(10)フォロ・ロマーノ
パラティーノの丘を下ると、そこに広がるのはフォロ・ロマーノ。意味は「ローマ市民の広場」で、紀元前509年の共和政の時代より古代ローマの中心として栄えてきました。しかしカエサルの時代である紀元前1世紀ごろ、フォロ・ロマーノを含めてローマはアテネやアレクサンドリアと比べると見劣りし、レンガ造りの建物や空き地が目立つ状況でした。そこでカエサルはフォロ・ロマーノの改造を構想します。しかしカエサルは暗殺されて事業は宙に浮き、初代ローマ皇帝となったアウグストゥスが構想を引き継ぎました。そして、カエサルを称える「ユリウス神殿」を始め、新しい元老院など、殆どの建物をヘレニズム文化を取り入れた美しい姿に造り替え、華々しい姿にしました。アウグストクスは「私はローマの都とレンガの街として引継ぎ、大理石の街として引き渡す」と云ったとか。
さて、上写真はティトゥスの凱旋門。ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス帝(位79〜81年)のユダヤ戦争の戦勝記念として81年に建てられたもので、現存最古の凱旋門。
門の内側の装飾も凄い!
こちらはサンタ・フランチェーゼ・ロマーナ修道院跡地。現在は考古学博物館として使われています。
気になりますが、時間の都合で省略!
ティトゥスの凱旋門からフォロ・ロマーノの奥を眺めます。
こちらは312年に完成したマクセンティウスのバシリカ。コンスタンティヌス1世の時代に完成したので、コンスタンティヌスのバシリカと表記する本もあります。現在は壁の一部しか残っていませんが、私が写真を撮影した場所も含めて建物の敷地で、高さ35m、約6000uの巨大な建物でした。司法と商取引のための街道として使われ、金メッキされた屋根、大理石の壁や床、彫像で飾られていたそうです。
こちらはロムルスの神殿。マクセンティウス帝が死んだ息子ロムルスに捧げたと伝わるもので(確実ではありません)、後世に教会が合体しています。
別角度から。
内部では当時のものではないかと思われる壁画もあります。
奥は非公開。こちらは新しそうなので(・・・と言っても古代ローマ時代と比較してでしょうが)、教会として改造、または増築された部分でしょう。
パラティーノの丘は広く、説明の無い部分もあるので、何が何やら状態になりながら先に進みます。
ヴェスタの巫女たちの家。ローマの古い信仰である炉とかまどの女神「ヴェスタ」の神殿の聖なる火を守る巫女たちの住居。彼女たちは高い地位が保証されていましたが、30年の任期の間は純潔を保つことが義務付けられ、違反すると生埋めに処せられることになっていました。
そしてこちらが、ヴェスタの神殿。
反対側から。この神殿は円形でした。
アントウニウス・ピウスとファウスティーナの神殿。これは、アントニウス・ピウス帝が亡き皇后ファウスティーナを偲んで、141年に建設したもの。
カストルとポルクスの神殿。紀元前495年、レギッルス湖畔の戦いで共和政ローマが勝利したことに感謝を込めて建設されたもの。この戦いで、伝説ではカストルとポルクスが現れたとされ、この神殿は彼らを称えてこの名前になりました。その後、火災に遭ったため、ローマ帝国第2代皇帝のティベリウスが紀元前6年に再建しました。
反対方向から。
バシリカ・アエミリア。古代ローマの政治家、マルクス・アエミリウス・レピドゥス(紀元前90年ごろ〜紀元前13年)によって建設されたもので、バシリカ・ユリアとともに重要な裁判が行われたほか、商店が並び、商取引にも使われました。410年にゴート族が侵攻して来たことによって焼け落ち、このような姿になっています。
ディウウス・カエサル神殿。アウグストゥス帝が、紀元前29年に建てさせた神殿で、ディウウスとは神君を意味します。この時代、ユリウス・カエサルは神格化されていました。
サンタ・マリア・アンティクァ聖堂。ローマ最古の教会堂のひとつで、皇帝宮殿の図書館を改装して使われたものです。
ユリウスのバジリカ。ユリウス・カエサルが紀元前54年に着工した司法・行政施設です。
ローマで最も重要な大通りである、聖なる道より見たサトゥルヌスの神殿跡など。一番奥の大きな建物は、かつてのタブラリウム(国家公文書館)が低層部に残っています。紀元前78年に、独裁官ルキウス・コルネリウス・スッラによって建立されました。
今度は反対方向を眺めます。左の大きな柱は、フォカスの記念柱。608年、東ローマ帝国(ビサンツ帝国)の皇帝フォカスに捧げられたもので、造営当時は柱の上に皇帝の像が設置されていました。写真に見える通りは、聖なる道。
サトゥルヌスの神殿跡。紀元前501年に建てられた後、紀元前42年に大幅に改造。さらに283年に火災に遭った後に再建され、現在は神殿の入口部分の8本の円柱が現存。共和政ローマの宝物庫アエラリウムとしても使われていました。
セプティミウス・セウェルスの凱旋門。203年の建築で、皇帝セプティミウス・セウェルスとその息子カラカラ及びゲタが、第6次パルティア戦争の勝利を記念したものです。高さは21m。
近づいて別角度から。
重厚なレリーフが特徴。
さらに近づいてもう1枚。
フォロ・ロマーノの光景。
タブラリウム下の遺跡群。
元老院議事堂(クリア・ユリア)。ガイウス・ユリウス・カエサルが起工し、アウグストゥス帝が紀元前29年に完成。さらに、ディオクレティアヌス帝が再建しています。規模は300人〜500人を収容可能です。現在の建物は、20世紀に復元されたもの。
隣の建物はフォロ・ロマーノとは関係のない建物。では、フォロ・ロマーノから出ますが・・・、順番は逆になりますけど、夕暮れ時にももう一度眺めているので、そちらの写真も1枚。
日陰がなくなるので、撮影しやすいですね。丘の上からサトゥルヌス神殿跡や、聖なる道などを中心に、全景を撮影しました。