裏辺研究所 週刊?裏辺研究所 > 小説:バイオハザードin Japan棒

第19話:ゾンビ解剖実験

 ズルッ…。ズルッ…。ズルッ…。
 足音は確実に迫ってきている。さっきまでゾンビの存在には気付かなかった。目に入れば気付いていたはずだ。
「そこかぁー!」
手塚は不意に手に持っていたメスを配水管の影から現れたゾンビに投げつけた。激しく回転したメスは、藤田の目の前を通過し、その前髪を弾き、そして、ゾンビののど笛に突き刺さった。その口からは血を噴き出すが、ゾンビはわずかに仰け反っただけでその歩みを止めようとはしない。
「先輩…!」
薄く恐怖に染まったその声色からは、まだ決まりきらない覚悟と、不足した経験が見て取れる。こんな状況に慣れすぎるのもどうかとは思うが…。
「…予定通りだ。」
手塚は弾かれたようにゾンビに跳びかかり、勢いそのままに、その喉に突き立てられたメスで、首を思いきり切り裂いた。ゾンビは頚動脈から鮮血を噴き出し、辺りを汚す。そして、ようやく歩みを止めた。重力に従って倒れたゾンビの頭は、ちょうど藤田の足元に転がり血溜まりを広げていく。
「うあ、あ、あ…。」
その光景に心を奪われたかのように、藤田は金魚のように口をパクパクさせる。
「どうした?怖いのはゾンビか、それとも、…俺か?」
「いえ、ちょっと…、驚いただけです…。」
やはり、少し覚悟が足りないな。この状況を生き抜くには、多少精神を侵されていた方が都合がいい。 そんな手塚の思いやりと、少しばかりのサディスティックでスプラッターな趣味、そして、知的好奇心が一つの台詞を導く。

「なぁ…、コイツ、解剖してみようか?」
「え?」
信じられない、むしろ自分の耳を疑っているかのように藤田が聞き返す。
「何か分かるかも知れないだろ?一応、解剖病理学の基礎はマスターしてるつもりだ。」
藤田は困惑し、見た目には少し泣きそうな表情に見えなくも無いような眉をひそめ方をする。その目線は左下に逸らされ、自らの不安を見据えていた。それは、手塚の頑固さを知っていたからでもある。ここで自分が、いやだ、と言ったとしても彼は一人でそれを実行してしまうだろう。そうなれば自分は一人になる。それだけはなんとしても避けなければならない。そして、藤田はようやく最初から決まっていた台詞を口にする。
「…分かりました。」
それを聞く前に、すでに手塚は死体の足を持ち上げ、運び出そうとしていた。藤田が頭を持ち、手伝おうとすると、
「あ、いいんだ。出血はまだ続いてるし、そっち側を持つと汚れるかもしれないからな。それより、前を照らしてくれ。」
と言って、携帯電話を渡された。

 暗闇の中で死体を引きずるその姿は、まさに死神の所業である。
 解剖室に入ると、まず二人で死体を解剖台に乗せた。一瞬、死体が動いたような気もしたが…。藤田がどうするべきか迷っていると、手塚が
「一応、白衣とゴム手袋は身に着けておいたほうがいい。もう返り血はほとんどないはずだが、汚れるかもしれないからな。不用意に感染したくもないだろう?」
と言って、それらを投げ渡してきた。
「…もっとも、もう手遅れかも知れんがな。」
その声にはいくつかの異なった感情が込められていた。
「さてと、まず目玉でもえぐり出すか。」
ゴム手袋の上から指を鳴らしつつ、ゾンビの眼窩に手を伸ばす。
「先輩、目玉をえぐり出すって…。」
藤田の声が震えている。
「ん?そのままだよ。指を突っ込んで引きずり出す。中学のとき、牛の目玉の解剖をやっただろ。アレの要領だよ。」
何のためらいもなく人差し指と中指の2本を眼球と眼窩の隙間に突き入れる。その指をグリグリと動かすと、グチュグチュと嫌な音を立てて、眼球が徐々に浮き上がってきた。
「せぇの…、よっと!」
ある程度眼球が浮き上がってきたところで一気に引き抜く。ぢゅぷん、という音と共に、神経と思われる糸状のものを伴った球体が姿を現した。
「…やっぱりな。思ったとおりだ。」
目と眼を見つめ合う恋人の距離まで近づけて、手塚が興味深そうにつぶやく。

「え?」
だが、藤田には何の事だか分からない。半ば、自分の知識を確かめるため、藤田に説明を施す。
「眼球が異常に腫れている。つまり、『眼圧が上がっている』っていう状態だな。水晶体が白濁したのも、その影響だろう。白内障ってやつだ。同時に眼圧によって視神経が圧迫されて緑内障も起こっているはずだ。総じて論ずれば、コイツらの視力は限りなくゼロに近い。まぁ、人影くらいは認識できるはずだが。」
手塚は、証拠を見せてやる、と言ってゾンビの残った方の眼球に針を突き刺した。プチュッ、と音がして勢いよく液体が吹き出る。
「な?」
いや、「な?」って言われても…。

