ベルリンの地下鉄「Uバーン」
クラインプロフィールのHK型(正式にはBVG-Baureihe HK)。2005年に導入されもの。
○解説
ベルリンのUバーンはドイツ初の地下鉄で、1902年に最初の路線が開業した。現在は合計10系統、総長146.4kmにまで伸び、ベルリン市民の足として現在活躍している。全線第三軌条750V直流電化で、運行管理はベルリン市営交通局(BVG)が行っている。ベルリンに地下鉄を造る計画は19世紀末に浮上し、それまで問題視されていた道路の交通量の解決策としてのものだった。1896年に工事が始まり、1902年にベルリン市内を横断する高架路線ができあがった。それから1913年頃まで順調に延伸や新線開業を進めていたが、第一次世界大戦のため中断。
戦後のハイパーインフレの影響もあり、路線網の拡張は遅かったが、1923年についにベルリン市内を始めて南北に通る路線が開業。この路線が特徴的なのは今までの規格よりも車体幅が広げられたことで、これによりベルリンの地下鉄の路線は二種類に分けられる−1902年開業当時の小さい車体幅(通称クラインプロフィール)と1923年以降に造られた大きい車体幅(通称グロスプロフィール)だ。
第二次世界大戦中は地下鉄網は多大な被害を受け1945年4月には完全に運行を停止した。戦後は順調に路線網が復興され、東西ドイツ分裂後も普通に営業していた。しかし1961年のベルリンの壁による東西区の物理的分断により壁を跨ぐ路線も切断され、地下鉄での東西の行き来は基本的に不可能となった。その後西ドイツは飛躍的な経済的成長を成し遂げ、その一環として西ベルリンの地下鉄路線網は拡大していった。その利便性とあとSバーンが東ベルリンの運行管理下にあったため、西ベルリンの交通の要となる。その反面東ベルリンの地下鉄路線網拡大は皆無に近かった。東西ドイツ統一後は分断された路線も再び繋がれ、現在の姿に至る。
使用車両は小幅(2.30m)のクラインプロフィール車(KP車)と大幅(2.65m)のグロスプロフィール車(GP車、に別れており、KP車がGP路線に乗り入れる事はない。なおKP路線はU1〜4系統で、GP路線はU5〜9とU55系統となっている。 (解説&撮影:秩父路号)
●ギャラリー
KP車であるG型車両。1974年に初登場し、ベルリン地下鉄の古株。
2ドアロングシート仕様だが車両長は13メートルととても短く、見た目はまさに食パンそのもの。
同じくKP車であるA3L92型。一番古いG型を置き換えるために1992年に導入された。
A3L92型の車内。座席はクッションではなくプラスチック製。
KP車であるA3L82型。1982年に初登場。
A3L82型の車内。窓にはベルリンのシンボルといえるブランデンブルグ門が貼ってある。
グロスプロフィール車のH型。HK型と共通のデザインだが車体幅がこちらのほうが大きい。1994年から導入された。
もう一つのGP車であるF型。1973年から1994年にかけて様々なマイナーチェンジが施され徐々に導入された形式。
地上の地下鉄駅の標識
ホーム上の駅標識
ベルリン中央駅のU55系統の地下鉄駅。
U55系統は現在は3駅2区間しかない短い路線だが、将来的にはU5系統と繋がる予定だ。