第11話:だから悪かったって言ってんだろ!
…意識を失ってから、どれくらい経っただろう。一瞬のようでもあり、永遠のようでもある。目の前は、真っ暗のようでもあり、真っ白のようでもある。自分が生きているか、死んでいるか、それすらも分からない。そういえば、走馬灯も見なかった。楽しみにしていたのに…。
「…ぱい」
ん?何だ?音?それとも、声?
遥か一光年先から、何かが聞こえたような気がした…。
「せ……い、……すか!?」
…また聞こえた。誰だろう?誰が、何を言っているんだろう?
「せん…い、だい…ぶ…か!?」
この声は…、岩成か?…ん、岩成?!じゃあ、俺は…。
「先輩、大丈夫ですか!?」
やっとはっきり聞こえたその声をきっかけに、底の方にあった意識は一気に現実に呼び戻される。久遠の彼方にあった光の粒はその体積を拡大し、刹那にその距離をゼロにする。
そして、目を開けた。ただ、眩しかった。眩しいので、目をしかめる。表情としては寝起きのものと相違ない。
「先輩!!」
岩成はそれを苦痛によるものと取ったらしい。事実、その声は頭に響くのだが…。手塚はゆっくり上半身を起こしながら応えた。
「ああ、大丈夫…、大丈夫だ…。」
大丈夫か、と聞かれれば、反射的にそれを肯定してしまう悲しい人間の性である。そんな保証は何処にもないのに…。
「…俺は、一体…。」
いまだ状況を把握できない手塚がうわ言のようにつぶやく。
「すまん…、やったのは俺だ。」
声のした方を見るとドアの前に、長身の男が立っていた。
「狭間…、君もいたのか…。しかし、何故…。」
その答えは反対側、つまり窓側から聞こえた。
「いちいち確認しよったら、こっちが先にやられるじゃろーが。」
田舎臭い言い回しに無精髭が目立つ男。西園寺は窓から外の様子を見ているらしい。
「それはそうだが…。ナースコールで助けを呼んだのはそっちだろう?それで殴り殺されたのでは、割に合わん。」
別に怒っているわけではなかったのだが、無責任な西園寺の言葉が癇に障った。
「いや、それは…。」
真後ろ、つまりベッドの方向から新しい声。この声は…。
「ナースコールって普通、最初に通話するものだと思ってたから…。」
桜庭…。何だ、みんな、この部屋に揃っていたのか…。
「確かにな…。俺も多少、冷静さを失っていたらしい。ところで…。」
手塚が立ち上がろうとすると、岩成が制止した。だが、それも手で退けられる。
「…大丈夫だ。いつまでも床に座っていては、尻の方が痛くなる。」
そして、ベッドに腰を掛けなおし、再び話し始める。
「4人ともいるなら話も早い。少し、雑談でもしようか…。」
生き残るためには、情報が必要だ。話すべきことも、聞くべきことも山ほどある。
「まず、俺は、どのくらい気絶していた?」
状況は時間によって変化する。1時間も気を失っていては、全て手遅れとなっていても不思議はない。その質問には、狭間が答えた。
「時間にして、2,3分といったところだろう。それより何か、うわ言のようなことを言っていたな。確か、女の名を何度も…。」
「ッ!…それはいい。それ以上言うな。」
台詞に台詞を被せて、その先を遮る。少しだけ、緊張が和らいだ気がした。
しかし、2,3分ということなら、ほぼ問題ないだろう。吐き気やめまいも無いことから、気絶の原因も脳震盪、及びショックによるものだと思われる。ただし、あくまで自己診断なのではっきりしたことは分からない。脳内出血か何かで数時間後にポックリ、なんてことにならなければ良いが…。
一抹の不安を残しつつ、話を続ける。次に彼が聞いたのは、ある意味最も重要な事項だった。
「亀村はどうした?君達が連れてきたんだろう?川田からそう聞いたのだが…。」
それを聞いた直後に4人が気まずそうな顔を見合わせる。口に出しにくいことでもあるのだろうか?だとしたらそれは…。最悪のシナリオを頭に描いていると、岩成が口を開いた。
「…それに関しては、順を追って話します。少し、長くなりますが…。」
「構わんよ。ありのままを話してくれ。…覚悟はできているから。」
ため息を一つ吐いてから、岩成が伏目がちに長い話を始める。
