裏辺研究所 週刊?裏辺研究所 > 小説:バイオハザードin Japan棒

第1話:発端

 大学での試験を終え、手塚正智は愛車のバイクを飛ばし、実家へ向かっていた。
「チィッ!あのバカ教授、てめぇの採点ミスを棚に挙げてこの俺を再試にしやがって!」
このあたりの高速は意外にカーブが多く、攻め込めば遠心力と重力加速度、そしてチープなスリルが実感できる。
「そう、コレだよ、この感覚!」
 体表を駆け抜けていく風が少しずつ心のしこりを吹き飛ばしていく。機嫌は直りつつあった。両親に不機嫌な顔を見せるわけにも行くまい。目的地のインターチェンジまで、まだ少し距離がある。手塚はサービスエリアで少し休憩を取ることにした。自販機で買った冷たい缶コーヒーが喉を潤す。
「顔に似合わず、ずいぶん飛ばすじゃねぇか、兄ちゃん。」
 ガラの悪そうな男が話し掛けてきた。こういうヤツは適当にあしらって退散していただくに限る。
「ああ、どうも。少し急いでるもんでね。」
「そうか、急ぎか。大変だな兄ちゃん。気ィつけて走れや!」
 そう言って男はカップの自販機でコーヒーを買った。ミルクコーヒーに思いきり砂糖を増量して。…妙にかわいい。どうやらからんできたわけではないらしい。人を見た目で判断するもんじゃないな…。
「そうだ、気をつけてって言えば…。」
 またさっきの男だ。
「鹿尾インターのあたりは特に気をつけな。最近どうもあの町は様子がおかしい。いや、何がどうってわけじゃないが…。何となくな。」
「分かった、ありがとう。気をつけるよ。」
「ところで兄ちゃん、どこまで行くんだ。」
「残念ながら、その鹿尾インターまでな。」
 空になったコーヒーの缶をゴミ箱に叩き込み、再度愛車にまたがる。エンジン快調、これならあと30分くらいで到着しそうだ。


 目の前に鹿尾インターが見えてくる。
 なんだ、いつもどおりの静かな町じゃないか…。 高速を降り、料金を払おうとする手塚。
 しかし…

 そこにいるべき料金所のおっさんは、もはや彼でなく、全身を紫色に変色させた「かつて彼であったモノ」だった。

 大学の授業で、人間の死体というものをスライドではある程度、見慣れた彼だったが、実物で、しかもこれほど非常識な死体を見るのは始めてであったためショックは大きかった。しかし、もともと冷静で、そこそこ肝っ玉の据わった彼は一般市民よりは耐性も強い。電話で通報するよりも、そのまま交番へ急行し、直接状況を説明したほうが早いと判断し、再度バイクを走らせるのだった。

 交番へ向かう手塚。急げば2分とかからない道だ。しかし…、不自然だ。田舎なので車が1台も走っていないことはよくある。だが、人間が一人も見えないのは、いくら鹿尾町が田舎といっても明らかに不自然だった。その事実は彼の不安を呼び起こすのに十分だった。
「交番へ行けばどうにかなる。警察ならば何かわかるだろう。」
 普段は逆の意味で警察のお世話になる可能性の方が高い彼だが、今だけは警察が頼りだった。日本の警察は優秀だ、そんな普段は鼻で笑ってしまうような台詞が、彼に淡い希望を抱かせていた。

 交番に着いた。バイクを止め、先ほど見た非常識な死体によって乱された息を整えつつ、エンジンを切る。
 さて、なんと言って説明すべきだろう…、そして、何故誰もいないのだろう…、その前に警官はいるのだろうか…、そんなことを考えながら交番の中へ入っていった。…いた。警官は怠慢にも机に突っ伏して寝ていた。
「こんな警察の何処が優秀なんだ?この非常時に…。」
 少し立腹しながら、警官をゆすり起こす。…その前に気付くべきだった。いくら日本が平和でも、交番の中に一人しか残っていない警官が、勤務時間中に来客に気付かないほど熟睡するはずなど無いであろう事を…。そして、青い制服の襟と黒髪の間からのぞく首の肉は、先ほど見た死体の紫色そのものだったことを…。

「ちょっと、お巡りさん!起きてくださいよ!大変なんですよ!」
 手塚は警官の肩を激しくゆする。しかし、警官は目を覚まさない。いいかげんに諦めかけたそのとき、警官は起き上がった。と、同時に手塚の肩に抱きついてきた。
 何なんだ?この警官は?!そんな思考が続いたのは、その一瞬後、彼の左肩に激痛が走るまでだった。
「うわあぁっ??!」
反射的に警官を跳ね飛ばす。壁に打ち付けられる警官の体。どうやら噛み付かれたらしい。手塚はそのとき初めて警官の顔を見た。

