混声合唱とピアノのための「この星の上で」より
「今年」
作詞:谷川 俊太郎 作曲:松下 耕
“Kotoshi”(This Year)  words:Tanikawa Shuntaro music:Matsushita Ko

(曲解説:U-lineのA)

○どんな曲?

 2006年に作曲家、松下 耕(1962〜)が日本を代表する詩人、谷川 俊太郎(1931〜)の詩に作曲した、混声4部の合唱組曲「この星の上で」の終曲。2011年には男声4部版も発表になっているようです。

 詩の内容としては「今年」をテーマに、「日常」「変化」「生きる歓び・希望」を大きなスケールで描き出しています。(谷川作品を解説するのは難しい…)
 
 この曲は合唱部の先輩が、「松下耕の曲の中で一番好き」と言っていましたが、その後、合唱部で参加した講習会の講師がなんと松下先生ご本人(「信じる」も参照)で、歌うことになり、私もそれ以来好きになってしまいました。(格好いい曲の宿命なのか歌う方はかなり辛い曲ですがね)

○混声4部版
           
 
 もう曲解説はあとでもいいから、とにかく聞いてください。
 解説抜きに本当にいい曲なんです。

○曲解説
※毎度ながら詩の解釈はあくまで個人的なものです…講習会での松下先生の解釈も混じってますが

 最初は、どこか悲しげながら希望を感じるピアノの前奏から。前半では「変わらない日常」が歌われます。しんみりした気分になったところで、全パートがユニゾンで入って、パートが別れて、だんだんと曲の世界へと導入していきます。

 間奏のあとは転調。Alto→Soprano→Tenorとソロが受け渡され、次は女声と男声が全く違う言葉を歌い、最後は全パートで段々と曲を盛り上げていきます。歌詞も非常に哲学的?で心に深くしみていきます。

 ここで再度転調。「くだらぬ〜」から突然16分音符のオンパレードとなり、一気に言葉がぶつけられます。ここからは「ずっと変わらないこと」と「違うこと」、「それでも変わらないこと」がテーマ。非常に格好いいので聞き所です。

 「御飯の〜」からは一旦、SopranoとTenorのソロで曲は落ち着きますが、その後は「ほんの少し」→「今年は」のたたみかけるような掛け合いで曲を盛り上げていきます。

 ハミングと同時に転調し、再び曲の初めと同じピアノの間奏。ここは「地平」「宇宙」「ロケット」などと非常にスケールが大きくなり、雄大な雰囲気。段階的にクレッシェンドでクライマックスへと盛り上げていきます。

 いよいよ曲は終盤。全パート重なって最後のクレッシェンドです。個人的にはここの「生きてゆくかぎり いなむ(否む)ことのできぬ希望が」という歌詞が一番好き。

 クレッシェンドのあとは全パートで「A__」のヴォカリゼーション。この部分は色々と解釈が出来ますが、楽しそうでありつつどことなく哀愁が漂う…私は、「今年」に対してのここまでの感情(憎しみ、悲しみ、怒り、希望、歓び)表現の集大成なのかなと。

 そして、最後は「生きてゆくかぎり」をくり返します。最初は力強い決心のような雰囲気ですが。段々と小さくなっていき、最後は未来を見つめるように穏やかな雰囲気で曲が締めくくられます。

 ここで、私のこの詩に対する解釈です。
……今年もきっと悲しいことがある。きっと泣きながら歌ったり怒りに震えることもあるかもしれない。けれど、きっと、どんなときも「笑いがある」。

……今年もきっとぼんやりあくびしたり、決意が曲がって帰って来ちゃう(旅→帰ってくる)かもしれない。つまりダメな自分のままで、今までと変わらない年になる。

……「農夫」や「数学者」は「野」や「書斎」にいることしかできない。(そんなふうに自分は無力すぎて)不安だらけできっと眠れなくなる。けれど、今年も「自分より小さなもの」(弱い存在?子ども?)や「自分を越えた大きな存在」(恋人?親?神様?)を愛し慕うことはできるし、する。

……今年もくだらないことに喜んだり、ささやかな幸せがあるかもしれない。けれどそれが過去の「大きな不幸」を忘れさせることは出来ない。それでもきっと相変わらず私の「娘の背」は変わらず伸びていく。それは、今まで通りだけれど、変化している。

……今年もきっと今まで通り「御飯のおいしい日」や「新しい靴」を買って幸せって思うかもしれない。きっと今まで通り決心がにぶることがあるかもしれない。でも「今年」は「去年」と「ほんの少し」だけ、何かが「違う」、「違う」んだ…

……地平が遠く果てないことは変わらない。でも人間はこれからもきっと宇宙へと大きなロケットを打ち上げ、新しい世界を拓いていく。こんなふうに人間が進化しても子ども達は遊び喜ぶ、それはきっと変わらない。

……きっと今年は暗いはずはない。「歓び」や「希望」に満ちた年になるはずだ、自分が力強く「生きてゆくかぎり」…

 ・・・いやいや、解説も大変です。(汗)

 私がこの曲を歌った松下先生の講習会があったのは2011年の秋。あの凄まじい東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から半年が経ったものの、記憶が生々しく残っている頃でした。

 それゆえ、この曲を聴くと、「今年」=「2011年」を連想してしまうのですが、その時の報道や自分の体験を振り返ると、何となくこの詩の意味も理解できるものです。

 確かに津波や放射能汚染で悲しいこともあったけどなにかと笑いもあった。でも不幸を忘れることは出来なかった。それでも時は進む。でも無力だ。政治家は変わらないけど、変わろうとしている人たち、自分がいる。来年はどうなるだろう・・・といった具合に。

 とにかくこの曲は音楽的表現も素晴らしいのですが、詩も又素晴らしすぎてこれ以上解説できません……が、最後に2つ。

 谷川俊太郎の詩は読めば読むほど味が出るというか・・・言葉の使い方が巧です。
 解説を書いていて思いましたが、たとえば何故、「きっと〜だ」や「〜かもしれない」ではなく「〜だろう」なのか・・・理由は自分で考えてみてください。

 あと、松下先生が講習会で仰っていましたが、松下先生の曲は本人曰く「情熱的」だそうで。(他の曲も聴いてみると、たしかに・・・)だからこそ壮大な詩の世界観も生きるのかと。

 あと、「御飯」と言う歌詞があるように、「これは『日本人の日本人による日本人のための合唱曲』だ。」とも仰ってまして、これも又日本人の私達に深く感じさせてくれるのかもしれませんね。