「僕たちが亀村先輩をここに連れてきたのは、三日前の夕方です。事前に連絡とか入れてなかったんで、受付まで背負っていって事情を説明すると、すぐに看護士みたいな人が来て、先輩を担架でどこかに運んでいきました。で、僕らは待ち受けホールで待ってるように言われて…。訳も分からないまま座って待っていました。何か…、病院全体がすごく慌(あわただ)しかったような気がします…。そんな雰囲気にあっけに取られながら、20分くらい経ったころだったと思います。お医者さんらしい人が来て、『先輩の状態を説明するから来てほしい』、みたいなことを言われて…。
よく考えたらそんなこと、僕らに説明されてもどうしようもないし、そもそも、どうでもいいんですけど…。断るのもアレなんで、ついて行ったら3階の「応接室」に通されました。今考えると、それもおかしいですよね。病状を説明するのに、応接室なんて…。しかも、説明するとか言って、訳の分からないことしか言わないんですよ。『君たちはどこから来たんだ?』、とか、『亀村先輩との関係は?』とか…。で、そのうちコーヒーが出されて…。多分、そのコーヒーが良くなかったんですね。飲んでから5分もしないうちに意識が朦朧となって…。その先は、まるで夢を見ていたようで…。ほとんど憶えてないんです。だから、先輩がどうなったかは、全く分からないんです…。すいません…。」
…。
一瞬の沈黙。振動しない空気はそれだけで重くなる。手塚はその状況を打破しようと、口を開いた。
「いや、いいんだ。君が悪いわけじゃないし、君達が無事なだけでも十分だよ。それに、分からないってことは、希望も持てるってことだしな。…他の3人も岩成の言ったことに間違いないよな?」
狭間、桜庭は肯(うなず)いたが、西園寺は否定した。
「俺はコーヒーなんぞ飲んどらん。」
なぜか自慢げだ…。
「ほぅ…。じゃあ、お前は眠らされなかったのか?」
あえて挑発的に聞いてみた。
「いや、それは…。他の3人の様子がおかしいっちゅーのが、気付くか気付かないかってタイミングで、後ろからクスリ嗅がされちまって…。」
「結果的には眠らされたわけだな。」
しかし、そこまでして彼らを眠らせたかった病院側の目的は何だ?裏に何かあるのは間違いないが…。
「で、眠らされてどうした?見たところ、君たちは幽霊じゃなさそうだから、殺されたわけじゃないんだろう?」
「殺されたわけじゃないが…。」
入り口横の壁に寄りかかったまま、狭間が話す。
「殺すつもりではあったらしいぜ。」
殺すつもりだったが殺していない…。一体どういうことだ?
「実際、俺の目が覚めたのはそんなに前じゃない。大体、今から5,6時間前だと思う。ここより狭いけど、病室だったな。ベッドに寝かされてたんだ。目覚めた直後は混乱したぜ、ここに来たのは5時ごろだったのに、時計を見たら時間が逆戻りしてるからな。で、日付の表示を見たら2日も進んでるだろ、どっちにしても目を疑ったね。それで、訳も分からずに近くを見回すとキャビネットの上に、『死にたくなければ、逃げろ』って書いたメモがあったんだ…。
それでも寝起きだから、頭がボーっとしてて…、現実感が無いって言うんだろうな。事実、半分、夢だと思ってたし…。けど、起き上がって隣りのベッドを見たら、一気に目が覚めたね。寝てるんだよ、死体が…。しかも、異常なんだよ、顔とか紫色で…。夢だと思いたかったけど…、その死体があまりにリアルで…。ほとんど現実感の無いまま、現実に引き戻されたって言うか…、非現実の現実に引きずり込まれたって言うか…。とにかく、一刻も早くその死体から離れたかったんだ。それで、慌てて病室の外に出たら、人が何人かうろうろしてた。ちょっと安心したけど、それも一瞬だったね。そいつらの顔が、みんなさっき見た死体とそっくりだったから…。もう、本当に訳が分からなくなっちまって…。逃げ回ってるうちにトイレに行き着いて、そこでこのモップの柄を拾ってさ。」
そう言って彼は、手元にて立て掛けてある木の棒を示した。
「なるほど、俺の頭もそれでシバいたわけだ。アレならゾンビも倒せるかもな…。」
手塚は、右側頭部、こめかみ付近を押さえながら言った。
「だから悪かったって言ってんだろ!」
狭間は意外とキレやすい。まぁ、この極限状態では気が立つのも仕方ないだろう。
「いや、すまん…。責めているわけじゃないんだ。まぁ…、痛かったけどね。」