首を突っ込んでは心剣のところに相談に来る毎日 である。

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