(30)サン・マルコ広場とその周辺


 そしていよいよ到着しました、サン・マルコ広場!
 奥に見えるサン・マルコ寺院を前にした広場で、ナポレオン1世が「世界で最も美しい広場」と絶賛したことでも知られています。その起源は9世紀にまで遡ります。12世紀後半に2倍の広さに拡張され、ヴェネツィアの中心として人々に長く愛され、使われてきました。そして、天高くそびえるのが高さ約96.8mの鐘楼(1912年に再建)です。
 鐘楼の上にはエレベーターで登ることが出来ますが、この時期はお休みでした。

 サン・マルコ広場を凹型に取り囲むように政庁が建っています。サン・マルコ寺院に向かって左側が旧政庁(※12世紀完成、16世紀再建)、右側が業務が増えたことにより増築された新政庁(16世紀〜17世紀築)です。かつては、ヴェネツィア共和国の行政長官の執務室などが置かれ、現在はカフェ、土産物屋、宝石店なども多数入居しています。

 サン・マルコ寺院側から。この場合、右が旧政庁、左が新政庁ですね。

 それでは、サン・マルコ寺院へ行きましょう。ここは828年に創建され、11〜15世紀にかけて改築されたビサンティン様式の建物である教会で、半円アーチが二重で連続し、さらに極彩色のモザイク画がそこに施されているのが特徴的ですね。

 いやはや、これは凄い。

 まさにヴェネツィアの繁栄を象徴するかのようです。

 モザイク画も凄いですが、建物を彩る彫像の数々も凄いものです。

 こういうとき、東武ワールドスクエア(栃木県日光市)の25分の1は全景がわかりやすいですね。こんな雰囲気なのです。

 内部は入り口部分程度しか撮影させてもらえませんでしたが、このように金色で覆われており、それは絢爛豪華でした。

 大聖堂の上に登ることも出来ます。サン・マルコ広場を一望。右に少し写っている建物は15世紀にM.コドゥッチによって建てられた時計搭。展望台として入場可能です。

 サン・マルコ寺院の南側から。写真右は、ドゥカーレ宮殿です。

 ドゥカーレ宮殿は、ヴェネツィア共和国総督の政庁として9世紀に建てられたのが始まりで、現在の建物は15世紀に再建されたもの。内部はこれまた絢爛豪華らしいのですが、正月はお休みでした。

 このあたりは水上バスなどの発着場になっており、各方面へ向かう交通の要所です。

 こちらはドゥカーレ宮殿(写真左)の尋問室と、古い牢獄(写真右)を結んでいる「ため息橋」(溜息の橋)。1600年に造られた大理石の橋で、囚人はこの橋を渡って牢獄に入ると、2度とこの世に戻ってこれないとされ、この橋の小窓から見る風景が、この世とのお別れ・・・溜息が出る・・・ということから、19世紀にジョージ・バイロンがこの名前を名づけました。

 今では有名な観光名所となっていますね。ちなみに、1755年にはカサノヴァという詐欺師が、ここに投獄されながらも、僅かな隙間から脱獄に成功しており、有名なエピソードとして語り継がれています。

 こちらが旧牢獄。

 それでは、いよいよ水上バスに乗船し、リアルト橋まで戻ります。カナル・グランデを運行する主要ルートは10分おきに運転されており、本当に単なるバス感覚でした。

 こうやってみると、ヴェネツィアは海面スレスレ。これはあたりが水浸しになりやすいのも解ります。

 水上バスからの眺め。

 こちらはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会。1630年にペストが収束したことに感謝した元老院が、バルダッサレ・ロンゲーナに設計させて建築を開始させたもので、1687年に完成しました。非常に重厚かつ立派なバロック様式の教会です。

 サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会が美しいですねえ。

 こちらはアカデミア橋。第2次世界大戦で破壊され、木製の橋として復旧されました。しかし、木製かよ!と不評で1985年に国際コンペで再建したところ、やっぱり木製になったとか。

 サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を遠くに眺めながら。カナル・グランデの風景にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会は欠かせませんね。

 水上バスからの風景。

 やはり運河側に玄関があるというのが、何ともユニークですね。

 さて、リアルト橋で下車して、ヴェネツィアの東へ徒歩で。フォンダメンタ・ヌーヴェという港から、ヴェネツィア本島から北東へ、ブラーノ島へ向かいます。広い道路に丁寧な道案内があって・・・というわけではなく、狭い路地を抜けながら港へ向かうことになるため、なかなか到着するまで大変でした。それでも、道案内は要所要所にあったので有り難かったです。


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