2002年に作曲家、千原 英喜(1957〜)が「おらしょ――カクレキリシタン3つの歌」の姉妹作として発表した「T」〜「W」の全4楽章とエピローグ「X」からなる混声4部合唱の組曲「どちりなきりしたん」の第4楽章(終曲)。
組曲の背景にあるのは皆さん日本史で習ったであろう、1549年にザビエルがやってきてから江戸時代に禁教となるまでのキリスト教の繁栄と悲劇のおよそ100年間。
タイトルの「どちりなきりしたん」とは、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけ、日本でのキリシタン教育に使われた教理本の題名で、曲の歌詞には、この本を含む複数の当時の教義本、ミサ典礼文、南蛮歌謡がテキストとして使用されています。
終曲「W」ではトマス・ア・ケンピス(1380頃〜1471)著の信心書「イミタティオ・クリスティ(キリストに倣いて)」を抄録し1610年に国字本として出版した「こんてむつすむん地」(世俗を厭う)の一部と、1605年に長崎のコレジオで発行された司祭のための典礼書「サカラメンタ提要」掲載の、日本初の印刷楽譜からミサ曲「Tantum
ergo」(タントゥム エルゴ/この大いなる秘蹟を前に)のアレンジ、更には新約聖書からの一節からなります。
組曲の他の曲と比べると、緩急が激しくスピード感があります。曲調は短調のため悲愴感が漂いますが、内容は比較的前向きで、ひたすら世を厭いキリストを信じ、いずれ来たるキリスト教の繁栄を力強く語る非常に格好いい曲です。
この曲は組曲中でも特に人気があり、合唱コンクールの自由曲や演奏会での演奏も多いです。私U-lineのAもこの曲は組曲中で唯一実際に歌いましたが、速い部分あり、たっぷり歌う部分ありと…楽しめた一方苦労した思い出も多い一曲です。
この演奏は若干ゆっくり目。丁寧で素晴らしいですがちょっと緩慢かなとも思います。
こちらは少人数でのアンサンブル。かなり緩急が激しい演奏です。癖がありますがこっちのほうが曲のイメージには合っているかも。
こちらは「殉教も厭いません!」といった感じの強い信仰のイメージですね。
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初めはTenorのSolo(or Soli)で聖書の一節(ヨハネの福音書8章12節)が高らかに歌われます。ここは演奏会やコンクールでは見せ場ですね!
そして、全パートが入りその訳を復唱するように歌い始めます。そして「♪ただ…」からは高声・低声同士はユニゾンとなって歌われます。この旋律については日本語部分で多用されており、軸となっています。
間髪入れずに再度Tenor Solo(or Soli)で聖書の一節(ルカの福音書17章21節)が歌われ、全パートが入りその訳を復唱。こちらでは「♪はかなき世界を」で全パートユニゾンとなり音が波打つように上下します。
そしてテンポが上がり、男声(途中から女声も)による語りが始まります。
16分音符が多用された激しく、スピード感ある言葉のかけ合い(この部分の主旋律はBass→Tenor→Alto→Sopranoと移行)で、次々と各パートが醜い現世を語り嘆き、最後は全パートでイエス・キリストへの信仰心を語ります。この「♪ゼズキリシトを…」の部分が非常に印象的で格好いいですね。
つづいて再び最初と同じような部分が現れますが、ちょっと違う。最後の「♪学び奉れ」は「大事なことなので2回言いました」ではありませんが最後に男声が念を押すように語っているのが面白いですね(笑)
そしてテンポが上がり、再び厭世観と信仰の語りが始まりますが、男女や強弱が逆転しております。その辺も注意して聞いてみて下さい。(この部分の主旋律はAlto→Soprano→Bass→Tenor→Sopranoと移行)
ここも最後は全パートで「♪ゼズキリシトを…」と語ります。
そしてヴォカリーズの途中で転調し、ここからは教えを守り天国へ至ったときの素晴らしさを最大6声部で力強く歌い上げます。内容的にどことなく殉教に通じるイメージがあるのは気のせいでしょうか…?