そうこうしている間にも、手塚は新しいメスを構えている。
「よーし、次は腹を掻っ捌くぞ。切腹だ、切腹。」
 手塚はこの上なく楽しそうだ…。服をハサミで裁断し、上腹部から下腹部までの正中線上をメスで一閃。何度か繰り返しているうちに、皮膚、皮下脂肪、筋肉の全てが切断される。肋骨は骨用のノコギリで分断の上、除去。ある程度切り裂いたあとは、腕の力で両側に引き裂く。
「やはり結合組織が劣化しているな。骨も脆い。」
それが手塚の感想だそうだ。
「あ、言っとくけど、俺の解剖のやり方はメチャクチャだぞ。もし機会があっても真似するなよ。」

 藤田に対する意味のない忠告。誰が真似などするものか…。
 しばらくすると、一通りの作業が済んだのか、カチャカチャという金属音やゴリゴリという不気味な音が止んだ。露出した内臓を見て手塚が感嘆の声を上げる。
「ほう…。これは興味深いな。」
手塚に促されたため、藤田も恐る恐る、それを横目で覗き見る。
「うッ!!?」
 綺麗に露出した内臓がそこにあった。普通の人間ならば、それを見ただけで、卒倒するかもしれない。 しかし、今回はさらに悪いことに、その消化器系全体に、無数の蛇が巣食っているかのように、あるいはそれ自体が巨大な蛇であるかのように、激しくのたうち回っていた。
「せ、先輩…、すいませ…、ウッ、オ、オゴエエェェェェ…。」
今まで、必死に耐えていた藤田も、ついに嘔吐してしまった。食道、口腔内、そして鼻腔の一部までが、胃液の味と臭いに侵される。
「藤田、最後に食事したの、いつぐらいだ?」
藤田の方を向き直るわけでもなく、まして心配している風もなく、ごく自然に、どこかの内臓をいじくりながら手塚が聞いた。
「ハァ…、ハァ…。え?確か…、夕方くらいに菓子パンとコーヒーを飲んだのが最後だと思いますけど…。」
夕方、というと少なくとも5時間くらい前。消化機構が正常に働いていれば嘔吐物に大きく原形を残した食物が含まれることは少ない。藤田のそれもその例にもれず、目立った固形物は見当たらない。
「そうか…。じゃあ、参考にならないな。ゾンビの胃袋から肉片とか骨片らしきものが出てきたから、何か分かるかと思ったんだが…。」
その後も手塚は、小腸を引きずり出してみたり、大腸を切開してみたりと、やりたい放題暴虐の限りを尽くし、辺りには異様な臭気が立ち込めていた。
「よーし、ラストだ。脳ミソを見てみよう。頭を開くから手伝ってくれ。」

 藤田にゾンビの頭を固定させ、額の中心辺りからノコギリを引く。ゴリゴリと嫌な震動が藤田の手に響く。
「本当はもっと綺麗に開く方法もあるんだがな。俺の技術じゃ不可能だ。…どうだ、気持ち悪くないか?」
そんなもの、聞かれるまでも無く、気持ち悪いに決まっている。だが、藤田は強がってみせた。
「もう…、どうでもいいですよ…。一回吐いたら落ち着いたし…、ここまで来たら最後まで付き合います。」
強がれる、ということは、強い、ということに他ならない。やせ我慢だろうが、何だろうが、結果として同じならば文句はない。ここまで狂った状態に対応できるなら、藤田ももう心配ないだろう。

 前頭骨にある程度まで切れ目を入れたら、今度はその切れ目に楔を打ちつけて、てこの原理で頭蓋骨をそれぞれの骨の継ぎ目から外していく。とりあえず脳を摘出するのならば、前頭骨と篩骨、蝶形骨だけでいいだろう。
 正常な脳は頭蓋骨の中でさらに、軟膜、クモ膜、硬膜の3つで構成される髄膜で覆われている。それは脳自体が、せいぜい豆腐程度の固さでしかない弱い組織であるからに他ならない。

 しかし、今、彼らの目の前にある脳は、まるで『膜に包まれた液体』である。脳が変形する病気には、老人症の一つである脳軟化症と呼ばれるものや、シンナー中毒による脳萎縮などがあるが、これはその比ではない。脳の一部が完全に液化しているのだ。
「…液化壊死ってやつだな。融解壊死とも呼ばれる。脳内出血などの結果、起こることはよくあるが、ここまでとは…。」


棒
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