3.ヒワ(ヒバ)


タシュ・ハウリ宮殿
 アラクリ・ハーンが1838年に建築した石造りの宮殿。2階建てのハーレムには163の部屋に4人の正妻、40人の美女がいたという羨ましい場所。

タシュ・ハウリ宮殿
 ハーレムの前にはユルタというフェルトで出来たテントが張られ、アラクリ・ハーンは、ここで休憩するのが好きだったそうです。やはり遊牧民族の血がテントに誘ったんでしょうね。

タシュ・ハウリ宮殿にて
 トルクメン族の歌と踊りの公演がありました。

タシュ・ハウリ宮殿にて
 職員の方々です(1人違う人間が混じっているような気もしますが)。

アミール・トラのマドラサ
 裏通りを入ると現れたマドラサ。

アミール・トラのマドラサ前
 

パルヴァーン・ダルワザ(東門)
 1800年築。パルヴァーン(パルワン)とは奴隷のことで、門をくぐり、キャラバンサライの外側にある奴隷市場は1924年にソ連が禁止するまで続きました。

パルヴァーン・ダルワザ(東門)
 

バザールにいた子供たちと
 子供が手に持っている食品はナン。ナン釜の内側に貼り付けて焼きます。ナンは今も昔も中央アジアの主食を担っています。

イスラーム・ホッジャのミナレット
 ヒワ最大の高さ45mのミナレットで非常によく目立ちます。底は9.5m。均整に配置されたブルーの模様が素晴らしい。

カルタ・ミナル
 1852年に着工され、おそらく1855年にアミン・ハーンがペルシャと戦い戦死したため工事が中断し、未完状態にあるミナレット。底は14.2mで、高さは26m。本来であれば最大で80mになることも予想されます。

ホテルでの夕食
 ムスタファさん曰く「ホテルの夕食は期待していた以上に美味しかったです。ヒワではレストランという物があまり無くホテルのレストランやバーで取る以外選択肢がないのですが、美味しくて助かりました。」
(このあと羊肉とポテトの煮込みが来ます)

旧市街城壁夜景
 ライトアップされ、その迫力が強調されます。

カルタ・ミナル夜景
 こちらもややライトアップ。

パルヴァーン・マフード廟
 パフラヴァーン・マフムードは、ヒワ出身の毛皮職人で屈強な力士で有る一方詩人でもあり、文武両道の英雄としてヒワ守護の聖者と見なされるようになった人物。廟に入った正面にムハンマド・ラヒーム・ハーンの墓が安置されその前に座っているイマムは地元の人の祈祷の要請を受けるとドームに響き渡る美しい声で朗誦したあと短い説教をします。

パルヴァーン・マフード廟
 正面の部屋の左側の部屋にパフラヴァーン・マフムードの墓が安置されています(それにしても、とにかく何にでも装飾が細かいです)。