そして転調。ここから雰囲気が一変してミサ曲「Tantum ergo」が始まります。この曲と旋律自体は「U」で既に登場したイベリア風の物ですが、ここでは調が明るく変化し、キリスト教賛歌としての性格を持ちます。基本的には各文の前半部を2パートのみ、後半を全パートで歌う形態は「U」と同じです。
そして、「U」で歌われなかった続きとなる「♪Genitori…」からは教会?をイメージしたベル(トライアングルの場合もある)が鳴り響き、一層明るい雰囲気でデウス、キリスト、聖霊の三位の神への感謝を歌い始め、クライマックスへと盛り上げていきます。
最後は、全パートで「♪laidatio(讃える)」を力強く繰り返し、最後は「a_」のヴォカリーズで余韻を残しつつ曲、そして組曲を終わらせます。
それでは歌詞と訳です。訳は分かりやすいようにしてみました(間違ってたらごめんなさい)。元の歌詞もテキストの出版年代からして掲載は問題ない思うので載せますが…もし著作権法に抵触する場合は歌詞部分は即刻削除しますので。なお、斜体が訳、括弧内は出典です。※文脈上、訳には「デウス」と「神」が混じっています。明確な区別はしていません。
(ヨハネの福音書8章12節)
Qui sequitur me,non ambulat in tenebris,sed habebit lumen vitae.
(こんてむつすむん地)
我を慕うものは闇を行かず、ただ命の光りを持つべし。
私に従うものは闇の中を行くことがなく、ただ命の輝きを持つのです。
(ルカの福音書17章21節)
Regnu Dei intra vos est.
(こんてむつすむん地)
デウスの御国は汝達(なんだち)のうちにあり。はかなき世界を厭うべし。
神の国はあなた達の中にあるのです。このはかない現世を忌み嫌いなさい。
はつる宝を訪ね求め、それに頼みを懸くること、
失った財産を探し求めたり、当てのないそれを頼りとすること、
位、誉れを望み嘆き、身を高ぶること、
位や誉れを望み、失ったときは嘆いたり、それでおごり高ぶること、
世界の実も無きことを厭い、ゼズキリシト※1を真似い奉るなり。
こういった世界の虚しく価値のないことを厭い、イエス・キリストを真似し申し上げるのだ。
心の闇を遁れ、光り得んとおもわば、
心の闇を逃れて、命の輝きを得ようと思うならば、
主の御功績を、学び奉れ。
偉大なる主のご功績を、学び申し上げよ。
天の道※2に至りたらん人は、ここにかくれたる天の甘味をおぼゆるべし。
神々の領域に至った(生天した)人は、ここに隠れている天国の快楽を感じるのです。
(Tantum ergo)
Tantum ergo sacramentum veneremur cernui,
この大いなる秘蹟と聖体を崇め、歌おう、
et antiquum documentum novo cedat ritui,
古い儀式が終わり、新たな祭儀が出来た。
praestet fides supplementum sensuum defectui.
願わくば、信仰が五感の不足を支えるように。
genitori,genitoque laus et jubilatio,
賛美と歓びを父なるデウスと子なるキリストに、
Sals,honor,virtus quoque sit et benedictio,
安全と名誉、勇気、力と祝福もまた、
Procedenti ab utroque compar sit laudatio.
この二つから現れる聖霊もともに(三位の神を)讃える。
※注
※1 ゼズキリシト・・・イエス・キリスト。(ポルトガル語)
※3 天の道・・・神々の領域。(仏教)
いかがでしたでしょうか?前半の雰囲気と後半の雰囲気が驚くほど違うように感じるのではないでしょうか?
テキストの「こんてむつすむん地」からの内容は非常に厭世的ですし、禁教を控えて若干殉教を意識した内容となっていることから、悲しい暗い曲とも受け取られがちですが、後半の賛美歌を聞くとそんな気分も吹き飛びますね。
組曲の背景を考えると、私としてはこの曲は禁教直前をイメージし、キリシタンの受けている苦難を表現しつつ、それでも信仰を捨てない強い心、そして千原先生も述べておられますが、「やがて来るであろうキリスト教国の建立」を夢見る希望が表現されているのだろうと思います。
はい、これで壮大な日本におけるキリシタンの歴史物語も完結、です。
宗教歌というのは概して「難しい」「退屈」「眠い」「意味わかんない」というイメージから苦手意識のある人もいるかと思います(自分も、実際に歌う曲はともかく、他は余程のことがないと退屈に感じます…)が、この組曲は古文とはいえ日本語とラテン語が半々程度であり、若干キリスト教の知識さえあれば何となく理解できると思いますし、何より曲調が様々に変化(特に「V」「W」)するので、単なる「格好いい(面白い)曲」として飽きずに聞くことも出来ますしね。
訳も非常に難しく、大変な執筆作業でしたが、Web検索や古語辞典、小学生の頃、教会の人から渡された新約聖書(私は仏教徒ですが一応捨てずに持っていました…)、そして思い出のつまった楽譜を片手に書き上げました。
これでしばらくはのんびりと…って、あれ?あともう一曲あるの?!
そう、実はこの組曲は「エピローグ」があるのです。では、そちらのほうも聞いてみましょう♪