(4)瀋陽〜中山広場と日本時代の近代建築たち〜
夜中になって遼寧省の省都である瀋陽市に到着した裏辺所長とムスタファ顧問。は、瀋陽駅から歩いて中山広場へ。・・・ここも中山広場かいな!
ともあれ、やっぱり同じ形の円形の広場である中山広場に面した、旧、奉天ヤマトホテル(現、遼寧賓館)に宿泊します。そして、翌日からまた日本時代の近代建築を観光するわけですが・・・。
大連と異なり、円形の広場の中心に、瀋陽駅に向かって手を伸ばす毛沢東の銅像が設置されております。
コレハ凄い!!
・・・というのは小さな話で、この瀋陽は大連と異なり、古く歴史ある街なのが魅力的。瀋陽の名前は元の時代、1296年に瀋水の北に位置することから、名称を瀋陽と名づけたことに始まります。ちなみに、瀋陽の「陽」は水の北側を陽、南側を陰とする風水の思想からきているとか。
そして、それから明による中国支配の時代へと代わり、さらに中国東北部の女真族の部族であるマンジュ部のヌルハチが女真族を統一し、金(後金)を建国すると、1625年に瀋陽を都に定め盛京とします。そして、今も残る宮殿(故宮)や、ヌルハチや2代目のホンタイジ(太宗)の陵墓が造られます。さらに、後金が清と改名し、1644年から中国を支配するようになり都を北京に移してからは、陪都、すなわち都に次ぐ格が与えられ、奉天府が設置されました。これにより、瀋陽は満州の中心となります。
さらに清朝末期になるとロシア帝国の影響を受けるほか、張作霖に代表されるように軍閥の根拠地となります。さらに、日本が満州国を成立させると、中心は新京(現、長春)に移りますが、奉天という名前に改称され、重要な都市として引き続き発展。中華人民共和国が成立後、瀋陽に名前が戻され、遼寧省の省都として、そして重工業都市として発展しています。
旧、奉天駅(現、瀋陽駅)
築:1910年 設計:太田毅
「辰野式」のレンガ造りとなった奉天駅は、満鉄最大規模を誇る駅舎。満鉄は、日本がこの地域を本格的に占領する前から、奉天駅周辺に鉄道附属地を設定し、独占的に大開発を行っていきます。これによって、奉天城にいる中国側に威圧感を与え、実質的な占領政策を推進していくのでした。
夜の瀋陽駅前
高層ビルが建ち並ぶ大連駅前とは異なり、こちらは薄暗く、ちょっと怖いほどの雰囲気も。瀋陽の場合、高層ビルが建ち並んでいるのは瀋陽北駅周辺であり、こちらはそれほど発展しているわけではありません。
旧、瀋陽ヤマトホテル(現、遼寧賓館)にて
建物については後述しますが、歴史的建造物である遼寧賓館をネットで3000円ほどで予約できたので、もちろん宿泊を決定。台湾旅行のときの宿とはえらい違いで、所長さんは大満足。宿にはあまりこだわらないムスタファ顧問でさえ、さすがに居心地の良さを体感していたようです。
おはようございます、毛主席!
目覚めると、窓の向こうには毛沢東の銅像が!
こういうのを見ると、やはり社会主義国に来たんだなあと実感します。
朝食
朝食はバイキング形式で、「朝からそんなに食えるか!・・・いえ、喜んで食べます」というほど、様々な料理が食べられます。肉だろうが魚だろうが、たっぷり食べますよ!
ちなみに、意外とクッキーみたいな食感のパンが美味しかったです。写真では、右に写っているカステラの下に隠れたパンのこと。
朝食
こちらは、具材たっぷりの「おかゆ」。一々全部を写真にとってはいませんので、まだまだ、とにかく食べまくります。
日本だったら、このバイキングだけで2000円ぐらい行きそうですが・・・。ご馳走様でした。観光やめて、一眠りしたいぐらいです。
旧、奉天ヤマトホテル(現、遼寧賓館)
築:1929年 設計:小野木横井共同建築事務所
奉天大広場(中山広場)に面して建築された、大連ヤマトホテルと並んで満州を代表するホテル。こんな素晴らしいホテルに宿泊できて、もう大満足です。
旧、奉天ヤマトホテル(現、遼寧賓館)内部
満州一美しい階段として宣伝された、奉天ヤマトホテルの階段。
旧、奉天ヤマトホテル(現、遼寧賓館)玄関部
旧、奉天ヤマトホテル(現、遼寧賓館)玄関部
旧、横浜正金銀行奉天支店(現、中国工商銀行)
築:1920年 設計:宗像主一
中山広場に面した建築で、内部を吹き抜け構造とした銀行建築。
町並み
毛沢東銅像
毛沢東銅像下部
躍動感あふれる人々。ただ格好良く並んでいるわけではなく、抗日戦争や戦後の中国の発展などの物語を現しています。
奉天警務署(現、瀋陽市公安局)
築:1929年
中山広場に面した建築の1つ。警務署は鉄道附属地の警備を担当した関東都督府の下部組織。それだけに、威圧感あるデザインの建築です。現在は瀋陽市公安局となっています。・・・よって、入り口に立つ衛兵と余計なトラブルを起こさないためにも、少し離れた場所から撮影するのがベスト、というのがムスタファ顧問のアドバイスです。
毛沢東銅像背面
様々な階級の人々が手を取り合って毛沢東の後ろを守ります・・・という意味かしら。
旧、朝鮮銀行奉天支店(現、華夏銀行)
設計:中村與資平
中山広場に面した建築。
旧、東洋拓殖奉天支店(現、瀋陽市総工会)
築:1922年
中山広場に面した建築で、満州事変の時には関東軍司令部がおかれました。
旧、奉天三井ビル
築:1937年
中山広場で最後に建てられた日本時代の建築で、装飾が少なくなっているのが特徴。シンプルな建築です。
町並み
町並み
町並み
町並み
町並み
町並み
町並み
町並み
町並み
町並み
町並み
医薬大廈
一通り中山広場周辺を見て、瀋陽駅前に戻ります。
和平賓館
瀋陽駅に隣接するホテル。
瀋陽駅
最初に夜の瀋陽駅を紹介しましたが、こちらは昼の瀋陽駅。かつての奉天の顔としてふさわしいデザインです。
道中
それでは、ここからタクシーに乗車してヌルハチの陵墓である東陵へ向かいます。車の多いところでは、車と車の間を縫うようにして、そして車のいないときはハイスピードでタクシーはぶっ飛ばします。