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第116回 喪服は最近まで白だった

担当:裏辺金好

○はじめに

 先例がどうしたとか、伝統が・・・なんて言いますが、何事にも始まりがあります。
 しかも、実はその伝統は比較的最近のスタートと言うことも。そんなお話の1つです。

1.日本に来たシュリーマンが見たものは?

 トロヤ文明発掘のきっかけを作ったシュリーマンという人物は、少し歴史を勉強した方ならご存じと思います。
 そんな彼が、は日本にも旅行に来たことはご存じでしょうか? 

 トロヤ発掘の6年前である1865(慶応元)年、世界旅行の途中で清に立ち寄ったあと、幕末の日本を訪問し、江戸などに滞在しています。麻布にある善福寺(アメリカ領事館として使用)に宿泊した彼は、この時、短期間ながら多くのことを観察し、その日記は現在、「シュリーマン旅行記清国・日本」と言うタイトルで出版されています(興味のある方は、こちら で購入出来ます。価格は840円(税込))。そんなわけで、彼は全く遠い国の人物というわけではないのです。

 その際に彼は、色々と日本の文化を観察。
 当時の日本の葬式にも参列し、喪服が白色であったと書き残しています。

 喪服が・・・白?
 今、皆さんが葬式などに出席されると黒喪服を着られるはず。
 そう、こんな所から、今の黒喪服の伝統というのは意外と短いと言うことが解ります(人の日記は意外なところでよい資料になるわけですな)。

2.ならばいつから黒?

 そこで、いつから喪服が黒くなったのかを調べてみますと、どうやら日清戦争や日露戦争で多くの戦死者がでて、葬儀の参列が多くなってしまったために、喪服の出番が増えてしまった! そこで汚れが目立たない黒にしよう、と華族の間で普及していきました。大正4年には、宮中に参内する時には基本的に黒喪服、と定められています。

 そして民衆の間でも、第2次世界大戦が終わると「汚れが目立つ・・・」ということで黒喪服が普及していくのです。
 そういうわけで、黒喪服の伝統は長くて100年程度なのであります。
 
 さらに喪服について知りたい方、こちら がお詳しいです。

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