 人間じゃない。

 それが彼の第一印象だった。鬼のような形相の上に乗せられたグロテスクな紫色の皮膚。食いしばった歯の間と口の端からは粘性の高い唾液が大量に流れ出している。そして何より彼を驚かせたのは重度の白内障のごとく濁りきったその目だった。

 あまりの出来事に暫し呆然とする手塚。相当強く頭を打ったようだ。警官は動かない。そう確認してからさっきまで警官が突っ伏していた机に目を移す。だがそれは「確認した」ではなく「確認したつもり」だった。だから彼は一瞬気付かなかった。警官がゆっくり立ち上がってくることに…。 気付いたときには遅かった。避ける間もなく、また抱きつかれる。しかも今度は二の腕の部分に腕を回され、さらに壁が近すぎるために、先ほどのように跳ね飛ばすことも出来ない。

 また左肩に痛みが走る。だが、先ほどのような激痛ではなかった。どうやら跳ね飛ばしたときに歯を何本か折ったらしい。バイクに乗るために着用していた厚手のスーツの効果もあったかもしれない。そのことが彼にギリギリの冷静さを保たせた。
「チィッ!」
 股間部に膝蹴りを食らわせる。しかし全く反応が無い。わき腹にボディーブロー、鳩尾に肘鉄…。思いつく限りの人体急所に打撃を与える。…効果が無い。半ば予想していたことだが、ヤツは痛みを感じないらしい。一瞬の思考の後、彼の左手は警察官の持つ拳銃へと向かっていた。

 彼の左手が拳銃にたどり着く。本来は自分が装着した状態で使用するものであるため、向かい合った状態ではやや引き出しづらかったが、何とかその手に握り締めることができた。 安全装置を解除し撃鉄を起こす。昨年、米国へ観光旅行に行った時、ガンプレイにハマり、一日中射撃場にこもっていたこともあったが、それがこんなことで役に立とうとは…。さて、何処を狙おうか…。たとえ心臓を打ち抜いたとしても失血死するまでには時間がかかるし、それで死ぬという保証も無い。ならば、狙うは…頚椎。

 このバケモノが何者であろうとも人間を襲うという、ある程度の目的のある行動をしているということは、その命令の発信源は脳。脳からの命令が無ければ、筋肉は痙攣くらいは起こすことがあっても、それ以上の行動を起こすことは、まずありえない。ならばその脳から筋肉へと興奮を伝達する経路、即ち運動神経を全て切断してしまえばいい。…彼が瞬間的に感じたことを日本語にするとこんな具合だろうか。

 とにかく、撃鉄を起こして約一秒後、銃口はいまだ彼の肩にかじりつく、警官の喉元に当てられていた。
 衝撃に備え左手を始め、全身に力を込める。

 両手撃ち、または利き腕である右手撃ちならば、ここまで神経を使うことも無いのだが…。彼は、もう一度銃口の位置を確認して、警官の首に押し当て、できる限り落ち着いて引き金を引いた。

 パァン!

 38口径の銃声は意外と地味である。だがそれによって作り出された光景は非常に派手だった。
 貫通した銃弾は食道と気管に通じる穴を二つ増やし、喉仏(のどぼとけ)の下部の穴からは呼気と共に赤黒い血が噴水のように噴き出す。手塚はその返り血を浴びながら、今抱きついている警官の全身の力が急速に抜けていくのを感じていた。だが、噛み付いている顎の力は抜けない。それはそうだ。切断できたのは首から下の神経だから。とはいえ噛み付く力だけではその体重を支えることはできない。警官はゆっくりとひざから崩れ落ちていく。床に倒れ、全身を痙攣させつつ、口と目だけは何かを求めるように醜くうごめかせる警官の服を着たバケモノ。

 手塚は暫し呆然とその光景を眺めていた。噛み付かれた左肩に手をやると、そこには折れた歯が数本突き刺さっていた。

 警官の動きが徐々に鈍くなり、やがて完全に止まる。失血死だろうか。もとより生きていたのかどうかは定かではないが…。そのとき、手塚は始めて大きな息を吐(つ)いた。まるで、数分ぶりに呼吸をしたような感覚。その空気は硝煙と血の匂いで、決して美味なるものではなかったが、それでも肺が拡張する感覚は心地良かった。そして、今まで忘れていた恐怖が再燃する。

 この町に「何が」起こっているかは分からない。ただ、「何か」が起こっている。それだけが確かだった。そして、思い出した。
この町には、家族がいる。

 …親父!おふくろ!無事でいてくれ!
 彼は一路、実家へ向かった。その手には拳銃を握り締めたまま…。

棒

△このページの一番上へ
→トップページへ戻る
→裏辺研究所トップページへ