●アンコールワット Angkor wat

 今回は、アンコールワット。
 写真を、孟保世さんに撮っていただききました。

 おや?と思われるかもしれませんが、ホセ氏によると、正月の2日間ライトアップされるそうです。そんなわけで、珍しいライトアップされたアンコールワットをどうぞ。

 さて、アンコールワットというのは現カンボジア王家にもつながる、アンコール朝クメール王国が建造した巨大寺院です。歴代の王達は、自らを「現人神」と称し、その一貫として力を示すために寺院を造りました。特に、アンコール地域に多く建てられたのですが、これはその中でも特に凄い物。

 アンコールワットは、第18代国王スールヤヴァルマン2世(位1113〜50年頃)の霊廟として12世紀に30年かけて建造されたもので、スールヤヴァルマン2世をヒンドゥー教のビシュヌ神に見立てた像もあります。つまり、アンコールワットはヒンドゥー教寺院です。

  もっとも、スールヤヴァルマン2世死後、この地は隣国チャンパーに敗北して占領されてしまいます。そのため、この地を奪還し、またチャンパーを30年にわたって支配するなど、アンコール朝の最盛期を作ったジャヤヴァルマン7世位1181〜1218年)は、大乗仏教に改宗。アンコールワット北約1.5km付近にアンコール・トム(偉大な都市の意 ただし後世に付けられた名前らしい)という王都を建造し、このアンコール・トムは高い城壁を持ち、それまでよりも敵の侵入が防げるようにしました。

 さて、アンコールワットに話を戻しまして・・・・。
 アンコールワットは、16歳から45歳までの男性約3万〜5万人が駆り出されて、無償で働かされました。建造物は、ラテライト(鉄分)を含有する吸水性豊かな紅土と、砂岩で出来ています。

 アンコールワットは、写真を見ておわかりのように大海を象徴する幅190m、周囲5.4kmの水壕によってかこまれ、540mの参道をいくと、1辺が約200mのある第1回廊に到着します。

 回廊は第3回廊まであって、特に第1回廊全体に施された浅彫刻は傑作として名高く、昔は金やその他の鮮やかな色で彩色されていたと言われています。また、第2回廊〜第3回廊には塔が立っているのがおわかりかと思います。全部で5本。

 アンコールワットには、スールヤバルマン2世の事績や、古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」の諸場面、天女アプサラスを従えるヒンドゥー教のシヴァ神、ビシュヌ神の偉業、クメール族の当時の生活光景などが掘られており、特に生活光景はこの時代の人々の状況を伝えてくれます。

 そんなアンコールワットですが、タイの侵攻によってアンコール・トムと共に放棄され、以後この地が首都になる事はなく、アンコール・ワットは密林の中で、一部の仏教徒がひっそりと訪れるだけになっていました(もっとも、実際にはタイが手入れをしていたらしい)。

 また、日本人でも17世紀前半に、森本右近太夫がここを訪問し、感動して墨書し(言っては悪いが落書きか?)、現在も残っているのは有名。左写真がそれですね。さすが、孟保世氏
は、撮影していました。見づらいですが、右上の方に漢字らしき物が見えます。「白」という字が見えますが、それでしょうか?(おいおい・・・)。ホセ氏によると、ポル・ポトによって墨で塗りつぶされたそうです。

 さて、この地が再び公式に脚光を浴びたのは、1860年に、当時カンボジアを支配していたフランスの植物学者アンリ・ムオが発見してからです。しかし、1960年〜90年代のカンボジア内乱のさなかに、ポル・ポト率いる共産党など左派勢力(クメール・ルージュ)によって、これらの浅浮彫の一部が破壊されてしまいました。余計な事をやりおって・・・・!!

 現在、観光地としてようやく整備が進む一方、修復工事も行われています。また、1992年に世界遺産に指定されました。


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