(16)エルコラーノ遺跡(ヘルクラネウム遺跡)
この後、真っ直ぐポンペイへ向かうかと思いきや、途中にあるエルコラーノ駅(上写真)で下車します。
はい、ここも落書きが凄いです。
駅前大通りを10分ほど歩いていきますと、古代ローマの町並みがそっくり残る、エルコラーノ遺跡(ヘルクラネウム遺跡)が広がります。まずは、この入り口を通り、チケットを購入します。
そして、目の前に広がる光景がコチラ!!
1997年に世界遺産に「ポンペイ、エルコラーノおよびトッレ・アヌンツィアータの遺跡」として登録されたエルコラーノは、日本における知名度ではポンペイより低いとは思われますが、こちらもポンペイと同じく79年のヴェスヴィオ山(写真奥に見えます)の噴火によって埋没した町で、当時の名前はヘルクラネウムと言いました。
*エルコラーノとは、ヘルクラネウムがイタリア語化したもの。
1709年に偶然発見され、1738年より本格的な発掘調査が開始。しかしポンペイよりもさらに地下深くに埋まっていることから難航し、ポンペイが発見されると発掘は中断。20世紀になって発掘が再開されますが、現市街と遺跡の範囲が重なっており、さらに遺跡の保存も問題となり、ポンペイのように大々的に発掘が進んでいるわけではありません。しかし保存状態は大変に良く、非常に見ごたえがあります。
エルコラーノについては、以前に弊サイトの孟保世所員が訪問しており、
http://www.uraken.net/world/eu/napoli/04.html
で原稿にしておりますので(冒頭の文章はそのまんま転用しました)、そちらの写真も併せてお楽しみいただきながら、御紹介して行きたいと思います。
広い中庭が印象的な家。Casa d'argo とのこと。Casaとはイタリア語で家を意味します。
当時の壁の色もまだ残っているのですから、驚きです。
Casa dello scheletro。翻訳サイトで直訳すると、骨格の家。以下、現地に書いてあったイタリア語の案内看板と、一部については翻訳サイトでの訳を参考までに書いておこうと思います。
thermopolium 立派なかまどが残っています。
こちらも同じ場所だったか。
casa del tramezzo di legno 直訳すると、木製分割の家という意味のようですが・・・。
屋根も残っており、保存状態は抜群。当時、どのような人が、どのような生活をしていたのか、考えるとワクワクしますね。
壁画がもかなり残っていました。
casa dei cervi 直訳すると雄の家。繰り返しになりますが、あくまで翻訳サイトでの直訳ですので、人名も適当に翻訳されてしまっているのでは、と推測します。
area sacra。直訳すると聖域。エルコラーノの中で、海岸線に近い場所です。
terrazza di m.nonio balbo 翻訳できませんでしたが、聖域の隣のエリアです。
立派な像がローマ時代と変わらぬ場所で建っています。
terme suburbane 直訳すると郊外の熱の浴場とのことですが、公衆浴場でしょうか。なお、この下に行くとはできず、ガラス越しでの撮影でした。
casa del rilievo di telefo これは翻訳できず。telefoの軽減の家?
現在公開されている部分の北端の道路ですが、このあたりは特に保存状態がよく、時代劇のセットを歩いているかのようです。
bottega del plumbarius (plumbariusの店)と、casa del salone nero (暗い大広間の家)
暗い大広間の家という意味じゃなくて、単純にネロさんの大広間を持つ家、かもしれませんね。
その向かい側の様子。
これは解説板を撮り忘れました。
ちなみに当時の外壁に描かれた文様が残っているようで、保護されていました。
これも解説板を撮り忘れましたが、住居跡のようですね。
こちらも壁画が残っていました。
こちらもハッキリと壁画の跡が。
いやはや、保存状態は抜群です。
別角度から。
bottega 要するに、店です。2階部分が張り出しているのが印象的です。また、住居も併設しているようです。
内部はこのような感じで、2000年近く前の情景が生き生きと甦ってくるかのようです。
別アングルで。
改めましてエルコラーノの全景を。目の前に2000年近く前の町が広がっていることに、改めて深い感動を覚えました。
改めましてエルコラーノの全景を。目の前に2000年近く前の町が広がっていることに、改めて深い感動を覚えました。
では、引き続きまして鉄道でポンペイを目指します。エルコラーノでこれだけ感動したので、ポンペイでの感動が少し薄れるかと思いきや・・・???