サマルカンド
  Samarkand
▼MAP

*地図:日本外務省ホームページより編集
 ウズベキスタンの旅もこれで最終回。
 サマルカンドは、ウズベキスタン中東部のサマルカンド州の州都。首都であるタシケントに次ぐ、ウズベキスタン第2の都市です。人口は約36万人ほど。地名の由来はサンスクリット語のSamaryaで、人々が出会う場所という意味。その名の通り、中央アジアの要所として発展します。

 紀元前2000年から集落があるといわれ、中央アジアでは最古の都市と表されるサマルカンドは、歴史の表舞台にしばしば登場します。古代ギリシャ時代にはマラカンダと呼ばれ、前329年にマケドニアのアレクサンドロス大王が占領。

 7世紀にはアラブ(イスラム帝国)と唐が戦ったタラス湖畔の戦いによって、ここサマルカンドを経由し、紙の製法がアラブ社会に伝わります。そして、8世紀にはクタイバ将軍率いるアラブが侵攻し、これによって支配されるようになり、次第にイスラム化。中央アジアのイスラム文化の中心の1つになります。

 そして、1220年にモンゴル帝国のチンギス=ハンが侵攻し、徹底的な破壊を受けます(今のアンシャブの丘。何も残っていません)。しかし、1369年には、その後裔と称するティムールが、自身のティムール帝国の首都とし、大きく栄えるのです。特にティムールは各地の都市を破壊する一方で、学問や芸術を保護したことがサマルカンドにとって幸いとなりました。その後、ウズベク人によるシャイバーニー朝、ブハラ=ハン国による支配、1868年にロシア(→ソ連)による支配、その崩壊によってウズベキスタン共和国の都市となっています。

 さて、上写真はサマルカンドを代表する風景であるレギスタン広場。まずは、ここの建物たちを紹介します。

シェルドル・メドレッセ
 右側の建物。1636年築。
 シェルドル=「ライオンが描かれた」の意味で、この建物にはライオンと、その背中に人間の顔が描かれています。偶像崇拝禁止のイスラム教では異例のこと。イスラム教過激原理主義組織に破壊されないことを切に願います。

シェルドル・メドレッセ
 ライオンが描かれた部分のアップ。

ティラカリ・メドレッセ
 真ん中の建物。1660年築で、3つの建物では一番最後の完成。ティラカリ=「金箔で飾られた」の意味。

ウルグ・ベク・メドレッセ
 左側の建物。1420年築です。
 ウルグ・ベクとは、ティムール帝国の創始者、ティムールの孫。

ウルグ・ベク・メドレッセ天井
 この装飾の細かさ!とにかく圧倒されます。

ティラカリ・メドレッセ内部
 ブルーとゴールドのコントラストが織りなす神秘的な空間です。

ティラカリ・メドレッセ内部

ティラカリ・メドレッセ

サマルカンド旧市街
 

サマルカンド旧市街

サマルカンド旧市街
 顔を隠して恥ずかしがる振りをする人も(笑)。

サマルカンド旧市街 地元のモスク
 この地域でよくむられる、一般のモスク。

サマルカンド旧市街 地元のモスク
 

サマルカンド旧市街 地元のモスク
 

サマルカンド旧市街 ナン工房
 ナン工房を見学させてもらいました。

サマルカンド旧市街 ナン工房
 

サマルカンド旧市街 ナン工房
 

サマルカンド旧市街 ナン工房
 出来上がったナンを早速食べさせてもらいましたが、これが今まで食べたナンの中でもトップクラスの絶品。しかも、代金は要らないと固辞されてしまいました。スミマセン・・・。

ビビハニヌ・モスク
 1404年築。ティムールによって創建された壮大なモスクで、かつてはイスラム世界最大を誇りました。

ビビハニヌ・モスク
 

ビビハニヌ・モスク
 

ビビハニヌ・モスク
 

シャー・ヒ・ズィンダ廟
 ティムールゆかりの人々が眠っています。

シャー・ヒ・ズィンダ廟
 

グル・アミール廟
 グル・アミールとは「王の墓」といった感じの意味。
 サマルカンドを首都に大帝国を造り上げた、ティムールとその息子達が眠っています。

グル・アミール廟内部
 こちらも装飾には目を見張る物があります。

グル・エミール廟内部
 ティムールとその息子達の棺が飾られています。

夕食
 宿に頼むと1ドルで出してくれます。素朴なジャガイモ料理が美味かった。
 このあとは、タシケントに戻り韓国経由で帰宅しました。 時間的に余裕があるので、両都市とも少し観光します。左は、ソウルにある世界遺産、昌徳宮 (しょうとくきゅう、チャンドックン)の敦化門(1412年築)。昌徳宮は李氏朝鮮時代の離宮で、敦化門は韓国で現存最古ともいわれる門です。